メッセージ。 - にゃー
# にゃー
まったくもって素人ながら、近ごろの世界情勢、とくにアメリカにおいてトランプ旋風が巻き起こっていることについて、ちょっと私見を述べてみる。
この私見のきっかけになったのは、たしかもう1ヶ月ぐらい前かな、に読んだアメリカの小さな町の、田舎の人たちがどういう風にトランプさんを捉えているかとか、どういう風に自分たちの暮らしを捉えているかといった記事を読んだことがきっかけになる。
その記事の中で語られていたのは、結局「自分たちの町から仕事がなくなってしまった」ということ。何も悪いことはしていないし善良に生きていたいだけなのに、どんどん生活が苦しくなっていく。それはなぜかというと、工場がアメリカからなくなって、中国に行ったりインドに行ったりしているからだと。工場が外国に出ていったかわりに、物の価格は確かに安くなったりとかいい面もあるけれども、古き良きアメリカの姿、一生懸命真面目に働けば幸せに暮らせるという暮らしを破壊してしまった、という憤りというか、やりきれなさというかが、市井に暮らす一人の人間として苦しい、という思いを訴えるものだった。
確かにこの感情は分かる部分がある。とくに自分もある程度歳をとってきて、あるいはある程度経済が縮小し続けている日本で暮らしてきて、同じような感想を抱くことはあるから。
とくにプログラマーなんていうのをやっていると、競争相手がグローバルになるわけだよ。仕事をやるにしても、オープンソース活動をやるにしても、世界トップランカーたちと戦わなければならない。でも、ぼくなんかが真正面から戦って勝てるわけがないんだもの。彼らが手を出さないニッチなところで頑張る以外に生き残る道はないし、まあそれでも誰かの役に立つ、何かの役に立ってお金をもらえているならばありがたいことだと思っているけれども。だけど正直しんどいよね。ずるずると土俵際に追い詰められているのを感じる。
競争にさらされるというのは、直接的に「仕事がなくなる」とか「彼らに比べて良い仕事ができない劣等感」という意味でしんどさもあるけれども、ひいては「自分は何のためにいるんだろう」と、存在意義を否定されるような気持ちにもなる。現代は、十分な能力というか、十分以上の能力がないと生きていけない、あるいは生きることを許されないかのような、そういう圧力というか雰囲気というか。それがやっぱり自分の中にも内面化してしまっている。
だからある意味、中国の戦略は正しいというか、中国自身にとってはすごく合理的だと思うんだよ。というのも、外国からの競争を最初からある程度シャットダウンしているから。グレートファイアウォールと俗に言われるように、外のインターネットにはそのまま繋がらないようになっているし。検索エンジンにしてもSNSにしても決済にしても製造業にしても、彼らは自国の産業を守るためのガードを用意して、真っ向からグローバル企業と戦ったり、グローバル企業の言いなりにならないように保護政策をしっかり用意しているわけだよ。
翻って日本にはそういうものはないわけだから。中国は人口規模が大きくて経済規模も大きいのでその分有利であるという条件も元々ありつつ、そういった政策上の合理性というか戦略性というか、そういったものがあることで、やはり自国とその国民を守るということをしているわけだよね。
逆にアメリカに住んでいる一般の善良な市民たち、そして結局同じような日本の市民たちも、そういう保護政策やガード、セーフティネットがない状態で撤退戦を強いられているわけで。真面目にコツコツ暮らしているのに、暮らしがどんどん苦しくなって、生きていることを否定されるような、自分の存在価値を認めてもらえないような、そういう状況にいたら、そりゃあもうどうにかしてほしいと思っちゃうよね。とくにアメリカはさ、ホームレスや小売店の商品略奪など、目に見える形で町の治安が悪化しているし、健康保険などのセーフティネットも乏しい。経済的な意味だけでなく、文化的な面や社会的な面でもすごく不安が大きくなっていると思うんだよね。
そういう中でさ、もうどうにかしてほしい、となるのはまあ当然だよ。だから、いま起こっている現象は、単にトランプ氏の弁舌が巧みだったとか、民主党の政策が悪かったとか、それ以上の、なんていうか、行き過ぎたグローバリゼーションに対する反発というか、市民たちの苦しみの声が形になっているんじゃないかな、というようなことは感じるよね。
そういう意味では、日本だって状況はある程度共通していて、グローバリゼーションによって良かったこともあれば、悪かったこともあって。生活が苦しいよね。日本だけでなく、多分ヨーロッパもそうだし、もしかしたらロシアもそうなのかもしれない。
グローバリゼーションのおかげで、物は安く買えるようになったし、世界全体としては確かに生産性が上がっているんだろうけれども、生産性が上がったことによって、一般の労働者というか、これまで真面目に暮らし、真面目に働き、真面目に誰かのための仕事をしてきた人たちが、その暮らしを続けられなくなっている。全体最適が個別の最適を破壊しているわけだ。モータリゼーションによって馬が仕事を失ったように、現代はグローバリゼーションや大規模経済化によって人間が仕事を失いつつある。
そういう力学が働いていた(る)、というのがおそらく事実なんだと思う。だからさ、グローバリゼーションには良い面もあれば、少し行き過ぎると悪い面もあるというか。グローバリゼーションを進めるにしても、進め方を漸進的にするとか、あるいはそれによってあぶれてしまう人たち、割を食う人たちをどうするか、どうケアするかという問題もあるし。仕事がなくなって、そこに暮らしている人たちが何をすべきなのかという問題とセットで考えられなければいけないよね。そこを今まで誰か論じてきたのだろうか、とは思う。
どうしてこういう状況になっているんだろう。誰かがこうなる方向に駒を進めたんだろうか。あるいは誰の意図でもなく、自然発生的にそういう方向に我々が進んでしまったのだろうか。いずれにしても、現代において、我々はどうありたいのか、どう生きるべきか、幸せとは何なのかということが、あまりにも論じられてなさすぎるように思う。これじゃあグローバル(経済)の奴隷だよ。
この私見のきっかけになったのは、たしかもう1ヶ月ぐらい前かな、に読んだアメリカの小さな町の、田舎の人たちがどういう風にトランプさんを捉えているかとか、どういう風に自分たちの暮らしを捉えているかといった記事を読んだことがきっかけになる。
その記事の中で語られていたのは、結局「自分たちの町から仕事がなくなってしまった」ということ。何も悪いことはしていないし善良に生きていたいだけなのに、どんどん生活が苦しくなっていく。それはなぜかというと、工場がアメリカからなくなって、中国に行ったりインドに行ったりしているからだと。工場が外国に出ていったかわりに、物の価格は確かに安くなったりとかいい面もあるけれども、古き良きアメリカの姿、一生懸命真面目に働けば幸せに暮らせるという暮らしを破壊してしまった、という憤りというか、やりきれなさというかが、市井に暮らす一人の人間として苦しい、という思いを訴えるものだった。
確かにこの感情は分かる部分がある。とくに自分もある程度歳をとってきて、あるいはある程度経済が縮小し続けている日本で暮らしてきて、同じような感想を抱くことはあるから。
とくにプログラマーなんていうのをやっていると、競争相手がグローバルになるわけだよ。仕事をやるにしても、オープンソース活動をやるにしても、世界トップランカーたちと戦わなければならない。でも、ぼくなんかが真正面から戦って勝てるわけがないんだもの。彼らが手を出さないニッチなところで頑張る以外に生き残る道はないし、まあそれでも誰かの役に立つ、何かの役に立ってお金をもらえているならばありがたいことだと思っているけれども。だけど正直しんどいよね。ずるずると土俵際に追い詰められているのを感じる。
競争にさらされるというのは、直接的に「仕事がなくなる」とか「彼らに比べて良い仕事ができない劣等感」という意味でしんどさもあるけれども、ひいては「自分は何のためにいるんだろう」と、存在意義を否定されるような気持ちにもなる。現代は、十分な能力というか、十分以上の能力がないと生きていけない、あるいは生きることを許されないかのような、そういう圧力というか雰囲気というか。それがやっぱり自分の中にも内面化してしまっている。
だからある意味、中国の戦略は正しいというか、中国自身にとってはすごく合理的だと思うんだよ。というのも、外国からの競争を最初からある程度シャットダウンしているから。グレートファイアウォールと俗に言われるように、外のインターネットにはそのまま繋がらないようになっているし。検索エンジンにしてもSNSにしても決済にしても製造業にしても、彼らは自国の産業を守るためのガードを用意して、真っ向からグローバル企業と戦ったり、グローバル企業の言いなりにならないように保護政策をしっかり用意しているわけだよ。
翻って日本にはそういうものはないわけだから。中国は人口規模が大きくて経済規模も大きいのでその分有利であるという条件も元々ありつつ、そういった政策上の合理性というか戦略性というか、そういったものがあることで、やはり自国とその国民を守るということをしているわけだよね。
逆にアメリカに住んでいる一般の善良な市民たち、そして結局同じような日本の市民たちも、そういう保護政策やガード、セーフティネットがない状態で撤退戦を強いられているわけで。真面目にコツコツ暮らしているのに、暮らしがどんどん苦しくなって、生きていることを否定されるような、自分の存在価値を認めてもらえないような、そういう状況にいたら、そりゃあもうどうにかしてほしいと思っちゃうよね。とくにアメリカはさ、ホームレスや小売店の商品略奪など、目に見える形で町の治安が悪化しているし、健康保険などのセーフティネットも乏しい。経済的な意味だけでなく、文化的な面や社会的な面でもすごく不安が大きくなっていると思うんだよね。
そういう中でさ、もうどうにかしてほしい、となるのはまあ当然だよ。だから、いま起こっている現象は、単にトランプ氏の弁舌が巧みだったとか、民主党の政策が悪かったとか、それ以上の、なんていうか、行き過ぎたグローバリゼーションに対する反発というか、市民たちの苦しみの声が形になっているんじゃないかな、というようなことは感じるよね。
そういう意味では、日本だって状況はある程度共通していて、グローバリゼーションによって良かったこともあれば、悪かったこともあって。生活が苦しいよね。日本だけでなく、多分ヨーロッパもそうだし、もしかしたらロシアもそうなのかもしれない。
グローバリゼーションのおかげで、物は安く買えるようになったし、世界全体としては確かに生産性が上がっているんだろうけれども、生産性が上がったことによって、一般の労働者というか、これまで真面目に暮らし、真面目に働き、真面目に誰かのための仕事をしてきた人たちが、その暮らしを続けられなくなっている。全体最適が個別の最適を破壊しているわけだ。モータリゼーションによって馬が仕事を失ったように、現代はグローバリゼーションや大規模経済化によって人間が仕事を失いつつある。
そういう力学が働いていた(る)、というのがおそらく事実なんだと思う。だからさ、グローバリゼーションには良い面もあれば、少し行き過ぎると悪い面もあるというか。グローバリゼーションを進めるにしても、進め方を漸進的にするとか、あるいはそれによってあぶれてしまう人たち、割を食う人たちをどうするか、どうケアするかという問題もあるし。仕事がなくなって、そこに暮らしている人たちが何をすべきなのかという問題とセットで考えられなければいけないよね。そこを今まで誰か論じてきたのだろうか、とは思う。
どうしてこういう状況になっているんだろう。誰かがこうなる方向に駒を進めたんだろうか。あるいは誰の意図でもなく、自然発生的にそういう方向に我々が進んでしまったのだろうか。いずれにしても、現代において、我々はどうありたいのか、どう生きるべきか、幸せとは何なのかということが、あまりにも論じられてなさすぎるように思う。これじゃあグローバル(経済)の奴隷だよ。
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