メッセージ。 - 海外で勉強して働く話の続き
# 海外で勉強して働く話の続き
承前。
http://nnri.dip.jp/yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=2873
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
10年間仕事をしていておもったのは、自分が仕事をして作りたいものは、(1)誰かの役に立つもので、かつ(2)対価がそれなりに得られるもの(最低限黒字を出して成長できるレベル)という感じだった。でも、1と2を両方満たす仕事はあまりなく、苦しい戦いを強いられた。
それで10年間の最後には「自分が納得できる仕事をしたい」と考え、会社を辞めてちょっとアメリカへ行ってみることにした。本気になって英語を身に付けたかったのと、アメリカという国がどういうところかを知りたかったから。それと、お金になりもしない仕事をしながら企業のなかで安穏と給料をもらう生活を続けていては、自分が納得して働けないと考えたから。
「納得できる仕事をしたい」とはおもうものの、末端の会社員にすぎず、なんの実績も持たない自分がそれを言うのはおこがましい。業務を遂行するにあたって資金を出すのは会社なのだから、会社の意図に沿って仕事をするのが当然だ。だからぼくは、会社の言うとおりに仕事をした。ぼくの心の中には葛藤があった。
ただ実際のところ、ぼくは「それは違う」と心の中でおもっているばかりだった。誰かが出す提案に「それは違う」と言うだけでは物事は前に進まない。だからぼくは、自分から何かを言い、何かをしなければならなかった。会社を辞め、自分のお金でアメリカへ行ってみることにした。※1
アメリカには2か月ほど滞在でき、それは楽しい経験だった。英語、人間関係、道の歩き方、いろんなことが勉強になった。ただ、どうだろうなぁ。「留学して働く」というのには、到底2か月では足りない。最低でも1年以上、3~4年ぐらいは留学しないといけないんじゃないかな。そこまでするのにいくらお金がかるんだろうか。行く国にもよるけど、たぶん1年アメリカで生活するには最低150万円ぐらいはいるとおもう。学費もかかる。金銭面のハードルは結構高い。
それに加えておもうのは、誰のためにどんな仕事をしたいのかという問題があるんじゃないかな。向こうで短期の語学学校に通っているとき、20代ぐらいの留学生Aさんと、こんな会話をした。
Aさん:「あなたはアメリカで就職したいとおもってるの?」
ふ:「就職できればうれしいとはおもってるよ。でもビザの問題もあるし、難しいんじゃないかな」
Aさん:「仕事なら、探せばあるわ。日本食や韓国料理のレストランなんかでバイトを募集してるし、ビザがなくても働けるよ」
ふ:「でも、ビザなしで働くのは違法だしなぁ」
Aさん:「みんなやってるから大丈夫よ。no problem」
ふ:「そっかぁ。うーん。でもまぁぼくは、IT関連のスキルと経歴があるし、できればその経験を生かした仕事をしたいとおもってる。だからちょっと乗り気がしないな。まぁ、もう少し考えてみるよ、ありがとう」
一般的に、こういう会話がどの程度頻繁に交わされているのかは分からない。でも、こういう考え方で就職を捉えている人も案外多いんじゃないかとおもう。つまり、「アメリカで就職できるなら、レストランのバイトでもなんでもいいじゃないか」とでもいったものだ。いや、実際にAさんは、そんなに極端なことを言おうとしたのではないのかもしれない。物価の高い米国において、生活費の足しがあるほうがいいだろうとアドバイスをしてくれたのかもしれない。ただ、一部にはやっぱりこういう考え方があるのだとおもう。
親戚のおばさんにもアメリカかぶれの人がいて、ぼくが無職だと聞き付けた彼女はこんなことを言ってきた。「アメリカでの就職を考えたらどう? これはチャンスだとおもうの」。実際、彼女の息子たちはアメリカで就職して働いている。ぼくの向こうでの就職も、彼らが手助けしてくれるという。でもよく聞いてみると、彼女は「アメリカで就職すること」ばかりに傾注していた(少なくとも、そのときのぼくにはそう聞こえた)。「アメリカで就職できるなら、レストランでもなんでもいいじゃない」とまでは言わないが、そこで誰にどんな仕事をサーブできるのか、サーブしたいのか、彼女の提案では、そこが最優先に考えられていないような気がした。
頭でっかちで、贅沢な話かもしれないけど。でもぼくは歳をとってしまったこともあり、単に収入があればいいやという仕事は苦痛に感じる。できれば誰かの役に立って、それで対価を得られるような仕事がしたい。そのため問題なのは、自分はなにができて、誰のために働きたいのか、というところだ。いや、もちろん、レストランの仕事でも誰かの役には立つんだけど。でも、違法なのはちょっとなぁ…。
そんなことを考えながら、無職生活を1年ぐらい続けている。このところは、世界的な経済問題が起こっていることもあり、経済系のニュースを見て勉強したりしてる。あと、多少プログラムを組めるという技術を(それほど高度な技術ではないが)、なんとかマネタイズ(お金に替えることが)できないかなぁと試行錯誤してる。でも、お金を稼ぐというのは本当に難しい。そろそろなりふり構わず就職しなければいけなくなりそう。
アメリカには2か月しかいなかったし、旅行者としてしか接していなかったから、良い面ばかりが見えたのかもしれない。その限りの見方ではあるけど、アメリカや海外で働くことができたら面白いだろうなぁとおもう。なぜかというと、ドライブ感(自分が何かを変えている感じ)がある気がするからだ。良くも悪くも、アメリカは広かった。広いゆえに問題もいっぱいあり、まだまだやるべきことがあるように感じた。自分がなにかをすることで、何かを変えることができる。役に立つことができる。そうじゃないかと感じることがあったし、実際そのように行動している人と会えたようにおもう。
一方で日本を振り返ってみると、自分がいったい何の役に立つのか、よく分からない。何かをすれば、何かを変えられるんだろうか。日本にだって問題はあるはずだ。「ここがこうだったらいいのに」とおもうところはある。でもなんか、いろいろ複雑すぎて、自分がいったい何をどうすればいいかよく分からない。どこから手を付けていいかもよく分からないし、よく考えればそもそも資金も力もないのだった。うーん、困った。そういう状態。なんか仕事ありませんかね?(苦笑)
あ、ちなみにアメリカ旅行のときの写真は次のURLに置いてます。
http://picasaweb.google.co.jp/yoshiharu.fujisawa/
※1. 会社や上役の指示にぼくが反発を覚えたのなら、「それは違う。こうしましょう」と声を挙げるという選択肢もあったとおもう。そうするのが苦手だというのも、ぼくの悪いところではある。
http://nnri.dip.jp/yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=2873
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
10年間仕事をしていておもったのは、自分が仕事をして作りたいものは、(1)誰かの役に立つもので、かつ(2)対価がそれなりに得られるもの(最低限黒字を出して成長できるレベル)という感じだった。でも、1と2を両方満たす仕事はあまりなく、苦しい戦いを強いられた。
それで10年間の最後には「自分が納得できる仕事をしたい」と考え、会社を辞めてちょっとアメリカへ行ってみることにした。本気になって英語を身に付けたかったのと、アメリカという国がどういうところかを知りたかったから。それと、お金になりもしない仕事をしながら企業のなかで安穏と給料をもらう生活を続けていては、自分が納得して働けないと考えたから。
「納得できる仕事をしたい」とはおもうものの、末端の会社員にすぎず、なんの実績も持たない自分がそれを言うのはおこがましい。業務を遂行するにあたって資金を出すのは会社なのだから、会社の意図に沿って仕事をするのが当然だ。だからぼくは、会社の言うとおりに仕事をした。ぼくの心の中には葛藤があった。
ただ実際のところ、ぼくは「それは違う」と心の中でおもっているばかりだった。誰かが出す提案に「それは違う」と言うだけでは物事は前に進まない。だからぼくは、自分から何かを言い、何かをしなければならなかった。会社を辞め、自分のお金でアメリカへ行ってみることにした。※1
アメリカには2か月ほど滞在でき、それは楽しい経験だった。英語、人間関係、道の歩き方、いろんなことが勉強になった。ただ、どうだろうなぁ。「留学して働く」というのには、到底2か月では足りない。最低でも1年以上、3~4年ぐらいは留学しないといけないんじゃないかな。そこまでするのにいくらお金がかるんだろうか。行く国にもよるけど、たぶん1年アメリカで生活するには最低150万円ぐらいはいるとおもう。学費もかかる。金銭面のハードルは結構高い。
それに加えておもうのは、誰のためにどんな仕事をしたいのかという問題があるんじゃないかな。向こうで短期の語学学校に通っているとき、20代ぐらいの留学生Aさんと、こんな会話をした。
Aさん:「あなたはアメリカで就職したいとおもってるの?」
ふ:「就職できればうれしいとはおもってるよ。でもビザの問題もあるし、難しいんじゃないかな」
Aさん:「仕事なら、探せばあるわ。日本食や韓国料理のレストランなんかでバイトを募集してるし、ビザがなくても働けるよ」
ふ:「でも、ビザなしで働くのは違法だしなぁ」
Aさん:「みんなやってるから大丈夫よ。no problem」
ふ:「そっかぁ。うーん。でもまぁぼくは、IT関連のスキルと経歴があるし、できればその経験を生かした仕事をしたいとおもってる。だからちょっと乗り気がしないな。まぁ、もう少し考えてみるよ、ありがとう」
一般的に、こういう会話がどの程度頻繁に交わされているのかは分からない。でも、こういう考え方で就職を捉えている人も案外多いんじゃないかとおもう。つまり、「アメリカで就職できるなら、レストランのバイトでもなんでもいいじゃないか」とでもいったものだ。いや、実際にAさんは、そんなに極端なことを言おうとしたのではないのかもしれない。物価の高い米国において、生活費の足しがあるほうがいいだろうとアドバイスをしてくれたのかもしれない。ただ、一部にはやっぱりこういう考え方があるのだとおもう。
親戚のおばさんにもアメリカかぶれの人がいて、ぼくが無職だと聞き付けた彼女はこんなことを言ってきた。「アメリカでの就職を考えたらどう? これはチャンスだとおもうの」。実際、彼女の息子たちはアメリカで就職して働いている。ぼくの向こうでの就職も、彼らが手助けしてくれるという。でもよく聞いてみると、彼女は「アメリカで就職すること」ばかりに傾注していた(少なくとも、そのときのぼくにはそう聞こえた)。「アメリカで就職できるなら、レストランでもなんでもいいじゃない」とまでは言わないが、そこで誰にどんな仕事をサーブできるのか、サーブしたいのか、彼女の提案では、そこが最優先に考えられていないような気がした。
頭でっかちで、贅沢な話かもしれないけど。でもぼくは歳をとってしまったこともあり、単に収入があればいいやという仕事は苦痛に感じる。できれば誰かの役に立って、それで対価を得られるような仕事がしたい。そのため問題なのは、自分はなにができて、誰のために働きたいのか、というところだ。いや、もちろん、レストランの仕事でも誰かの役には立つんだけど。でも、違法なのはちょっとなぁ…。
そんなことを考えながら、無職生活を1年ぐらい続けている。このところは、世界的な経済問題が起こっていることもあり、経済系のニュースを見て勉強したりしてる。あと、多少プログラムを組めるという技術を(それほど高度な技術ではないが)、なんとかマネタイズ(お金に替えることが)できないかなぁと試行錯誤してる。でも、お金を稼ぐというのは本当に難しい。そろそろなりふり構わず就職しなければいけなくなりそう。
アメリカには2か月しかいなかったし、旅行者としてしか接していなかったから、良い面ばかりが見えたのかもしれない。その限りの見方ではあるけど、アメリカや海外で働くことができたら面白いだろうなぁとおもう。なぜかというと、ドライブ感(自分が何かを変えている感じ)がある気がするからだ。良くも悪くも、アメリカは広かった。広いゆえに問題もいっぱいあり、まだまだやるべきことがあるように感じた。自分がなにかをすることで、何かを変えることができる。役に立つことができる。そうじゃないかと感じることがあったし、実際そのように行動している人と会えたようにおもう。
一方で日本を振り返ってみると、自分がいったい何の役に立つのか、よく分からない。何かをすれば、何かを変えられるんだろうか。日本にだって問題はあるはずだ。「ここがこうだったらいいのに」とおもうところはある。でもなんか、いろいろ複雑すぎて、自分がいったい何をどうすればいいかよく分からない。どこから手を付けていいかもよく分からないし、よく考えればそもそも資金も力もないのだった。うーん、困った。そういう状態。なんか仕事ありませんかね?(苦笑)
あ、ちなみにアメリカ旅行のときの写真は次のURLに置いてます。
http://picasaweb.google.co.jp/yoshiharu.fujisawa/
※1. 会社や上役の指示にぼくが反発を覚えたのなら、「それは違う。こうしましょう」と声を挙げるという選択肢もあったとおもう。そうするのが苦手だというのも、ぼくの悪いところではある。
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