メッセージ。 - エロゲ規制に関係するかも?メモ

# エロゲ規制に関係するかも?メモ

このへんを読んでいて、ちょっと思ったのでメモ。

「エロゲみたいな異常な趣味は禁止しろ」というような思想は、公園の問題に似ているのかも。

大人たち(の一部)は、子供に対して公園で遊ぶことを望んだりする。公園にある遊具は、遊ぶために作られた道具で、それを正しく使って遊べば、安全で綺麗なのかもしれない。

でも子供にとっては公園で遊ぶことは案外つまらなかったりする。遊具を決められたとおりに正しく使って正しく遊ぶよりも、規格外の遊びを発明して遊ぶほうが楽しいとか。

まぁそもそも、東洋的考えでは、遊びに対して規格みたいなものはあるんだろうか。江戸時代に子供が遊ぶための公園が存在したのかどうか、とか。なんとなくだけど、そういうのはなかったのではないかという気がする。

東洋的考えでは、規格的な遊びとか、規格的人間というのはあまり想定していないのではないかな。一方で、西洋的考えでは「正しい人間」という観念が存在しているのかもしれない、と思う。たとえば渡辺千賀さんが言うような感じで、

魂があるから人間はほかの動物よりえらい、みたいな価値観は、アメリカ的には非常に普通なようだが、どうも私の感性には合わない。私に魂があるなら、うちの猫にも魂があると思うし、猫にないなら私にもないと思う。

人間には魂があって動物には魂がないという考え方は、「人間は動物とは違う」、「人間は神の子だ」という思想のあらわれであるように思う。だとすれば、人間の生き方にたいして「正しい生き方」の存在を想定しているのではないか。

モーゼの十戒のような、「人として、必ず守らなければならない戒律」が、人間の実存のレベルで課せられているというか。

一方で日本人なんかには、「人として、必ず守らなければならない戒律」みたいなものは、存在しないように思う。人間は、どんな悪いことをしようが人間というか。人間という存在を特別視していない。絶対的な善も悪も存在しない。すべては無に帰す。月日は百代の過客にして行き交う人々もまた旅人なりというか。

そういう意味では、男女の別というのもとくに存在しない。正しい性のあり方も存在しない。いや、男女の別は存在はするのだけど。でもそれらは敵ではないというか。ただそれぞれが、それぞれの生をまっとうすればそれでいいんじゃないか、というか。
2009-07-03 19:59:38 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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