メッセージ。 - 大阪すごいなぁ
# 大阪すごいなぁ
帰省して大阪の街を歩いているのだけど、
大阪すごいなぁ東京や横浜とずいぶん違うなぁと感じた。
たとえば今日、ビックカメラに行こうと難波のあたりを歩いていたのだけど、
サンマルクの系列?の普通のカレー屋さんがあって、まぁ小綺麗な普通の
カレー屋さんなわけ。「お、こんなカレー屋さんいいなぁ」
(横浜はカレー屋さんが少ないので)なんて思って前を通りすぎようとしたら、
びっこを引いた男の人(30歳代ぐらいの人)が歩いてきて、
そのカレー屋さんに入った。なんかねぇ。その光景が新鮮で。
まず東京や横浜だと、びっこを引いた男の人ってほとんど見ない気がする。
難波と言ったら、大阪の中心に近い場所で十分な都会なわけなんだよね。
そういう綺麗な場所で、びっこを引いた30歳代ぐらいの男の人ってのが
普通の綺麗なお店に入るというのは、不思議な感じ。
たとえば東京で、キモオタが普通の店に入ることって、けっこう憚られる
感じがするのだけど、大阪ではそもそも、街全体に「はばかられる感じ」が
少ないのかなぁと思った。
よく見てみると、街を歩いている人たちの風体に生活感が感じられて、
小綺麗な格好をしている人というのは、決して多数派ではない。
でも別に、そういった小綺麗でない格好がはばかられるわけではなくて、
普通に街の中に溶け込んでる。
そういうような感じは、東京や横浜ではあまりないような気がする。
あと、その後で家の近所まで帰ってきてすき家に入ったのだけど、
そこでもちょっと変わった光景を目にした。
それも40歳ぐらいかなぁ、くたびれた感じのおばさんがお客として来ていて、
店員に対してなんかゴニョゴニョ話してる。店員さんはその人の言葉がよく
分からないようで、手振りを交えながら「オーケー」とか言っていた。
「外人さんなのかなぁ」と思っていたら、
そのおばさんはしつこくゴニョゴニョゴニョゴニョ店員さんに声をかける。
大晦日でバイトの手が足りないのだろう。そのときお店には1人しか店員さんが
いなくて、お客がなんにんか待っているので、その人につきっきりになるわけには
いかない。
なのにそのおばさんは、ゴニョゴニョゴニョゴニョ話しかける。
店員さんもほかのお客さんも、「この人はどんな人で、何を言おうとしているのか」と
いぶかしがっていた。それでそのゴニョゴニョ言っているのを聞くともなしに
聞いてみると、どうもそのおばさんは日本人だけど耳が聞こえないらしい。
耳が聞こえないけど、つたないながらも言葉を話すことができるおばさん。
抑揚や切れ目のない言葉に耳を傾けてみると、持ち帰りで○○を、いま店内で
××を食べたい、などと言ってるみたい。しかもサラダも付けてくれとか、
自分が先に来たのになかなか食事が出てこないとか、そういうことを
言っているらしいことが分かった。
店員さんも偉くって、若いのにじっと相手の顔を見て手振りを見て、
戸惑いながらも何を言おうとしているのか理解し、また店員として
お客さんの要求にきちんと答えようとしていた。
なにしろ店員さんが1人しかいないので(途中で2人に増えたけど)、
そこにいるお客さんたちはみな、ちょっと困った場所に来たなぁという顔をしたり、
でもまぁそういうもんだという顔をしたりしながら、食事が出てくるのを待っていた。
ぼくもそういう顔をしながら、牛丼を待って、店内の備え付けをじっと見たりして
時間を過ごしていたのだけど。
正直なところ、そんなおばさんなんて、厄介なことこのうえないわけだよね。
だから普通はかかわりあいになりたくなんてないし、実際東京や横浜にいたら、
かかわりあいにならなくって済む。東京や横浜ではどうしてかかわりあいに
ならなくって済むかというと、それはやっぱり、そういう人を家から出さない人がいて
本人も家から出ないようにしているという現実がある
ということなんじゃないかと思う。
東京や横浜では、そんな風に耳が聞こえないおばさんが、一人でお店に買い物に
来るなんてことはほとんどないんじゃないかな。(下町ではあるかもしれない)
ぼくは行動範囲が狭いので、偏った見方をしているかもしれないけど、
大阪の街をちょっと歩いてみて、一日でそういう出来事に2つも遭遇したので、
驚きのような感じを受けたのでした。
大阪すごいなぁ東京や横浜とずいぶん違うなぁと感じた。
たとえば今日、ビックカメラに行こうと難波のあたりを歩いていたのだけど、
サンマルクの系列?の普通のカレー屋さんがあって、まぁ小綺麗な普通の
カレー屋さんなわけ。「お、こんなカレー屋さんいいなぁ」
(横浜はカレー屋さんが少ないので)なんて思って前を通りすぎようとしたら、
びっこを引いた男の人(30歳代ぐらいの人)が歩いてきて、
そのカレー屋さんに入った。なんかねぇ。その光景が新鮮で。
まず東京や横浜だと、びっこを引いた男の人ってほとんど見ない気がする。
難波と言ったら、大阪の中心に近い場所で十分な都会なわけなんだよね。
そういう綺麗な場所で、びっこを引いた30歳代ぐらいの男の人ってのが
普通の綺麗なお店に入るというのは、不思議な感じ。
たとえば東京で、キモオタが普通の店に入ることって、けっこう憚られる
感じがするのだけど、大阪ではそもそも、街全体に「はばかられる感じ」が
少ないのかなぁと思った。
よく見てみると、街を歩いている人たちの風体に生活感が感じられて、
小綺麗な格好をしている人というのは、決して多数派ではない。
でも別に、そういった小綺麗でない格好がはばかられるわけではなくて、
普通に街の中に溶け込んでる。
そういうような感じは、東京や横浜ではあまりないような気がする。
あと、その後で家の近所まで帰ってきてすき家に入ったのだけど、
そこでもちょっと変わった光景を目にした。
それも40歳ぐらいかなぁ、くたびれた感じのおばさんがお客として来ていて、
店員に対してなんかゴニョゴニョ話してる。店員さんはその人の言葉がよく
分からないようで、手振りを交えながら「オーケー」とか言っていた。
「外人さんなのかなぁ」と思っていたら、
そのおばさんはしつこくゴニョゴニョゴニョゴニョ店員さんに声をかける。
大晦日でバイトの手が足りないのだろう。そのときお店には1人しか店員さんが
いなくて、お客がなんにんか待っているので、その人につきっきりになるわけには
いかない。
なのにそのおばさんは、ゴニョゴニョゴニョゴニョ話しかける。
店員さんもほかのお客さんも、「この人はどんな人で、何を言おうとしているのか」と
いぶかしがっていた。それでそのゴニョゴニョ言っているのを聞くともなしに
聞いてみると、どうもそのおばさんは日本人だけど耳が聞こえないらしい。
耳が聞こえないけど、つたないながらも言葉を話すことができるおばさん。
抑揚や切れ目のない言葉に耳を傾けてみると、持ち帰りで○○を、いま店内で
××を食べたい、などと言ってるみたい。しかもサラダも付けてくれとか、
自分が先に来たのになかなか食事が出てこないとか、そういうことを
言っているらしいことが分かった。
店員さんも偉くって、若いのにじっと相手の顔を見て手振りを見て、
戸惑いながらも何を言おうとしているのか理解し、また店員として
お客さんの要求にきちんと答えようとしていた。
なにしろ店員さんが1人しかいないので(途中で2人に増えたけど)、
そこにいるお客さんたちはみな、ちょっと困った場所に来たなぁという顔をしたり、
でもまぁそういうもんだという顔をしたりしながら、食事が出てくるのを待っていた。
ぼくもそういう顔をしながら、牛丼を待って、店内の備え付けをじっと見たりして
時間を過ごしていたのだけど。
正直なところ、そんなおばさんなんて、厄介なことこのうえないわけだよね。
だから普通はかかわりあいになりたくなんてないし、実際東京や横浜にいたら、
かかわりあいにならなくって済む。東京や横浜ではどうしてかかわりあいに
ならなくって済むかというと、それはやっぱり、そういう人を家から出さない人がいて
本人も家から出ないようにしているという現実がある
ということなんじゃないかと思う。
東京や横浜では、そんな風に耳が聞こえないおばさんが、一人でお店に買い物に
来るなんてことはほとんどないんじゃないかな。(下町ではあるかもしれない)
ぼくは行動範囲が狭いので、偏った見方をしているかもしれないけど、
大阪の街をちょっと歩いてみて、一日でそういう出来事に2つも遭遇したので、
驚きのような感じを受けたのでした。
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