メッセージ。 - 民主党はなぜ勝利したのか?

# 民主党はなぜ勝利したのか?

民主党の首脳陣は、廃れつつあるものと、勃興しつつあるものを、見間違えてはなりません。そのことを、自民党の壊滅から学んだのではありませんでしたか。学んでいないのなら、面白いことになりますよ。

先日、テレビ東京の『ルビコンの決断』で、民主党が先の総選挙でどのような選挙対策を行っていたのかを放送していた。民主党というか、小沢一郎さんの選挙戦術という紹介の仕方だったけど。

番組によると、今回たくさん当選した民主党の新人議員たちは、小沢一郎さんのバックアップにより選挙活動を行い、当選できたのだそうだ。番組内では彼らのことを「小沢チルドレン」と呼んでいた。紹介されていた選挙戦術は主に次の3点。

  • 川上作戦
  • 1日に50回以上を目標に、街頭演説をすること
  • 小沢さんの顔を使用した選挙区引き締め

川上作戦というのは、文字どおり選挙区内で川の上流にあたる地域から、各家を個別訪問するという選挙活動。小沢チルドレンたちは、今回の選挙の実に1年以上前から、川上作戦と称して田舎の川上の家を毎日回っていたそうだ。

これにはどういう効果があるかというと、「こんな田舎にも民主党の議員さんは目をかけてくれているんだ」という好印象を与えるということらしい。ただし、無名の新人さんが行ったところで効果は薄いかもしれないので、実際には彼らとは別に、「小沢議員の秘書」という肩書を持った人たちも、別途各地方を回っていたとのこと。「小沢さんもこの地域を気にかけていくれている」という好印象を与えていた。

実際、小沢さんというのは、秘書をたくさん持っているらしい。自宅にはたくさんの門下生を住まわせていて、昔でいうところの書生さんをたくさん世話しているのだと言っていた。その書生さんたちが秘書となって全国に散らばり、各候補者の選挙を暗に陽にバックアップしている。

川上作戦というのはこういう意味がある。つまり、川の上流にあるような地域は要するに田舎で、お年寄りが住んでいる。そういった人たちの印象を良くすれば、評判は口コミで川下にいる彼らの子供や孫など若い人たちに自然に伝わっていく。川下に住む人たちにとって、政治家が来ることなどたいした意味がないとしても、川上に住む人たちにとっては大事件なのだ。

候補者たちは、人がほとんど通らない村の辻であっても、少しずつ場所を変えて1日50回の街頭演説を行う。そうやって川上から順に顔を売っていくのだ。

この番組はけっこう面白かった。選挙運動ってこんなことやってるんだって知らなかったし、1年も前からそういう活動をやってることもはじめて知った。選挙運動は公職選挙法で細かく規制されているので、ぼくにとっては何が違法でなにが合法なのか分からない。上記の説明で書いた文章も、記憶を頼りに書いているので文言や言葉の定義などがかなり曖昧だ。たぶん間違っている箇所がいくつもあるだろう。でもまぁ、実際に小沢さん陣営がそのように活動し、テレビで放送するぐらいだから、上記のような活動は合法なのだろう。

そして思ったことは、「やっぱり選挙というのは政策や政治内容ではなく、印象を操作することでなされるのだ」と。「なにをする人か」ではなく、「誰が味方か」を判断して、人は投票行為を行うのではないか。選挙前のネットでは、民主党の評判はそんなに良くなかった。ネットの評判は極端な傾向があるので、一般とはある程度開きがあるだろうとは思っている。

ただ、かといってテレビや新聞が一般の評判を反映しているかというと、ちょっと疑問に感じるところがある。テレビも新聞も、麻生さんのことを揚げ足取りして悪く言いすぎだと思うし、民主党の言う「まず、政権交代」とかいうロジックもそう説得力があるように思えない。では、誰が民主党に投票したのか? なぜ選挙直前、民主党の支持率があれほど高かったのか? ネット世論からはそれほど自民党支持のエネルギーを感じなかったけど、かといって「民主党がいいんだ」というエネルギーもそれほど感じなかった。

しかし、件の番組の内容をある程度重く見るなら納得がいく。年配の人を中心に、地方にいる人たちが民主党に投票したのだ。だからネットを見ていたり、比較的若く都市に住むような人たちを見ていても、民主支持の手応えを感じないのではないか。都市に住む若い人たちの中にも民主党に投票した人がいるだろうが、それに加えて比較的多くの地方にいる年配の人が、民主党に投票したんじゃないかと。そしてそのような投票を引き起こしたのは、小沢さん流の選挙活動、つまりそもそも田中角栄さんから連なる、まさしく自民党的な手法に依るのではないかと。

国民は、政策ではなく、政治の方向性でもなく、「誰が味方か」を頼りに今回の結論を出した。だとするなら、国民のなかには「廃れつつあるものと、勃興しつつあるもの」といったものは存在しないのではないか。まったく新しい新種の風が吹いたというよりは、同じ風が単にその風向きを変えただけに過ぎないのではないかと思う。
2009-09-17 14:26:35 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。