メッセージ。 - にゃー
# にゃー
こないだ、NHKで『4歳児のヒミツ』という番組をやっていて、非常に興味深かった。面白かったポイントはいくつもあるのだけど、ひとつだけ。
全体で10人ほど集められた4歳児は、ある日半数ずつのグループに分けられた。1つのグループは室内に通され、ホールのケーキを出される。でも、「残りのグループの子たちが来てからみんなで食べるから、手をつけずに待っててね」とお預けをくらって子供達だけにされる。
ここを我慢できるかというのが一つの山場だが、なんとかこの場はみんなしてやり過ごした。その後、残りのグループの子たちが入って来て、みんなでケーキタイム。このとき、番組はケーキを人数分に切り分けるのではなく、一人分多めに切り分けた。そして、「一つ余ったけど、欲しい子はいる?」と尋ねた。このときだ。
何人かの子が名乗りを上げて、ケーキは平和的に片付いたのだけど、名乗り上げた子供達の中に、2つ目のグループの子はいなかったんだって。後から来た子供達は、最初からいた子供達が我慢してケーキを待っていたことを知っていた。だから、最初からいて我慢していた子たちに遠慮してというか、手をあげなかった。最初からいた子たちには、より強い所有感、所有権が発生していて、その場にいた子供全体がその空気を理解していた。そのことが驚きだった。
たとえば大人でも転職したとき、新しい人間がプロジェクトの方向性を変えるのは難しい。前からある者のほうが、なぜかイニシアティブを握っていて、プロジェクトや会社にダメなところや改善すべき点があっても、言いにくいし聞き入れられにくい。ぼくはこれまで、この現象を「譜代と外様」に似せて考えてきたけど、モノにたいする物理的な執着や愛着差というものが、こんな小さな子供のレベルで、自然と社会ルール化するほどの原子発生的なものであるというのは、大変興味深い。
全体で10人ほど集められた4歳児は、ある日半数ずつのグループに分けられた。1つのグループは室内に通され、ホールのケーキを出される。でも、「残りのグループの子たちが来てからみんなで食べるから、手をつけずに待っててね」とお預けをくらって子供達だけにされる。
ここを我慢できるかというのが一つの山場だが、なんとかこの場はみんなしてやり過ごした。その後、残りのグループの子たちが入って来て、みんなでケーキタイム。このとき、番組はケーキを人数分に切り分けるのではなく、一人分多めに切り分けた。そして、「一つ余ったけど、欲しい子はいる?」と尋ねた。このときだ。
何人かの子が名乗りを上げて、ケーキは平和的に片付いたのだけど、名乗り上げた子供達の中に、2つ目のグループの子はいなかったんだって。後から来た子供達は、最初からいた子供達が我慢してケーキを待っていたことを知っていた。だから、最初からいて我慢していた子たちに遠慮してというか、手をあげなかった。最初からいた子たちには、より強い所有感、所有権が発生していて、その場にいた子供全体がその空気を理解していた。そのことが驚きだった。
たとえば大人でも転職したとき、新しい人間がプロジェクトの方向性を変えるのは難しい。前からある者のほうが、なぜかイニシアティブを握っていて、プロジェクトや会社にダメなところや改善すべき点があっても、言いにくいし聞き入れられにくい。ぼくはこれまで、この現象を「譜代と外様」に似せて考えてきたけど、モノにたいする物理的な執着や愛着差というものが、こんな小さな子供のレベルで、自然と社会ルール化するほどの原子発生的なものであるというのは、大変興味深い。
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