メッセージ。 - 先入観と内省、コミュニケーション

# 先入観と内省、コミュニケーション

昨日だったか、一昨日だったか、『cool japan』という番組を見ていて面白いシーンがあった。この番組は、日本に住んでいる外国人のコメンテーター10人程度をスタジオに集め、日本での生活や日本の習慣について感想を話してもらうというもの。NHKが放送している。

先日の回でのテーマは、「プライバシー」。44分の放送中、いろんな話がなされたのだけど、そのなかで「子供と一緒に寝る日本の習慣は変だ」という話になった。番組中の日本人へのインタビューでは、多くの日本人は子供がある程度大きく(10歳ぐらい?に)なるまで一緒に寝ているということだった。

外国人たちは(この回ではなぜかヨーロッパ系の人がほとんどだったが)、この習慣は変でno goodだと言った。彼らの国では、1歳とか2~3歳ぐらいで子供は一人で寝かされるという。彼らは言った。「子供にもプライバシーは必要だ」、「人間というのは自分の空間が必要なものなんだ」、「子供と一緒に寝ていたら、夫婦の時間が持てない」と。

でも、というか「そして」というか、少し話が進んでみると、キャスターの日本人が1つの事実に気付いた。彼ら外国人が言う「自分の空間が必要」というのは、「子供自身の空間」ではなくて「大人の空間」という意味で使われていたのだ。キャスターは尋ねた。「子供を一人で寝かせるのは子供のためではなくて、子供がいると夜の営みが持てないという大人自身の都合のためですか?」と。

外国人たちは苦笑いしながら、「そうです」と答えていた。外国人の一人は、「子供たちには兄弟姉妹がいたほうがいい。だから子供が一人で寝るのは、彼ら子供たち自身のためなんだ」と笑いながら言い訳さえしていた。

ぼくは彼らをあげつらうつもりはないし、人間が間違いを犯すのは仕方がないと思っている。ただこれを見た瞬間は、欺瞞を感じたような気がした。彼らは日本人の習慣を良いか悪いかの観点で論じているフリをして、いや彼ら自身がそのつもりでいたのに、実際は良いか悪いかを公平な視点から論じることなどできていなかったのだ。彼らはただ単に、「自分たちが習慣が正しい」と言っていたにすぎない。

これは、彼らの悪い癖だ。彼らは歴史的に見て、何度も同じことをやってきた。公平な視点を持っているフリをして、公平なつもりになっている一方で、その実は全然公平なんかではない。番組のなかで、彼らはその間違いに気付いた。その間違いに気付いたことで良心の呵責を感じてくれるなら、よいのだ。自分が必ずしも正しいわけではないことを心に刻み、他者の文化や精神に敬意をもって接してくれるならそれでいい。

でも番組での彼らの態度は曖昧で、彼らの心に少しでも反省の気持ちが芽生えたのかどうか、定かではなかった。ぼくは彼らに、知的であってほしいと思う。彼らは、自分の誤ちに気付き、それを認めることができるぐらい知的なのだ。彼らは知的であり、知的であることを自認さえしている。ならば、その知性をもって内省をしてほしい。そうでなければ話ができない。「じゃあどうやって子供を育てるのが理想的なのか」、頭ごなしに変な先入観をぶつけあうだけでは、コミュニケーションをする意味に乏しいのではないかと思う。
2009-09-14 16:09:42 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。