メッセージ。 - NHK「日本の、これから 独身者急増!“未婚社会”」を見た(途中まで)
# NHK「日本の、これから 独身者急増!“未婚社会”」を見た(途中まで)
昨日、NHKの番組で「日本の、これから 独身者急増!“未婚社会”」という番組を見た。録画しながら見ていて途中までしか見ていないのだけど、ちょっと気になったことがあるのでメモ。気になったのは、「草食系男子」という言葉で、未婚を説明しようとしていたところ。
http://www.nhk.or.jp/korekara/
結論からいうと、「草食系男子」という言い方は嫌いだ。いい歳をした男を「男子」と呼ぶのは、恋愛資本主義陣営がむりやり人間を商品にしようとしているように感じる。小学生の女の子が、教室の中でキャッキャと恋愛の話ではしゃぐような感覚がある。いい歳をした人が「男子」という呼称をもって男の人を見るとき、そこには中年男性がセーラー服の女学生を見るのと同じ視線があるのではないか。
「男子」という表現は、不特定多数の成人男性を、小中学生男子のような未熟な男性のイメージでくくり、仮想恋愛の対象として(主に)想像の中で楽しむ行為のようにおもえる。だとすれば、それは一部の成人男性が、女学生を性的対象として仮想恋愛の中で遊ぶ行為にほとんど等しい。もちろん、そういった「遊び」が想像の中でのみ行われていたり、現実の犯罪や苦しむ人を生まないならば、その限りにおいて自由にやってもらっていいとおもう。
ただ、その遊びを想像の外に出し、性的視線を実在する女学生や成人男性に向けることは下品であるし、反社会的行為であると認識すべきだ。これは、見知らぬ異性に対して性的視線を向けることは反社会的であるということを根拠とする。また、そのような嗜好を公の場で堂々と表現することは好ましくない。「草食系男子」という言葉や、そのようなマーケティング行為は、潜在的に誰かを傷付けたり、傷付けようとする性質をもっている。できれば人々には、そのことに無自覚であってほしくない。
もちろん、「遊び」はあっていいとおもうし、社会には「遊び」がなくてはならない。それは必要悪と同等のものである。要するに人々は、遊びや必要悪と、もっとうまく付き合う必要があるのだとおもう。
さて、もう1つおもうのは、草食系といわれる人たちの一部は、男女平等に基づくリベラルな人たちなのではないかということだ。男女平等を重んじるからこそ、彼らは「これは男性がすべき仕事」で「これは女性がすべき仕事」と分けて考えない。どんな仕事も、男性ができるなら男性がやればよいし、女性ができるなら女性がやればよいと考えている。だから「デートは男性から誘うべき(女性が誘ってはいけない)」とは考えないし、「デート費用は男性が負担すべき(女性が負担してはいけない)」とは考えない。そのような先入観から解放されている。まぁ、それ以前に女性と付き合った経験がなくって、どうすればよいか分からないだけという男の人も多いだろうけど…。
ただ、番組を見てて一番おもったのは、「男性がもっと恋愛に積極的になるべき」とか「男性が家計費用を負担しなければならない」といった価値観は、男女平等やジェンダーフリーの観点からすると「アウト」だということを、どうして誰も意識したり指摘したりしないのかということだ。あれだけ人数がいて、「男女平等」を言う人がいないこと(途中まで見ていただけなので、見ていないところで言ってたのかもしれないが。あと、言う人がいたけどカットされてたのかもしれないが)に驚く。それは男尊女卑であり女尊男卑だ。
そのほかにも、経済や非正規雇用、託児所、都市と地方、社会保障、家の問題、社会と個人、義務と権利など、このへんは問題が複雑に絡まりあっている。「結婚」というテーマを扱うには、かなり問題を整理しなければ、番組としての完成度が上がらないのではないかとおもう。とくに討論番組で扱うには難しい。(「日本の、これから」シリーズは何作品か見たけど、「NHKスペシャル」等に比べるとどうも消化不良の場合が多いような気がする。それでも、討論することに意義があるという趣旨なんだろうけど。まぁそういう趣旨があるとすれば同意する)
http://www.nhk.or.jp/korekara/
結論からいうと、「草食系男子」という言い方は嫌いだ。いい歳をした男を「男子」と呼ぶのは、恋愛資本主義陣営がむりやり人間を商品にしようとしているように感じる。小学生の女の子が、教室の中でキャッキャと恋愛の話ではしゃぐような感覚がある。いい歳をした人が「男子」という呼称をもって男の人を見るとき、そこには中年男性がセーラー服の女学生を見るのと同じ視線があるのではないか。
「男子」という表現は、不特定多数の成人男性を、小中学生男子のような未熟な男性のイメージでくくり、仮想恋愛の対象として(主に)想像の中で楽しむ行為のようにおもえる。だとすれば、それは一部の成人男性が、女学生を性的対象として仮想恋愛の中で遊ぶ行為にほとんど等しい。もちろん、そういった「遊び」が想像の中でのみ行われていたり、現実の犯罪や苦しむ人を生まないならば、その限りにおいて自由にやってもらっていいとおもう。
ただ、その遊びを想像の外に出し、性的視線を実在する女学生や成人男性に向けることは下品であるし、反社会的行為であると認識すべきだ。これは、見知らぬ異性に対して性的視線を向けることは反社会的であるということを根拠とする。また、そのような嗜好を公の場で堂々と表現することは好ましくない。「草食系男子」という言葉や、そのようなマーケティング行為は、潜在的に誰かを傷付けたり、傷付けようとする性質をもっている。できれば人々には、そのことに無自覚であってほしくない。
もちろん、「遊び」はあっていいとおもうし、社会には「遊び」がなくてはならない。それは必要悪と同等のものである。要するに人々は、遊びや必要悪と、もっとうまく付き合う必要があるのだとおもう。
さて、もう1つおもうのは、草食系といわれる人たちの一部は、男女平等に基づくリベラルな人たちなのではないかということだ。男女平等を重んじるからこそ、彼らは「これは男性がすべき仕事」で「これは女性がすべき仕事」と分けて考えない。どんな仕事も、男性ができるなら男性がやればよいし、女性ができるなら女性がやればよいと考えている。だから「デートは男性から誘うべき(女性が誘ってはいけない)」とは考えないし、「デート費用は男性が負担すべき(女性が負担してはいけない)」とは考えない。そのような先入観から解放されている。まぁ、それ以前に女性と付き合った経験がなくって、どうすればよいか分からないだけという男の人も多いだろうけど…。
ただ、番組を見てて一番おもったのは、「男性がもっと恋愛に積極的になるべき」とか「男性が家計費用を負担しなければならない」といった価値観は、男女平等やジェンダーフリーの観点からすると「アウト」だということを、どうして誰も意識したり指摘したりしないのかということだ。あれだけ人数がいて、「男女平等」を言う人がいないこと(途中まで見ていただけなので、見ていないところで言ってたのかもしれないが。あと、言う人がいたけどカットされてたのかもしれないが)に驚く。それは男尊女卑であり女尊男卑だ。
そのほかにも、経済や非正規雇用、託児所、都市と地方、社会保障、家の問題、社会と個人、義務と権利など、このへんは問題が複雑に絡まりあっている。「結婚」というテーマを扱うには、かなり問題を整理しなければ、番組としての完成度が上がらないのではないかとおもう。とくに討論番組で扱うには難しい。(「日本の、これから」シリーズは何作品か見たけど、「NHKスペシャル」等に比べるとどうも消化不良の場合が多いような気がする。それでも、討論することに意義があるという趣旨なんだろうけど。まぁそういう趣旨があるとすれば同意する)
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