メッセージ。 - にゃー

# にゃー

昔から青春という言葉が好きではない。その定義もよくわからないし、性的なイメージが想起されることから、そういうことに前向きになれない自分には青春らしきもの参加したいという気はさらさら起きなかった。あるいは、自分の過ごす時間のなんらかが「青春」の一部として捉えられることを嫌悪する気持ちがあった。そういった気持ちはいまもあり、実際のところそれらを肯定できないことで、(その後も含めて)人生のそれなりの時間を浪費してしまったかもしれないとも思う。

ただなんとなく、「では青春とは何か?」という問いに対しては、ふと「これではないか」という感触を得たので書き下してみる(もちろん辞書で調べたりGoogleで検索したりすればすぐに結果が分かるようなことなのかもしれないが、この文章を書くにあたって、あるいはこの人生の時間をここまで過ごすにあたって、そういったことはこれまで特段していない。いや、いままでまったくそういうことをしなかったというわけではないがとにかく)。

よく分からないが、「青春」を英語に訳すならば「tean-ager」ということになるのではないかと思う。要するに、10歳から20歳ごろになると人間にはいろいろなできごとが起こる。その原因としては、

- ホルモンの変化やある種の肉体的形質変化といった性的・肉体的な変化
- 知識の増大による思索範囲、思索方向の変化
- 周囲の人間の変化、およびその相互作用によって引き起こされるできごと
- 進学や受験、就職、成人といった社会的制度によって引き起こされる生活環境の変化と、変化にともなう不安やギャップ、ある種の「事件」
- 現在の自分と、「こうあるべき」自分、あるいは「こうありたい」自分のギャップに対する不安、未知なるものへの不安やリスク、および実際にその変化によって引き起こされたできごと・体験(これはとくに受験や就職、成人といった社会的制度の影響も大きい)

といったものが思いつく。

ここにあげたような強度の高い「変化」や「体験」は、なにも10歳から20歳だけに起こるものではない。ただ、なぜだかこの社会では、10歳から20歳のあいだのこの時期を、あるいはその時期に起こりうるリスクやハプニング、起こったできごとを「青春」と呼ぶらしい。

一つ解せないのは、彼らがこれを肯定的に捉えているように見えることだ。もしかしたらここを通過した人たちのいくばくかは、彼らの身にこの時期に起こった「良いこと」を「青春」に結びつけて記憶したりしているのかもしれない。しかし、いうまでもなく、この時期の生活にはリスクもある。「良いこと」も起これば「悪いこと」も起こるのだ。

青虫が蝶になるとき、青虫はさなぎになって体を作り変える。本当かは知らないが、さなぎになったとき、青虫の体はどろどろに溶けてその肉体構造は完全に作り変えられると聞いたことがある。その過程で失敗して死んでしまう青虫もいれば、朝になれる青虫もいる。

10歳から20歳というのは、要するに子供から大人に変わる時期を指しているのだろう。その過程においては、当然大きな混乱や再構築、およびそれらによってできごとが引き起こされる。それを彼らは「青春」と呼んでいるのではないか。
2021-10-08 08:00:17 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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