メッセージ。 - diary

2025-05-16

# にゃー

まったくもって素人ながら、近ごろの世界情勢、とくにアメリカにおいてトランプ旋風が巻き起こっていることについて、ちょっと私見を述べてみる。

この私見のきっかけになったのは、たしかもう1ヶ月ぐらい前かな、に読んだアメリカの小さな町の、田舎の人たちがどういう風にトランプさんを捉えているかとか、どういう風に自分たちの暮らしを捉えているかといった記事を読んだことがきっかけになる。

その記事の中で語られていたのは、結局「自分たちの町から仕事がなくなってしまった」ということ。何も悪いことはしていないし善良に生きていたいだけなのに、どんどん生活が苦しくなっていく。それはなぜかというと、工場がアメリカからなくなって、中国に行ったりインドに行ったりしているからだと。工場が外国に出ていったかわりに、物の価格は確かに安くなったりとかいい面もあるけれども、古き良きアメリカの姿、一生懸命真面目に働けば幸せに暮らせるという暮らしを破壊してしまった、という憤りというか、やりきれなさというかが、市井に暮らす一人の人間として苦しい、という思いを訴えるものだった。

確かにこの感情は分かる部分がある。とくに自分もある程度歳をとってきて、あるいはある程度経済が縮小し続けている日本で暮らしてきて、同じような感想を抱くことはあるから。

とくにプログラマーなんていうのをやっていると、競争相手がグローバルになるわけだよ。仕事をやるにしても、オープンソース活動をやるにしても、世界トップランカーたちと戦わなければならない。でも、ぼくなんかが真正面から戦って勝てるわけがないんだもの。彼らが手を出さないニッチなところで頑張る以外に生き残る道はないし、まあそれでも誰かの役に立つ、何かの役に立ってお金をもらえているならばありがたいことだと思っているけれども。だけど正直しんどいよね。ずるずると土俵際に追い詰められているのを感じる。

競争にさらされるというのは、直接的に「仕事がなくなる」とか「彼らに比べて良い仕事ができない劣等感」という意味でしんどさもあるけれども、ひいては「自分は何のためにいるんだろう」と、存在意義を否定されるような気持ちにもなる。現代は、十分な能力というか、十分以上の能力がないと生きていけない、あるいは生きることを許されないかのような、そういう圧力というか雰囲気というか。それがやっぱり自分の中にも内面化してしまっている。

だからある意味、中国の戦略は正しいというか、中国自身にとってはすごく合理的だと思うんだよ。というのも、外国からの競争を最初からある程度シャットダウンしているから。グレートファイアウォールと俗に言われるように、外のインターネットにはそのまま繋がらないようになっているし。検索エンジンにしてもSNSにしても決済にしても製造業にしても、彼らは自国の産業を守るためのガードを用意して、真っ向からグローバル企業と戦ったり、グローバル企業の言いなりにならないように保護政策をしっかり用意しているわけだよ。

翻って日本にはそういうものはないわけだから。中国は人口規模が大きくて経済規模も大きいのでその分有利であるという条件も元々ありつつ、そういった政策上の合理性というか戦略性というか、そういったものがあることで、やはり自国とその国民を守るということをしているわけだよね。

逆にアメリカに住んでいる一般の善良な市民たち、そして結局同じような日本の市民たちも、そういう保護政策やガード、セーフティネットがない状態で撤退戦を強いられているわけで。真面目にコツコツ暮らしているのに、暮らしがどんどん苦しくなって、生きていることを否定されるような、自分の存在価値を認めてもらえないような、そういう状況にいたら、そりゃあもうどうにかしてほしいと思っちゃうよね。とくにアメリカはさ、ホームレスや小売店の商品略奪など、目に見える形で町の治安が悪化しているし、健康保険などのセーフティネットも乏しい。経済的な意味だけでなく、文化的な面や社会的な面でもすごく不安が大きくなっていると思うんだよね。

そういう中でさ、もうどうにかしてほしい、となるのはまあ当然だよ。だから、いま起こっている現象は、単にトランプ氏の弁舌が巧みだったとか、民主党の政策が悪かったとか、それ以上の、なんていうか、行き過ぎたグローバリゼーションに対する反発というか、市民たちの苦しみの声が形になっているんじゃないかな、というようなことは感じるよね。

そういう意味では、日本だって状況はある程度共通していて、グローバリゼーションによって良かったこともあれば、悪かったこともあって。生活が苦しいよね。日本だけでなく、多分ヨーロッパもそうだし、もしかしたらロシアもそうなのかもしれない。

グローバリゼーションのおかげで、物は安く買えるようになったし、世界全体としては確かに生産性が上がっているんだろうけれども、生産性が上がったことによって、一般の労働者というか、これまで真面目に暮らし、真面目に働き、真面目に誰かのための仕事をしてきた人たちが、その暮らしを続けられなくなっている。全体最適が個別の最適を破壊しているわけだ。モータリゼーションによって馬が仕事を失ったように、現代はグローバリゼーションや大規模経済化によって人間が仕事を失いつつある。

そういう力学が働いていた(る)、というのがおそらく事実なんだと思う。だからさ、グローバリゼーションには良い面もあれば、少し行き過ぎると悪い面もあるというか。グローバリゼーションを進めるにしても、進め方を漸進的にするとか、あるいはそれによってあぶれてしまう人たち、割を食う人たちをどうするか、どうケアするかという問題もあるし。仕事がなくなって、そこに暮らしている人たちが何をすべきなのかという問題とセットで考えられなければいけないよね。そこを今まで誰か論じてきたのだろうか、とは思う。

どうしてこういう状況になっているんだろう。誰かがこうなる方向に駒を進めたんだろうか。あるいは誰の意図でもなく、自然発生的にそういう方向に我々が進んでしまったのだろうか。いずれにしても、現代において、我々はどうありたいのか、どう生きるべきか、幸せとは何なのかということが、あまりにも論じられてなさすぎるように思う。これじゃあグローバル(経済)の奴隷だよ。
2025-05-17 15:34:24 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2025-05-15

# にゃー

音声入力で考えたことをを出力して、生成AIで校正と文章整形をしてもらおうと思ったら↓のような文章になった。お願いした要件が「このメモを整理してブログ記事用の文章にして。友達に語りかけるようなフラットな文体・口調でお願いします。」とざっくりしすぎだったのかもしれないけど、語り口調の調整はまだ(自分のスキル的に)うまくできていない。ううむ。

---- ここから ----
はいよー!ブログ記事っぽくまとめてみたよ!友達に話すみたいなノリで書いてみたから、読んでみてね!

## 開発リポジトリ、ついに日本語化!マジで効率爆上がりした話

最近、個人開発リポジトリを思い切って日本語化してみたんだよね。今まではGitのコミットログとか、頑張って英語で書いてたんだけど…正直、もう限界!って感じになっちゃってさ(笑)。

だってさ、最近生成AIのおかげで開発スピードがマジで上がってるじゃん?そうなると、ボトルネックになるのって結局自分なんだよね。英語でコミットログ書くのって、日本語→英語に変換するコストとか時間が地味にかかるし、過去のログをざっと見返したい時も、英語だとパッと頭に入ってこないんだよね。

でも日本語なら、一覧を見た瞬間に「あ、これだ!」って見つけられるし、経緯もすぐに思い出せる。コミットログって、過去の自分との対話みたいなもんだから、ストレスなく読めるってマジで重要だなって思ったわけ。

今までは「英語の勉強になるし…」って思ってたんだけど、生成AIが出てきてからは、勉強よりもアウトプットに時間を使った方が良くね?って考えに変わったんだよね。

それに、グローバルに公開するソフトウェアとか、公益性の高いものなら英語は必須だと思うけど、自分のリポジトリって、ほとんど自分しか見ないじゃん?だったら、トレーニング以外の用途で英語を書く意味ってほぼないよねって。

今はマジで生産性重視!生成AIをガンガン活用して、どれだけアウトプット出せるかにフォーカスしてるんだ。

### 翻訳ツールがあれば英語じゃなくても良くね?問題

翻訳ツールも進化してるから、読む側が頑張れば英語でもなんとかなる…って思った時期もあったんだけどさ。でも、結局ツールを使っても、パッと見てパッと理解できるレベルにはまだなってないんだよね。

だったら、自分が一番見やすいように、自分が一番効率良く開発できるようにするのが一番良くね?って結論に至ったわけ。

だって、リポジトリを一番見て、コードをこねくり回すのって、結局自分じゃん?マジな話、コメントも日本語で書いた方が早いし、理解度も全然違うんだよね。

だから、プライベートなコードとか、外国の人が見る可能性がないコードは、コメントも含めて日本語で書くようにしてる。さすがに関数名とか変数名まで日本語にするつもりはないけどね(笑)。

### まとめ:生産性爆上げには、自分にとって最適な環境を作ることが重要!

今回の日本語化で、マジで開発効率が上がったから、同じような悩みを持ってる人がいたら、ぜひ試してみてほしい!

結局、開発って自分との戦いだから、自分にとって一番ストレスなく、一番効率良く作業できる環境を作ることが、マジで重要だなって改めて実感したよ!

みんなも、自分の開発環境を見直して、爆速開発ライフを送ろうぜ!
---- ここまで ----

これじゃあギャルじゃん。「友達」のステレオタイプが強いということでもあるかな。元の文体から変わりすぎなんだよね。元の文体を使ってペルソナ化してくれればいいと思うけど、そういう処理にはなっていない模様。文章の趣旨は変わってないんだけど、ニュアンスとかは良くも悪くも変わっていて、まぁ面白い。いずれにせよもっとガンガン試さないといけないフェーズだと思っている(遅ればせながら)。
2025-05-15 21:01:28 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2025-05-13

# にゃー

最近、生成AIにある程度大きい要件を入力してプログラムを生成してもらう実験をしている。ある程度最近の賢いモデルであればそれなりのプログラムを一発で生成してくれるのだけど、生成されたコードをレビューするのが憂鬱という問題が出てきた。

もうコードレビューは諦めて、実際のデータを食わせて試してみるという手もあるかもしれない。けれども試してみたのは複雑なロジックに基づいてたくさんの数値を集計、出力するという要件なので、その方法では出力された数値が正しいかどうかは分からない。そういう意味では自分の手で書いたコードのほうが構造とかをよく理解できるし、理解しようという気にもなる。

そう考えると、生成AIを使う場合でも、インクリメンタルに機能を追加して都度テストをしていくようなやり方のほうが良さそうな気がするね。結局人間の限界としてというか、やる気という貴重なリソースをどういう風に確保するかという問題だよ。これは。

入力と出力が期待通りになっているかっていうチェックも、本来はちゃんとやった方がいいんだろうけれども、それはそれで面倒くさいよね。とくに大きな要件でドカンと作った場合。このデータだったらこう、このデータだったらこうってテストコードを人間が書くんだったら、それはそれで人間の不得意な仕事だしさ。かといって、要件をもとにテストコードも自動でAIに生成してもらったら、それって結局どうなの?という感じはする。つまり、与える要件が必要十分であるかどうかと、生成AIが正しくて必要十分なコードを生成できているかどうかという2つのリスクがあるわけだよ。

もういっそのこと、MAGIシステムのように複数のシステムに同じ要件を与えて同じ結果を出すかどうかを確認するというようなやり方の方が最終的にはいいのかもしれないね。まあ、そもそもの要件がダメだったらだめなんだけれども、そこは別の方法で担保するとして。

自分で1から手で書くよりは楽だったり面白かったりというのはあるから、まあまだしばらくはこういう遊びを色々やってみようとは思っている。
2025-05-14 05:52:57 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2025-04-15

# にゃー

自分へのメモ。Google検索をやめるべき。正確にいえば、調べものをするときはまず生成AIに聞くべき。情報の裏取りをしたい場合などだけ、これからはGoogle検索を使おう。

というのも、これまでの習慣で調べものにはGoogle検索を使っていたけど、まったくもって効率が悪いことに気がついたから。しかも、これは何度目かの気付きだ。

生成AIだと一発で満足いく結果が返るような調査も、Google検索だとかなり時間を浪費してしまう。心情的には抵抗があるけど、常識が変わったと受け容れるしかない。
2025-04-15 08:00:24 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2025-03-13

# にゃー

世の中は生成AIがすごく盛り上がっているけど、一方で現実世界に目を向けてみると、あいかわらず何を言っているのか要件がよく分からないコミュニケーションが人間間で頻発していてひどい有様だ。今後も、要件がよく分からないものを生成AIに翻訳して伝える仕事がまだまだありそうで、戦々恐々とした思いだ。
2025-03-13 21:02:42 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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