メッセージ。 - システムの設計思想について

# システムの設計思想について

システムってのは、基本的にかけ算でとらえることが適切だと思う。たとえば梃子(てこ)みたいなものだ。梃子では、支点・力点・作用点を調節することで、力を何倍にも強めることができる。これと同じでシステムも、ある種の力(リソース)を何倍にも強めたり縮めたりできる。梃子の仕組みがシンプルなように、システムもまた一番基本の部分ではシンプルだ。

たとえば万力は梃子の一種だと考えられるけど、使い方を間違えれば大きな怪我の元になる。パッと見では予想できないような大きな力が、ある一点にかかるからだ。万力や梃子やシステムを使う人は、ある程度その道具に通じている必要があるし、十分注意して使わなければいけない。

これらの道具を開発・導入するにあたって、「梃子の力が大きすぎて危険だ」という意見が出ることがある。たしかに梃子の力は、十分うまくコントロールできてこそ道具としての実用性を満たす。使用者のスキルが確保できるかや、必要以上のスペックでないかどうかは、慎重に見極めなければならないと思う。

ただし、反対派の意見が「梃子の力が大きすぎて危険だ」の後にこう続くことに対して、ぼくは疑問を提出する。つまり、「梃子を使うのをやめて、もっと労働集約的な方法に切り替えよう」という意見だ。梃子が危険で、十分注意すべき対象であることにはぼくも同意する。しかし、だからといって梃子そのものの使用を否定したり、梃子の力のほとんどすべてをスポイルするやり方は、どうも違うのではないか。

使用者のスキルや、コントロール能力について不安があるのは分かる。だからそれは「十分に」注意して扱う必要がある。ただその問題への対策は、梃子の設計とは別の部分でやってはどうだろうか。梃子は梃子としての性能設計をきちんとデザインして、それをコントロールする部分や運用する部分に労働集約的手法を適用できないだろうか。そのほうが健全ではないだろうか。
2008-02-20 23:39:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。