メッセージ。 - テレビの感想(NHKスペシャル|セーフティーネット・クライシスII 非正規労働者を守れるか)

# テレビの感想(NHKスペシャル|セーフティーネット・クライシスII 非正規労働者を守れるか)

NHKスペシャル|セーフティーネット・クライシスII 非正規労働者を守れるか

という番組を見て興味深かった。とくに、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが話されていたことが印象に残った。いわく、「この年末年始の連休は12月26日の金曜日から始まり、1月5日まで続く。これは平年よりも長いのですが、皆さんはご存知ですか? 解雇された労働者の方々の話を聞いていると、その連休の間、どうやって暮らせばいいかと皆心配している。役所も関連施設も年末年始は閉まるので、どこにも助けを求められない。連休を無事に過ごせるか分からない。それくらい切羽詰まっているんですよ」と。大変重い言葉だと感じられた。

また彼は、つい昨年あたりに過去最高益を出していながら今年は派遣労働者を大量に解雇するという自動車メーカーに対し、どうしてもう少しでも労働者を保護できないのかと訴えていた。企業活動はボランティアではないし、利益も出さなければならない。また現在の世界同時不況はたいへんに苛烈で、企業として生き残りのために奮闘努力しなければならない。それは分かるが、放り出された労働者はこの冬を越せるかどうかの状況にあるという内容だ。彼の言葉に反論することは難しい。

以下、番組を見ていて思ったことなど。日本では、社会不信が蔓延している。社会保障の制度はいちおう存在するけど、労働者の側はそれを知らなかったり、申請するのを面倒がったりしている。年金も、健康保険も、税金も、しくみが複雑すぎる。ふつうの日本人で、年金や健康保険や税金についてちゃんと理解している人がどれだけいるだろうか。すべての国民が知っているべきしくみで、国民を助けるためにあるのに、それは義務教育では教えられない。親も知らない。いったい誰が教えてくれるというんだろうか。

どんな優れた制度も、知らなければ使えない。為政者たちは、労働者たちにたいして「こういう制度がありますよ」と教えてまわるべきじゃないんだろうか。ところが現実は逆だ。労働者たちが制度を知らなければ、歳出を抑えられる。だから役所の人間は、労働者たちにできるだけ馬鹿でいてもらいたいと思っているんじゃないだろうか。そこにあるのは絶望的な相互不信だ。労働者たちのほうも役人にたいして不信感をもっている。役人や社会が、自分を救ってくれるとは思えない。だから何かを申請したり、救いの手を求めることをおそれたりする。

前述の湯浅さんは、社会保障を手厚くすべきと言っていた。職をうしなった人に職業訓練をほどこしたり、住まいのない人に住まいを提供したり、社会保障の制度をうまく使えるようにサポートしたりすべきだと。そして、消費税についても。そもそも老年人口がおおくなって社会保障費を確保できなくなるおそれがあったから、消費税を導入するという話になった。しかし消費税を導入したあとも医療負担増などで社会保障費が足りない状況になっている。老年人口の増加にあいまって、非正規雇用の人も増えている現在、社会保障費はますます足りない状況になりつつある。

こういった状況に対して消費税にもとづく歳入を上げたいという考えは分かるが、消費税の導入によってもっとも苦しむのは、ほんらい社会保障費でまかなうべきだった老年人口や失業者、非正規雇用の人間だと湯浅さんは指摘していた。消費税の増額は必要なのだろうが、社会保障の改善やいったんドロップアウトした人たちの再起の仕組みを作らないで消費税だけ増額すれば、問題はおおきくなるばかりだと。

ドロップアウトした人を再教育する仕組みが必要だという意見があった後で、スーツを来た国政側の人間はこんなことを言っていた。「再教育をしようとなんども試みたが、うまくいかなかった。社会保障を手厚くしようとお金を用意すると、お金だけかすめとろうとする人間だっている」。ぼくはそれを聞いて、要するにそこにあるのは不信だと思った。再教育しようとする側が生徒を信頼できていない。リスペクトがないから教育がうまくいかないのだ。同じことは生徒の側にも言えるだろう。生徒が先生をリスペクトしていないから、教育を受ける効果が上がらないのだ。

ぼくが日本で問題だと思うのは、不信があまりにも蔓延していることだ。労働者も役人も、「相手は悪いことをしようとしている。怠慢な人間だ」と不信をもっている。目の前にいる人にかかわることをおそれているし、自分になにかあったときに助けてもらえるとは思っていない。ある種のムラ的構造が保存されていて、身内以外は信用しない。そしてなお悪いことに、核家族化がすすんで身内がとても少なくなっている。失業した労働者たちを見ていると、ぼくなんかは「いったん実家に帰ればいいのに」と思う。でも画面に出てくる人はだれも「実家に帰る」という言葉を口にしない。テレビのコメンテーターたちも、口にしない。

彼らに帰る実家はないんだろうか。ないのかもしれないし、実家がないことが悪いと思わない。ただ、そういった身寄りのない人たちがたくさんいて、どこにも助けを求められずにもがいているのだとしたら、それは問題だろうと思う。家族や地域の構造は、ここ数十年おおきく変化してきた。むかしにおいては、「セーフティネット」というのは、「家族」や「地域」だったのだろう。なにかあったら家族や親戚が助けてくれるし、都会で仕事を失えば地域に帰るという手があった。地域にも仕事があっただろう。しかしいまでは、そういったセーフティネットが失われてしまったのではないか。

番組の終盤で、東京大学教授の神野直彦さんがおっしゃっていたのは、やはり信頼の問題だった。いまの日本には人のあいだの信頼がないと。いくら制度が充実してお金が用意されていても、相互に信頼する関係がないならば、日本人のあいだに幸せは訪れないだろうと。ぼくはこの意見に心から同意する。そして相互信頼が日本に訪れるためには、哲学が必要ではないかと思うのだ。たとえば、問題を解決しようという意志や、問題を解決したいと思わせる人の絆。自立と自律にもとづいた人や地域。そういったものが日本の社会で育ってほしいと思う。
2008-12-15 22:30:44 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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