メッセージ。 - メモ(日本人の所属の感覚)

# メモ(日本人の所属の感覚)

もう記憶が定かではないのだけど、カリフォルニアでは公の場所は禁煙ということを当地旅行中に聞いた。公道の禁煙はもちろんのこととして、喫茶店やレストランといった店舗内でも禁煙らしい。とくに店舗内で禁煙の理由が、日本とずいぶん違うなぁと感じたのだった。

その理由というのは、「喫茶店やレストランの禁煙は、そこで働く従業員の健康保護のため」というものだった。もし喫茶店やレストランが喫煙可能だったら、そこで働く従業員が健康を害するからダメということだ。これを聞いて違和感を感じた。日本でこんな理由がまかりとおるだろうか?

一日本人であるぼくの感覚(先入観)からすれば、そんなものは店側の都合であって、客側が譲歩を強いられるいわれはない。客に不便を強いる理由として「従業員の健康を害するから」なんてのは、日本では通らないのではないかとおもった。でもよく考えてみれば、カリフォルニア方式にも理がある。従業員の健康だって大事だ。そのことを、ぼくはどうして忘れていたのだろう?

この違和感にはいくつかの日米の常識や社会観が関係していて、そのうちの1つは、「そっち」と「こっち」の感覚の違いがあるのかなぁとおもった。日本においては、「そっち」と「こっち」は大きく分断されている。「そっち」の利害と「こっち」の利害は大きく対立していて、それぞれのグループは自らの利益を最大化すべく行動していると。

あるグループは、自グループの利益を最大化すべく、自グループのシステムを調整する。たとえばレストランというグループは、自分が持つ店舗を禁煙とするか喫煙とするかを検討し、利益が大きくなるほうを選択する。従業員の健康は、彼らの保険・保障や利益と天秤にかけられ、できるだけ彼らの健康を維持しながら利益が最大化できる方策が探られるだろう。

従業員の健康を心配すべきはそのグループやグループのメンバーであって、グループ外の人間が口を出す問題ではないという感覚が、日本人にはあるのではないか。つまり、日本ではグループという共同体が利害の主体であって、個人は共同体に強く属している。そして、個々人は、他者が属する共同体でどんなルール・システムが敷かれていても、とくに関知しない。逆に言えば共同体の自治権は比較的強く、個々人からしてみれば、自共同体内での発言権を向上することがなによりも重要になる?とか。

うーん、なんかうまく表現できないのと、標本1つで一般化するのも難しいのでメモレベルで感じたことを書いておく。とにかく禁煙の理由がけっこう印象に残ったのだった。
2009-03-20 11:01:51 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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