メッセージ。 - 物の価値が下がり続けている
# 物の価値が下がり続けている
百貨店の業績不振を伝えるニュースを見たりして思ったこと。
最近、食材や服なんかを見ていると、外国産が増えたなと思う。うちの親父なんて、酢豚を初めて食べたのは社会に出てからだとかなんとか言っていたが、そう考えると、ぼくらの暮らしは戦後からずっと国際化したり物が豊富になったりしているんだろう。昔は国産がほとんどで、外国産の服も食べ物も憧れの的だった。ぼくらは海外のことを知らなかった。しかしそのバランスはどんどん一方向に傾いている。
かつては、日本という国の中に物がなかったのだ(あるいは物の多様性が低かった)。その意味で、かつての百貨店は珍しくて高級な物が買える場所として国民に受け入れられたのだろう。昔は、家族で百貨店に出かけ、ショッピングをし、レストランでお子様ランチを食べることがステータスでありレジャーだった。しかし時が過ぎ、いま百貨店は長らく不振を続けている。なぜか? それはやはり、百貨店の中に、憧れるに足る商品が少なくなってしまったからではないか。
百貨店だけではない。もはや、珍しく憧れるに足るような商品は、日本という国の中では見つけにくくなってしまった。原因の1つは物や価値観の「多様化」であるだろうが、別の側面から見ると物が「豊かになった」ことにあるのではないか。食材も服も文化製品も、もはや国境を容易に越えてやってくる。気が付けば否応なしにそこにある。それらが希少資源であった時代には、輸入して店先に並べるだけでお客の好奇心を満たすことができたが、現在ではそういう時代を過ぎ去ってしまった。
つまり日本人は、どんな物を持ってこられてもそう驚かなくなっているのではないか。価値を感じにくくなっているのではないか。そういう意味で、日本では戦後からずっと物の価値が下がり続けていて、逆に貨幣の価値が上がり続けていた、ということなのかもしれない。だとしたら、そりゃあビジネスも難しくなるはずだ。
最近、食材や服なんかを見ていると、外国産が増えたなと思う。うちの親父なんて、酢豚を初めて食べたのは社会に出てからだとかなんとか言っていたが、そう考えると、ぼくらの暮らしは戦後からずっと国際化したり物が豊富になったりしているんだろう。昔は国産がほとんどで、外国産の服も食べ物も憧れの的だった。ぼくらは海外のことを知らなかった。しかしそのバランスはどんどん一方向に傾いている。
かつては、日本という国の中に物がなかったのだ(あるいは物の多様性が低かった)。その意味で、かつての百貨店は珍しくて高級な物が買える場所として国民に受け入れられたのだろう。昔は、家族で百貨店に出かけ、ショッピングをし、レストランでお子様ランチを食べることがステータスでありレジャーだった。しかし時が過ぎ、いま百貨店は長らく不振を続けている。なぜか? それはやはり、百貨店の中に、憧れるに足る商品が少なくなってしまったからではないか。
百貨店だけではない。もはや、珍しく憧れるに足るような商品は、日本という国の中では見つけにくくなってしまった。原因の1つは物や価値観の「多様化」であるだろうが、別の側面から見ると物が「豊かになった」ことにあるのではないか。食材も服も文化製品も、もはや国境を容易に越えてやってくる。気が付けば否応なしにそこにある。それらが希少資源であった時代には、輸入して店先に並べるだけでお客の好奇心を満たすことができたが、現在ではそういう時代を過ぎ去ってしまった。
つまり日本人は、どんな物を持ってこられてもそう驚かなくなっているのではないか。価値を感じにくくなっているのではないか。そういう意味で、日本では戦後からずっと物の価値が下がり続けていて、逆に貨幣の価値が上がり続けていた、ということなのかもしれない。だとしたら、そりゃあビジネスも難しくなるはずだ。
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