メッセージ。 - 自分と表現

# 自分と表現

Shiro
http://practical-scheme.net/wiliki/wiliki.cgi?Shiro
 「プライド」を忌避したり隠したりするのではなく、春になったらコートを脱ぐように、気軽に脱ぎ捨てるコツを身につけることが肝心だ。
 
 それにはどうすればよいか。方法のひとつは、モノを作り、それを衆目に晒し、批評に耳を傾けることだ。あなたがあなた自身をどう思っているかにかかわらず、あなたの作品は現在のあなたを残酷なまでにはっきりと表現する。(一部略)
 
 そうやって「自分が思っている自分」と「表現し得る自分」とのギャップを何度も感じているうちに、奇妙な主客の転倒が起きる。
 
 自分が作品を作るのではない。何か大きなものが、自分に作品を作らせていることに気づくのだ。
 
 その大きなものに比べたら、「プライド」などはごく瑣末なものにすぎない。瑣末であっても使える時はある。例えばしばらく表現することをさぼっていると「プライド」の殻がくっついてくるが、それは生き方が守りに入っているシグナルとして使える。攻めるばかりの人生も疲れるので、守りに入ることは別に悪いことじゃない。ただそれをわかってやっているかどうかは大きな違いになり得る。 

綺麗な感覚だなぁ。自分もそのように信じるほうだけど、でもそのことをはっきりと活字にするには大きなエネルギーが必要で、しかも表現というものについてある程度確信が持てなければ書けないだろうと考える。とくにここに書かれているようなことは、科学的というよりは観念的で、事実というよりは信念に近い(そう感じる人もいるだろう)。だから活字にするのはためらわれる部分もあったのではないかと思う。でもとにかく、そういう面から見ても、たぶん表現というのはそういうものだろうなと思う。
2007-12-03 04:37:01 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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