メッセージ。 - にゃー

# にゃー

オリンピックに関して、僕は賛成派でも反対派でもない。一般的に、僕は何派とかに属することはほとんどない。ただ個人的に思うこととしては、やはりオリンピックの開催はいまは不可能だろうということだ。

なぜならオリンピックは世界的なイベントであって、参加する各国や各選手の事情を充分考慮しなければならない。開催国が自国のコロナを押さえ込めると判断し、よしんば十分な準備ができたとしても、選手を送り出す各国が対応できなければどうしようもない。

とくに大変な数の感染者や犠牲者を出している国を思うと、いまこんな時期にオリンピックに人を出してくれと頼むのは僕だったらできない。それはまるで、戦争やお葬式をやっているすぐその横でパーティを開催するようなものだ。

この時期に開催することは、現在進行形でコロナと戦っている各国の負担になりリスクになる。だからひとことで言うと賛成とか反対とかではなく不可能だろうということだ。

オリンピックが人々の夢や希望になるという意見もあるけれども、本当にそうなのだろうか。たしかに頑張っている人を見るのは、ときに心を打つものがある。しかし、やはりいま一番頑張っているのは医療従事者であり、コロナに罹患して苦しんでいる家族と患者、あるいは感染を広めないよう不断の努力をしている人々のはずだ。

みなを代表して一番頑張っている人のことをテレビに映すというのならば、彼らを差し置いて映すものなどない。もし仮にコロナのワクチンや治療薬が世界の隅々にまで行き渡って、世界の隅々の人々が希望を実感できるようになる状況ならば、オリンピックの開催にも価値があるだろう。

なぜなら現代において人々に夢や希望を与えるものがあるとすれば、それは「科学の進歩」と「人類の理性」であると個人的に思うからだ。科学の進歩を象徴するコロナワクチンが、人類の理性を象徴する平等と人道の実践によって富めるものと富まざるものに分け隔てなく行き渡るならば、夢と希望が感じられる。

ここ数世紀、大きな鉄の塊を高速で走らせ、遠くの人と音声や視覚を共有し、宇宙にまで人間を運び、病気や死の苦しみを遠くに押しやることができる科学の進歩は、子どもだけでなく大人にも夢を見せ、その考え方も生活も変えてきた。

それに加えて、社会という人間にとって最も危険な存在の暴走が抑制され、科学の強大な力がより恐ろしい結果をもたらすことを防ぎ、憎しみの衝突を対話によって回避できることが、現代に生きる人類にとっての、最大の救いであるはずだと考える。

その点では、残念ながら最近のニュースからは夢と希望を感じられることがほとんどなく、むしろ逆行してさえしているように感じてやまない。オリンピックという一事をとっても、あまりに情けない状況ばかりが目につき、言葉をなくしてしまう。本来なら、このイベントは我々にとって夢と希望を取り戻す一つのチャンスにさえなりえたはずなのにと感じてしまう。

どうしたらいいんだろう。何をしたらこの状況を変えられるんだろう。少しでもヒントを知っている人がいれば教えてほしい。
2021-08-22 15:39:09 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。