メッセージ。 - にゃー

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フェミニスト「VRアバターの販売は人身売買まがい」「VRで美少女の体になるのは究極の女体の私物化」 - Togetter
https://togetter.com/li/1588856

ちょっと前に呼んだ記事が、思考実験として面白そうに思った。ちょっと引用しながら考えてみる。

 リアルで生きることに不満を持ったオタク男性たちが美少女になりきってVRをプレイしているらしい。オタク男性たちがいかに女性に対して幻想を抱き、そして女性の体を好きに扱い、モノとして見ているかがわかる。美少女になることがアイデンティティの確立?オタク男性たちのミソジニーの極みだと思う。

世情に疎いのでVRがどんなものなのかよく分からず、「ミソジニー」ってどういう意味なんだっけ?と検索しながら読んでいたりするんだけど、販売されているアバターというのは、以下のようなものらしい。

https://booth.pm/ja/browse/3D%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB

ちょっとよく分かっていないけど、ここにあるものを購入すれば、VRの世界でキャラクターになりきって遊ぶことができるのかな?一部過激なものが陳列されていることもあり、もし自分がそのキャラクターになりきって遊ぶとしたらって想像すると、ちょっとドキドキしてしまった。

なんというか、もし自分が可愛い女の子だったら、どんな風に世界が見えるんだろうというか。もちろん、可愛い人は可愛い人なりに大変なこともあるんだろうと思うし、いいことばかりでもないだろう。でも、憧れちゃうような気持ちになるのは仕方がないのかなぁとも思う。

普段男というのは、「汚い」「がさつ」「下劣」「暴力的」「キモい」というふうに、社会的に(女性に比べて)劣位に置かれている部分がある。劣等感を感じているんだ。だから、その反対となる概念、カーストの最上位にいる「可愛い女の子」というものに、憧れや畏怖の念を持っている。

もちろん、男だけではないだろう。カーストの下位にいる女性や、下位といえないまでも普通レベルの女性でさえ、「自分も可愛いと言われたい」「可愛くなりたい」という気持ちを持っている。だから女性たちはときに化粧をし、ときに可愛い洋服を買い、ときに自分磨きをし、ときに土俵を降りて目立たぬよう暮らしたりする。

そういったねじれがこの社会にあり、ねじれの中で悲しい思いをしているなか、誰だって変身願望を持っていておかしくないのではないか。たとえば、キモい(と社会から評されている)男性が、可愛い女性に憧れて変身したいと望んだところで、そんなに罪なのだろうか。それは、可愛くない(と社会から評されている)女性が、可愛くなりたいと化粧をしたり、洋服を着飾ったり、諦めて立ち去ったりするいじらしい気持ちと何が違うのだろうか。

問題は、可愛いか、可愛くないかだけではない。この社会の中で、人生がうまくいかず悩み苦しんでいる人はたくさんある。思っていたような自分になれない、学校や職場で人間関係がうまくいかない、いじめられている、誰にも褒めてもらえない、他人より劣っている、重い病に苦しんでいる、分かり会える人がいない、人生の終わりが近づいている。人生は、うまく行くことばかりではないばかりか、うまくいかないことがほとんどだ。なにも思い通りにならない。

だから人は想像する。「もし・・・だったら」。もし自分が絶世の美男・美女だったら。もし自分が世界一の格闘家だったら。もし自分が世紀の大天才だったら。もし自分が大富豪だったら。もし自分が猫だったら。もしあの人がいまここにいてくれたら。もしこの世界が優しさに包まれていたなら。

そういった想いが、世界に物語を紡いでいく。考えてみれば、化粧や洋服だけでなく、映画も、自動車も、教育も、仕事も、携帯電話も、人と人との関係も、「いまの自分とは違う何か」「いまの世界を変える何か」「誰かとのつながり」
にドライブされている。人々の祈りや願いや悲しみや悩みが、物語を求め、物語を生み出し、そして新たな祈りや願いや悲しみや悩みを紡いでいく。

だからぼくは思う。彼ら・彼女らは、「女性の体を好きに扱いたい」のではない(もちろん一部にはそういう人もいるだろうけど)。多くの人は、「女性の体を好きに扱いたい」のではなく、ただ単に、「自分のことを好きになりたい」「誰かに気持ちを伝えたい」「誰かと分かり合いたい」と思っているだけなんじゃないかな。
2020-09-16 00:45:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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