メッセージ。 - diary

2025-11-21

# にゃー

ぼくはだいたい寝るのが得意なほうなんだけど、寝るためのコツとか、どうやって寝てるかというと、自分の中にもう一人自分がいて、その人に対してスイッチを切ってるような感じがある。

だから寝るときには、「もう寝ます」とか、「おやすみー」など独り言してから寝ることが多い。このとき、独り言という感じはなくて、本当に外から自分に声をかけている感じ。自分をいくつかに分けるというのは小さい子供のときに身につけた感覚で、これまでのところはうまくいってる。
2025-11-21 08:20:01 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2025-10-24

# にゃー

今日の電車、揺れが少なくてとても助かった。ちょっと揺れたら転びそうな姿勢で乗車していたので。運転手さんや安全運行を支える人たち、見えないところで働いている人たちにありがとうと伝えたい。
2025-10-24 08:20:26 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2025-10-19

# にゃー

Excel方眼紙がいまだに使われている理由はいくつかあるだろうけど、そのうちのいくつかをリストアップしてみる。

(1) 組版ソフトとしてのニーズ
(2) テンプレートシステムとしてのニーズ
(3) インターオペラビリティ(互換性・歴史的理由・惰性・誰でも使えるコモディティ性)

(1)については要するに紙に印刷したいという要件だと思う。組版ソフトというと、InDesignとかIllustratorもあるが、それらはデザイナー業務に寄りすぎていて一般職の人には使いにくい。Latexだと難易度が高すぎるし画像ファイルなどを別管理しないといけない。簡単に組版ができるソフトとして、Excelを方眼紙として活用するテクニックが普及してしまったのだと思う。

(2)については、文書のタイトルや作成者、作成日付、お決まりの文書構造をテンプレートとして作っておいて、穴埋め式で文書を作ることで統一感を持たせたいというニーズに、Excelの機能が合致したということだと思う。
誰が見ても「ここに埋めればいいんだな」と説明なしに分かるし。PDFでも同じようなことができるだろうけど、PDFのほうがより自由度が低いし、テンプレート作成のハードルが高い。

(3) これは要するに機能要件というよりも非機能要件、つまり惰性や社会的要請だね。「いままでこの現場では文書管理をExcel方眼紙で行っていて、変える必要性があまりない」とか、「変えるデメリットより変えないメリットが大きい」といった理由があげられる。Excelなら誰でも使えるでしょという社会的コンセンサスがあって、社外を含めて「このフォーマットで」と指定・共有しやすいし。

個人的には検索性が悪いとかバージョン管理ができない、あるいは見た目・デザインと内容を分離しないと文書作成時に大変とか計算機で取り扱いにくいといった理由でExcel方眼紙はまっく好みではないのだけど、以上のような理由でいまでも現役で使われている理由もまぁ、説明はつく。

逆にいうと、以上のような要件を満たして、かつ検索性やバージョン管理性、作成コスト削減、計算機による再利用性の向上を満たすようなファイルフォーマットが現れてほしいものだが、寡聞にして有力な代替案を知らない。

たぶんそういったツールやフォーマットを作る試みは、たくさんの人が過去に何度も試みているんだと思うのだけれども、とくにインターオペラビリティを中心としたサンクコストが大きすぎて、社会からExcelを駆逐するに至っていないのだと思う。

結局のところは前述のような要件をすべて満たす最大公約数は、とても小さい(抽象度が低い)ものにならざるを得ず、Excelで良いという現場が多いということだろう。
2025-10-19 22:53:26 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2025-10-01

# にゃー

不機嫌や圧力を使って、部下や業者に「YESと言え」と強要する上司や顧客がいるけど、無理矢理YESと言わせたところで問題自体は解消されないので、そんな経緯で進行してしまうプロジェクトはリスクを内在することになる。しかも、そういう上司や顧客は、つねにYESを求め続けるので、リスクは雪だるま式に大きくなってプロジェクト全体は綱渡り級の危険度になってしまう。

そうなると、現場の人間は危険が大きすぎると我先にと逃げ出す。日本の法律では、従業員はいつでも会社を辞める権利があるのでね。で、現場の人間がある程度減るとプロジェクトは破綻する(たぶん)。そうなると困るのは会社(経営陣や株主)なので、そういった事態が起こらないよう、会社は早いタイミングで、そのようなリスクを引き起こす危険因子を特定し、排除したほうがよい。そのためには、現場にしっかり耳を傾けて、適切な人員を配置し、YESと強要することがない文化を醸成することが重要だと思う。

ただまぁ、こんなのはただの希望的観測なのかもしれない。実際には現場の従業員がいくらやめて、あまつさえプロジェクトが炎上したり失敗したとしても、会社の業績や屋台骨にはあまり響かないか、響いたところで経営者も株主もたいして困らないのかもしれない。

でも、現場で働いている人間としては、「YESと言え」環境で働くのは大変しんどいので嫌なんだよなぁ。経営者や株主だって、トラブルになったら嫌だと思うんだけど。
2025-10-01 08:00:20 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2025-09-30

# にゃー

「考えすぎない」ことをテーマにした本があるらしい。でも、考えすぎないこと自体を問題と捉えても仕方がないと思う。

「考えすぎる」という事態がどうして発生しているかというと、原因として「不安」があると思うから。不安だから考えすぎてしまう。「大丈夫かな?」とか「もっとこうしたほうがいいんじゃないかな?」とかうじうじ考えてしまって、何もできないことが問題というパターンがほとんどだろう。

だから不安を取り除かなければ、考えすぎるという状況は変わらない。考えすぎないように、考え方を変えるとか心持ちを変えるとか見方を変えるとかは、まったく意味がないとまでは言わないけど、効果が薄いと思う。じゃあどうすれば考えすぎるのをやめられるかというと、それはもう行動しかない。

考えすぎることの原因は不安で、不安を引き起こしている原因は、現実だ。場合によっては家庭環境などに問題があって、長年のストレスによって不安障害が身体に染み付いてしまっている場合もあるだろうから、短期的にどうにかできる「現実」(外部的な要因)とそうでない「現実」(自己に内在化してしまった要因)があるだろうけど、でもどちらにせよ、そいういった現実を変えるためになんとか行動することが重要だと思う。

結局のところ、「現実」は「行動」によって変えられる。だから行動を起こすことが重要。考えすぎて行動ができないのに、行動することが重要とか言われてもどうしろというんだという話ではあるので、鶏卵の問題なんだけど。のび太の名言で、「うまくなってから練習しよう」という言葉がぼくは大好きなんだけどね。でも、それでも何か行動しないことにはそのループから抜け出せないんだよ。

「そうは言っても」という気持は分かる。だからここで、いいニュースが一つある。ここでいう「行動」というのは、大きなものでなくても大丈夫ということだ。むしろ本当に小さくて、誰の目にも見えないほどのことでいいから、とにかく何かを実行してみること。お水を飲むとかでもいいし、深呼吸してみるとかでも大丈夫。そういう小さいことができたら、次は顔を洗ってみるとか、歯を磨いてみるとか、着替えをしてみるとか、何かを買いに出かけてみるとかができれば素晴らしい。部屋の片付けなんかは最高だし、日記を付けてみるというのもこのうえない。

とにかくなんでも、やれそうな範囲のことからで良いから行動してみる。そんな小さなことでも、何かが変わるんだよ。そうやって現実が少しずつでも変わっていけば、だんだん考えすぎることが減っていくと思う。「考えすぎる」というのは字義通り「考えること」と「行動すること」のバランスが取れていない状態だからね。「考えること」の量を減らすという方法もあるけど、「行動すること」を増やして、とにかくバランスさせることが必要だろう。
2025-09-30 08:02:16 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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