メッセージ。 - diary

2019-02-10

# にゃー

https://togetter.com/li/1317407
娘と電車に乗っていたら全く知らない老人に突然インスタントカメラで写真を撮られた…『勝手に撮るの止めてください』→全く話が通じなかった出来事 - Togetter

この話、はてブのほうにコメントしたけど。

 うーん。どっちの気持ちも分かる。撮影の問題というより、人と人とはどう触れ合えるのか、とくに見知らぬもの同士の場合、かな。ご老体は、自らの子や孫のように被写体を愛しているとも取れる。社会への愛と憎。

このご老体がどういう人かは分からない。悪い人かもしれない。気持ち悪いという気持ちや、撮られた人の気持ちを考えてほしいという気持ちも分かる。ぼくもそういう気持ちになる。それはそれとして、一つの可能性として。

ぼくが、「写真を撮りたいな」と感じるのは、「ああ、美しいなぁ。好きだなぁ」と感じるときだ。この瞬間をずっと見ていたい。ありがとうと言いたい。自分の好きな人にも見せてあげたい。「ほら、世界はこんなに美しいんだよ。優しいんだよ」って。

ご老体の気持ちを想像するならなおさら、美しい世界への思いは強いだろう。なぜなら彼らは、それを日々失いつつあるし、近いうちにそのすべてを失くしてしまうのだから。可愛らしい子供の仕草、母と子の絆。射し込む光の美しさ、あたたかな時間。それらを永遠にとどめておきたい。

もちろん、被写体となるその世界を壊すなんてつもりは毛頭ない。むしろ守りたいとさえ思うだろう。そうしたとき、「大丈夫」という言葉が出るのかもしれない。「この世界は、怖くないんだよ。あなたを傷つけるものはここにはいないし、いたとしたら私が許さない。だから大丈夫。若いあなたは怖れるかもしれないけど、あなたが思うより、ほら、こんなにも世界は優しく美しいんだよ」と。

少し前。もしかしたら今もかもしれないけど。田舎の家には玄関の鍵などかけなかった。都会でもそういうところがあっただろう。別に鍵などかけなくても、泥棒になど入られなかった。それがいまは、都会ならどこでも鍵をかけるだろう。実際に、泥棒が増えているのかそうでないのかは知らない。鍵をかけることに本当に効果があるのかもしれない。しかし、そうでないのかもしれない。

少なくともぼくが思うのは、あるいは望むのは。皆が鍵をかける世の中よりも、皆が鍵をかけない世の中だ。田舎の家が、昔の家が、鍵をかけないでいられたのはなぜだろう。それがいまできないのなら、なぜなんだろう。問題なのは、家に鍵をかけることだろうか。家に鍵などかけなくても、泥棒をする必要がない世界なのではないか。

いや、そんなこと不可能だという意見も分かる。現実とは違うとぼく自身も思う。だけど、人を疑えば相手だってこちらを疑う。人を憎めばこちらも憎まれる。そして、その逆もまた起こり得るんだ。そのために必要なことはなんだと思う?
2019-02-10 13:42:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-02-08

# にゃー

https://news.woshiru.com/archives/1584
排水に油を流すな!グリストラップ編 - を知る通信

↑の話なんだけど。ぼくは飲食店で働いたことがないけど、家庭での油の処理はどうするのがいいのか、以前から不安に思っていた。

ものぐさだから揚げ物とかはもちろんしないんだけど、お皿やフライパンに薄く残る油の処理の話ね。あれを、洗剤で洗うべきなのか、前処理として紙で拭いて紙をゴミ箱に捨てるのがいいかという問題。

こういうのって学校で習わないし、とくに男性は親からも教わらなかったりする。だから、本当に知らないし分からないんだよね。「常識だろう」とか「ちょっと考えれば分かるだろう」という意見も分かるけど、社会のなかでほぼ全員がやったほうがいい毎日のことなら、きちんとシェアしていったほうがいい。

それこそ、交通法規のようなものだ。交通法規のすべてが、「常識で分かる」「考えれば分かる」というものではないように、油の捨て方も、分からない人ってのが一定数いてもおかしくない。なぜなら、この近代的な暮らしというものがここ100年ほどのうちに普及し、かついまも激しく変わりつつあるからだ。しかも、排水溝の奥は文字通りブラックボックスになっていて見えない。分からない人がいるのは当たり前のことだ。人が「当たり前だ」と思っていることは、存外当たり前でない。当たり前は当たり前でない。そういった謙虚さと思いやりが必要だ。
2019-02-08 09:24:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-02-07

# にゃー

モテるための一つのコツは、いつもニコニコしていることだよ。笑う門には福来るじゃないけど、誰だって、いつも前向きに人生を楽しんでいる人と一緒にいたいと思うものだ。
2019-02-07 09:16:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-02-06

# にゃー

「これ以上ないくらいよくやった」「今日は最高に楽しかった」、毎日ってのは本来そうあるべきなんだよな。できる、できないでいうと現実的には難しいんだけど、でも、なんで難しいんだろう。最初から諦めて、夢の中からさえ追いやって捨ててしまっていいんだろうか。
2019-02-06 09:16:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-02-04

# にゃー

好きな人にフラれたからといって、悲しまなくていいんだよ。どうせこれまで一人で来た道、これからも一人で歩いていける。たとえもう会えなくなったとしても、遠く離れた場所から幸せを祈ることはできる。
2019-02-04 22:45:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

働くということについて、男女のあいだで基本的価値観が共有されているのかどうか、ちょっとよく分からないんだよなぁ。たとえば、職場にバリバリ働かない人がいるとする。ミスをよくするし、ただ言われたことだけをやっていて本質的なことに関心がないような働き方の人。もしそれが男性なら「ミスをしないようにしようよ」「こうしたらもっと良くなるんじゃない?」「一緒に頑張ろうか」とアプローチするだけなんだけど、相手が女性の場合はちょっと難しく感じる。

なんというか、男性の場合は、暗黙の前提として「いい仕事をする」「苦しいところも乗り越えて、自分も会社も、お客さんも成長する」って価値観が共有できているか、それをするのがいいことだと価値観をすり合わせできる感覚があるんだよね。女性であってもこういうことができる場合もあるけど、前提の共有でつまづきそうというか、うまくいきそうな感じがしないことがある。

乱暴なのかもしれないけど、男だったらマジョリティとして「(仕事を通じて)何者かになりたい」という価値観を持っているように思うんだよね。みんないい仕事をしたい、できるようになりたいと。でも、そういう価値観じゃない人が相手の場合、どうすればミスをしないでもらえるか、できるだけいい仕事をしてもらえるか、誘導するのが難しいと感じる。まぁ、まったく別のアプローチをしたほうがいいんかね。価値観の押し付けは良くないということかもしれない。

ドライに突き詰めるなら、「入出力特性のさまざまな部品を組み合わせて、期待する結果を得るために必要なことをするのがマネジメントの仕事」となるのだろう。
2019-02-04 09:24:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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