メッセージ。 - にゃー

# にゃー

https://togetter.com/li/1317407
娘と電車に乗っていたら全く知らない老人に突然インスタントカメラで写真を撮られた…『勝手に撮るの止めてください』→全く話が通じなかった出来事 - Togetter

この話、はてブのほうにコメントしたけど。

 うーん。どっちの気持ちも分かる。撮影の問題というより、人と人とはどう触れ合えるのか、とくに見知らぬもの同士の場合、かな。ご老体は、自らの子や孫のように被写体を愛しているとも取れる。社会への愛と憎。

このご老体がどういう人かは分からない。悪い人かもしれない。気持ち悪いという気持ちや、撮られた人の気持ちを考えてほしいという気持ちも分かる。ぼくもそういう気持ちになる。それはそれとして、一つの可能性として。

ぼくが、「写真を撮りたいな」と感じるのは、「ああ、美しいなぁ。好きだなぁ」と感じるときだ。この瞬間をずっと見ていたい。ありがとうと言いたい。自分の好きな人にも見せてあげたい。「ほら、世界はこんなに美しいんだよ。優しいんだよ」って。

ご老体の気持ちを想像するならなおさら、美しい世界への思いは強いだろう。なぜなら彼らは、それを日々失いつつあるし、近いうちにそのすべてを失くしてしまうのだから。可愛らしい子供の仕草、母と子の絆。射し込む光の美しさ、あたたかな時間。それらを永遠にとどめておきたい。

もちろん、被写体となるその世界を壊すなんてつもりは毛頭ない。むしろ守りたいとさえ思うだろう。そうしたとき、「大丈夫」という言葉が出るのかもしれない。「この世界は、怖くないんだよ。あなたを傷つけるものはここにはいないし、いたとしたら私が許さない。だから大丈夫。若いあなたは怖れるかもしれないけど、あなたが思うより、ほら、こんなにも世界は優しく美しいんだよ」と。

少し前。もしかしたら今もかもしれないけど。田舎の家には玄関の鍵などかけなかった。都会でもそういうところがあっただろう。別に鍵などかけなくても、泥棒になど入られなかった。それがいまは、都会ならどこでも鍵をかけるだろう。実際に、泥棒が増えているのかそうでないのかは知らない。鍵をかけることに本当に効果があるのかもしれない。しかし、そうでないのかもしれない。

少なくともぼくが思うのは、あるいは望むのは。皆が鍵をかける世の中よりも、皆が鍵をかけない世の中だ。田舎の家が、昔の家が、鍵をかけないでいられたのはなぜだろう。それがいまできないのなら、なぜなんだろう。問題なのは、家に鍵をかけることだろうか。家に鍵などかけなくても、泥棒をする必要がない世界なのではないか。

いや、そんなこと不可能だという意見も分かる。現実とは違うとぼく自身も思う。だけど、人を疑えば相手だってこちらを疑う。人を憎めばこちらも憎まれる。そして、その逆もまた起こり得るんだ。そのために必要なことはなんだと思う?
2019-02-10 13:42:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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