メッセージ。 - 『クローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代~」』

# 『クローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代~」』

いまNHKでやっている、『クローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代~」』。なんかちょっと、論者のピントが外れている気がするなぁ。


「助けて」。この言葉が言えず、孤独死した30代の男性を去年10月にクローズアップ現代で取材し、放送した。番組では、生活に困窮し、命に危険を及ぼしかねない状況になっても助けを求めない30代の姿を取材。彼らは、こうした状況になったのは、自己責任だと自らを責め、「助けて」の言葉を拒み続けていた。この放送直後、インターネット上のブログでは書き込みが急増。わずか3日で2000件を超えた。その多くが30代で、驚くことに孤独死は他人事ではないと共感するものがほとんどだ。なかでも30代の女性に、共鳴する声が瞬く間に広がった。一体、いま30代に何が起きているのか?番組では、ブログの声から、静かに広がる「助け」を求められない30代の実像を継続取材した。

30代は、人の役に立ちたいんだよ。助けてもらいたいんじゃない。「助けてあげたい」んだ。

「自分は役に立つ人間だ」って、認めてもらいたいし、自分でそうありたい。あらなければならないと思っている。

だから親に助けを求めない。社会に助けを求めない。そもそも社会は助けてくれないし。生活保護にしても、各種控除にしても、法律を知っていて申請を行う人間にしか支給されない。現状の政府というものは、無学で無知な大衆を救うためのシステムではない。悪く言うならば、強欲な人間を救うシステムか、もしくは本当に本当に困っている人たちを救うためのシステムであって、*普通の健康な、ちゃんとした大人の男*、もしくは*大人の女*、*大人の人間*である自分を救うためのシステムではない。

それは、自己責任論みたいな最近(ここ20年とか)が原因の話ではないと思う。「助けてあげる」と言ってくる人間に、「助けてください」などと返事できるわけがないのだ。そのような社会システムは構築されていない。はっきりいって、「助けてあげる」なんて言葉は、「饅頭怖い」という言葉と同義だ。日本人ならほとんどの人は、「饅頭怖い」という話を知っているだろう。日本という社会は「饅頭怖い」を前提としている。「助けてほしいと言ってごらん?」という言葉に対して、「助けてほしい」と返事する日本人はいない。

また、思うのは、「助けてと言え」と言うことの傲慢さみたいなものだ。本人には悪気はないのだろうし、そういう言葉を口にする人は、実際に悪い人ではないだろう。でも「助けてと言え」とか、「助けてあげる」とか言わないでほしい。「助けてあげる」と言うんじゃなくて、「助けて」と言ってほしい。どうしてあなたは、30代を助けたいのか? 「助けて*あげる*」という気持がどこかにあるんじゃないのか? 自問してほしい。そうしたらきっと、「助けてあげる」ではなくて、「こちらこそ、実は助けてほしいんだ、困ってるんだ」と切り出せるんじゃないかと思う。

「助けてほしいんだ、困ってるんだ、君の力が借りたいんだ」そういう言葉をかけられたなら、30代は心を開き、あなたをきっと助けてくれるのではないか。そんな風に思うのだ。

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あと解決策。たぶん寄付はうまくいかないんじゃないかという気がする。ないよりあったほうがよいだろうけど、マスの隅に届くぐらいになるほどではないというか。ぼくが考える解決案は、1段階として彼らが自ら助けあえるコミュニティ作りだ。一人8万円前後の生活保護を分け合って、シェアホームをする。ギークハウスの一般版というか。そうすると、一人ひとりのお金では足りなかった「住」の部分が満たせるし、それが「社会的信用」の担保の一部となる。

そしてきっと、シェアホームには社会に対するレゾンデートル(存在理由)が必要だ。ただたくさんの30代が集まって、生活保護を受ける人間ばかりウダウダするのでは社会に受け容れられない。そうなったとき、1つの方向性としては農業や軽工業で自活する都市国家のようなコミュニティがあり得るだろう。しかしこれは、宗教的組織になってしまいがちだろうし、地域社会はこのような宗教都市が身近で増大していくことを受け容れられない可能性も高い。また、なにより30代の彼ら自身が、「宗教的な施設に世話になっているみたいな自分」を受け容れにくいだろう。

その意味では本当は、シェアホームの次の段階として、彼らは社会にはばたっていけることが理想だ。彼らが、普通の社会の一員としてやっていけることが必要だ。しかし実は、これが難しい。現在、日本経済は縮退している。だから彼らのための席は、それほど余っていない。シェアホームの次の段階に進むのが難しい。現実的には、シェアホームのような生活が善であるような社会になっていくことだ。シェアホームが社会起業であり、そのエコシステムが地域の一部を担うような、それが一般企業として成り立つような、そういう変革が必要になっていくのではないか。
2010-01-21 21:23:41 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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