メッセージ。 - 企業の合併
# 企業の合併
パナソニックとサンヨーが合併するらしい。テレビで、企業の合併が進んでいるということを報じていた。パナソニックもサンヨーもメーカーだけど、メーカーにかかわらず、このところ企業の合併が進んでいるらしい。たとえば、家電量販店とかスーパーとか。で、ドラッグストアなんかはまだ群雄割拠の時代で、マツキヨでさえ市場シェアが1割ぐらい、これから合併が進むだろうと言われてるんだって。合併しようとしている人たちは、こんなことを言っていた。「合併することで、価格競争力が出てくる」と。
で、これはきっと要するに、カルテルってことなんだよなぁ。つまりドラッグストアで考えると分かりやすいけど、狭い地域にいくつものドラッグストアがあると、価格競争せざるを得なくなる。マツキヨとハックドラッグとどっちが安いか、みたいな。そういう競争を続けるのは、各ドラッグストアにとって痛い。できれば価格は下げたくないから、競争なんかしたくない。
ドラッグストア同士で連携して(つまり談合して)価格を高く維持できれば、利益率をある程度確保できる。でもこれはカルテルで違法だからダメ。で、どうするかという答えが、要するに「合併」なんだろうなと思った。談合して「同じ会社」であれば、各店で価格が同じでも問題がない。そりゃ、小売店にとってはお得だわな。
今日のパナソニックとサンヨーの合併報道では、家電量販店の人が「家電量販店の合併はメーカーの合併に影響しているのか?」と尋かれて、こんなことを言っていた。「合併が進んでくれば、小売店にとってもメーカーにとっても、今のような低い利益率という状態を改善できるだろうとは考えている」と。
小売店やメーカーにとどまらず、銀行なんかに至るまで、最近はいろんな企業の合併が進んでいる。これは要するにカルテルの存在を許しているというか、手綱を緩めているという状態なわけで、社会主義的な傾向を強めているんじゃないかと思う。かなり純粋な民主主義ならば、このようなカルテルは許さないのではないか。
ぼくはカルテルが悪いとは言わない。カルテルという存在も、社会においては0か1かではなくて、つねに「0と1の間」にあると思うからだ。カルテル度ゼロの社会は存在しないし、カルテル度1の社会も存在しない(ソビエトなんかはカルテル度1だったのかもしれないけど、腐敗が進んだのか崩壊してしまった)。状況によっては、カルテル度を上げ下げすることは、社会や政治にとって必要なことなのではないかと思う。
そして、現在の日本でこのようにカルテル度が上がっていく(カルテル度の上昇を許す)状況というのは、市場において企業というプレーヤーが疲弊し、競争を続けるだけの体力を失なっていることを裏付けているのかもしれない。あるいは「国際競争」というものが存在感を強め、国家間の代理戦争の様相を呈しているのかもしれない。つまり、国内のパイを争って疲弊するのではなく、国間の競争に立ち向かわなければならないという状況にあるのではないか、と。まぁでも前者の情勢がメインかな。
ええと、なんだ。単にテレビを見ていて思ったこと、でした。
で、これはきっと要するに、カルテルってことなんだよなぁ。つまりドラッグストアで考えると分かりやすいけど、狭い地域にいくつものドラッグストアがあると、価格競争せざるを得なくなる。マツキヨとハックドラッグとどっちが安いか、みたいな。そういう競争を続けるのは、各ドラッグストアにとって痛い。できれば価格は下げたくないから、競争なんかしたくない。
ドラッグストア同士で連携して(つまり談合して)価格を高く維持できれば、利益率をある程度確保できる。でもこれはカルテルで違法だからダメ。で、どうするかという答えが、要するに「合併」なんだろうなと思った。談合して「同じ会社」であれば、各店で価格が同じでも問題がない。そりゃ、小売店にとってはお得だわな。
今日のパナソニックとサンヨーの合併報道では、家電量販店の人が「家電量販店の合併はメーカーの合併に影響しているのか?」と尋かれて、こんなことを言っていた。「合併が進んでくれば、小売店にとってもメーカーにとっても、今のような低い利益率という状態を改善できるだろうとは考えている」と。
小売店やメーカーにとどまらず、銀行なんかに至るまで、最近はいろんな企業の合併が進んでいる。これは要するにカルテルの存在を許しているというか、手綱を緩めているという状態なわけで、社会主義的な傾向を強めているんじゃないかと思う。かなり純粋な民主主義ならば、このようなカルテルは許さないのではないか。
ぼくはカルテルが悪いとは言わない。カルテルという存在も、社会においては0か1かではなくて、つねに「0と1の間」にあると思うからだ。カルテル度ゼロの社会は存在しないし、カルテル度1の社会も存在しない(ソビエトなんかはカルテル度1だったのかもしれないけど、腐敗が進んだのか崩壊してしまった)。状況によっては、カルテル度を上げ下げすることは、社会や政治にとって必要なことなのではないかと思う。
そして、現在の日本でこのようにカルテル度が上がっていく(カルテル度の上昇を許す)状況というのは、市場において企業というプレーヤーが疲弊し、競争を続けるだけの体力を失なっていることを裏付けているのかもしれない。あるいは「国際競争」というものが存在感を強め、国家間の代理戦争の様相を呈しているのかもしれない。つまり、国内のパイを争って疲弊するのではなく、国間の競争に立ち向かわなければならないという状況にあるのではないか、と。まぁでも前者の情勢がメインかな。
ええと、なんだ。単にテレビを見ていて思ったこと、でした。
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