メッセージ。 - 社員と役員の違いはなにか
# 社員と役員の違いはなにか
http://www.jitu.org/~tko/cgi-bin/bakagaiku.rb?bakaid=200712041
この話。本質的には、これは必ずしも有給でなくても良いいのではないかと考える。
たとえば、この社員がもし役員であったならば、有給でなくても問題ないというのには、あなたは同意してくれるだろう。
じゃあ、次に、「すべての社員を役員とする」という会社の形態については認めてくれるだろうか?
もしトヨタがそういう会社なら、そういう活動を無給でやらせても問題はないだろうと考える。(問題はあるという見方もある。でもこの見方に注目する人にはこう問いたい。「そうでないやり方に問題はないのか?」。これはもっと掘り下げて考えるべき問題だと考える)
端的にいうと、ぼくは現在のように役員と社員を区別する企業形態の実効性を疑問視している。そして、このような疑問視は素朴な見方だと思っている。どうして役員と社員は、分けて扱われなければならないのか? 現代の企業形態の常識だというのなら、大きな間違いを含む危険性をもっと気にしたほうがいい。それは天動説が常識だといって地動説を排するのに似ている。
この話。本質的には、これは必ずしも有給でなくても良いいのではないかと考える。
たとえば、この社員がもし役員であったならば、有給でなくても問題ないというのには、あなたは同意してくれるだろう。
じゃあ、次に、「すべての社員を役員とする」という会社の形態については認めてくれるだろうか?
もしトヨタがそういう会社なら、そういう活動を無給でやらせても問題はないだろうと考える。(問題はあるという見方もある。でもこの見方に注目する人にはこう問いたい。「そうでないやり方に問題はないのか?」。これはもっと掘り下げて考えるべき問題だと考える)
端的にいうと、ぼくは現在のように役員と社員を区別する企業形態の実効性を疑問視している。そして、このような疑問視は素朴な見方だと思っている。どうして役員と社員は、分けて扱われなければならないのか? 現代の企業形態の常識だというのなら、大きな間違いを含む危険性をもっと気にしたほうがいい。それは天動説が常識だといって地動説を排するのに似ている。
Comment
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また、役員にはそれ相応の権限(と報酬)が与えられてしかるべきです。「すべての社員を役員とする」のは少数精鋭のベンチャーでもないと無理ではないでしょうか。
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まず今回の件の本質ですが、必ずしも「労働に対する対価が支払われていないこと」ではありません。問題というのは、着眼点によって本質が違ってくるからです。一面だけを見て何かを言い切るのは、危険なことだと考えます。
それで、ええと本題ですが。まちゅさんがおっしゃられるような観点は理解できますし、そのような観点が妥当性をもっている可能性をある程度支持します。ただぼくは、必ずしも労働に対して対価が支払われるべきだとは考えていません。
どちらかというと、「労働が生み出した利益」に対して対価が支払われてもいいんじゃないかと考えています。つまり、いくら労働をしたからといって、その労働が利益を生み出していないのなら、受け取る対価は少なくてもよいだろうと。
これは結局、「会社と社員は一蓮托生だ」という考えに基づいています。やる気のない万年平社員にとっても、バリバリ働く役員にとっても、会社というのは1つの自己実現の場所です。会社そのものがなくなってしまうことは、社員にとっても役員にとっても不本意なことです。
「役員にはそれ相応の権限(と報酬)が与えられてしかるべき」というのは確かにそうでしょう。しかし同時に、「社員にはそれ相応の権限(と報酬)が与えられてしかるべき」だと思うのです。役員と社員のあいだに線を引き、彼らを2つに分ける必要などどこにあるのでしょうか。
ただ会社というのは1つではありません。100個の会社があれば100個のやり方がある。だから1つの形態として、役員と社員を分けるやり方をぼくは否定しません。そういうやり方はあっていいと思います。しかし同時に、そうでないやり方もあっていいと思うのです。また、そういうやり方は、少数精鋭のベンチャー以外でも成立する可能性はあると考えています。それはどちらかというとアジア的な商習慣に近く、実績ゼロというわけではないと思っています。
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