メッセージ。 - [就職活動] お仕事(わりと真剣に)探し中
# [就職活動] お仕事(わりと真剣に)探し中
最近、就職活動をしている。でもなかなか仕事が見つからない。どうして見つからないのか。就職活動をしてみて感じたことは、「企業は即戦力を求めている」ということだ。たとえば、モバイルサイトの開発会社なら携帯サイト開発経験者を募集してるし、組込み機器の開発会社では組込み開発の経験者を募集している。だから、ぼくのように「ジョブチェンジしたい」という人は、なかなか要らないようなのだ。(とくにぼくの場合は、歳がいっているということもある。書類選考で落ちることも多い)。
まぁたしかに、企業の立場に立って考えてみれば経験者が欲しいというのも分かる。自分の経歴書を見て自問自答をしてみても、「いったいこの人は何ができるのか? この人を雇ってペイするのか?」と感じる。しかし、時代は変化しているのだから、「ジョブチェンジしたい」という人もそれなりに存在すると思うんだよなぁ。たとえば今はSEをやってるけどこの先不安だとか、パン屋をやってるけどもう疲れたとか。でもこの不況の時代、「ジョブチェンジしたい」と思ってもなかなかうまくいかないのだろう。厳しい。
ぼくの場合も前職が雑誌の編集職で、しかし編集職なんてこの長い出版不況の中で募集があるわけがない。というかぼく自身が、雑誌の編集をしたいとか「自分は雑誌の編集をしている」とかそもそも思っていないのだが。前にどこかで読んだ、「Googleで働いているオフィス清掃の人は、自分の仕事が掃除夫だとは思っていない。彼は自分の仕事が世界中の知識を整理する仕事を手伝うことだと思ってる」みたいな意見があったけど、それに近いことをぼくも思っている。あれ? 話が脱線した。要するに、「新しい仕事」を求めている人って、今の時代多いと思うんだよなぁ。それはあたかも、新しい未来を求めるように。
何年か前に梅田さんのWeb進化論で、「インターネットのおかげでこれからは仕事や雇用というものが流動化する」ということが書かれていたけど、ああいうのは本当に実現するのかなぁ。まぁそもそも、そういう働き方ができるのはピラミッドの上のほう一部だけで、ぼくみたいなヘッポコには関係ないのかもしれないけど。ただ、あの本が書かれた当時を振り返ってみると、アメリカが好景気で中国とかBRICsとかが今ほど力強く感じることはなかった時代で、いまのような「少ない仕事とお金を奪い合う」みたいな状況が想定されていなかったのではないかなぁ、とか思う。
ぼく自身のことを言うと、関数型言語が割と好きで、SchemeとかHaskellとかを勉強してきたけど、でもそういう技術要素で募集をかけている企業は、就職情報サイトを探してもぜんぜん見つからない。技術者として募集されているのはたいてい、PHPかJavaかせいぜいRuby on Railsができる人で、しかも最近だとそれらのうち、何らかの(メジャーな)フレームワーク経験者ばかりが求められている。まぁそりゃあ分かるのだ。分かるのだが、自分からすればあまりにも遠くに来てしまった感があり、困ったなぁ、と。Web上ではたまに、Joelの文章で「どんな技術者を採用すべきか」というのがコピペされているが、そこには「ポインタを真に理解している技術者を慎重に見分けるべきだ」みたいなことが書かれていて、ちょっと腹立つ。ポインタの理解なんて、どこの企業が求めてるんだべ? ポインタを理解しているからって雇ってくれる企業ってあるのかな?
まぁいい。いいのだ。就職活動しているといっても、まだそれほど動いているわけじゃないし、いろいろ勉強になっている。ある程度苦労したほうが、現実世界を理解するのに役立つとも思っている。だからまぁ、いいのだ。しかしこの先、どうなるのかなぁ。なんとかお金を手に入れなきゃいけないのだが、お金を稼ぐというのはとても難しいものだと実感する。UK STUDIOさんが「プログラマという職業は「ふつう」の人には厳しくないか」と書かれていたが、お金を手に入れるのは「ふつう」の自分には厳しいのかもしれない。いや、自分が普通以下の可能性も高いか。
普通以下という話でいえば、ぼく自身がSchemeやHaskellの分野でとくに優れた業績を出せていないというのも厳しい話だ。それらの言語が好きだと言ってもたんなる下手の横好きで、extremeなプロダクトを開発するなんてところには全然手が届かない。まぁなんとか新規性のあるものを作りたいと思っているが、「新規性があるかどうか」を把握すること自体が難しい。ソフトウェア開発には研究的な要素があり、そういう非労働集約的なR&Dがしたいと思ったらそれはそれなりのコストセンターというかビジネスエンジンが必要だ。逆に労働集約的なビジネスならそういったビジネスにも、それなりのビジネスエンジンが必要である。そしてぼくは、そのどちらにも引っかからない中途半端に位置にいるのではないか、とか。
いったい自分には何ができるのか? 以前テレビで『人生が変わる1分間の深イイ話』で、奈良で刀鍛冶をしているという人間国宝の人の意見が紹介されていた。「一生をかけるに足る仕事の見つけ方とは?」というもので、その人はこう答えていた。「一生をかけるに足る仕事を見つけるというのは難しくて、どうすればよいのか自分にもよく分からない。でも、一生をかけるに足る師匠を見つけるのなら、できるのではないかと思う。仕事を探すのではなく、人を探してみてはどうか」と。まったく同感で、自分もそういう風に働けたらなぁ、と思う。そういう風に働きたい。でも具体的には、どうすりゃいいのかなぁ。
あれ? でもなんか、そもそも自分は、「一生をかけるに足る仕事」を探しているのではなかったかも。いまでもなんとなく、やりたい仕事、やらなければならない仕事のようなものはボンヤリと見えている気がする。でも、そこに辿り付く方法が全然想像つかないのと、「これ」という具体性を帯びていないように感じる。あと、自分にそれをする能力があるのか?という問題。それとそれと、やっぱり師匠みたいな人がいたらなぁと思うんだよなぁ。なんというか、道が欲しいというか。道が欲しいなんて贅沢なのかなぁ。まぁとにかく、なにか仕事があったらどんな仕事でもいいから声かけてください。という状況に、だんだんなりつつあります。
まぁたしかに、企業の立場に立って考えてみれば経験者が欲しいというのも分かる。自分の経歴書を見て自問自答をしてみても、「いったいこの人は何ができるのか? この人を雇ってペイするのか?」と感じる。しかし、時代は変化しているのだから、「ジョブチェンジしたい」という人もそれなりに存在すると思うんだよなぁ。たとえば今はSEをやってるけどこの先不安だとか、パン屋をやってるけどもう疲れたとか。でもこの不況の時代、「ジョブチェンジしたい」と思ってもなかなかうまくいかないのだろう。厳しい。
ぼくの場合も前職が雑誌の編集職で、しかし編集職なんてこの長い出版不況の中で募集があるわけがない。というかぼく自身が、雑誌の編集をしたいとか「自分は雑誌の編集をしている」とかそもそも思っていないのだが。前にどこかで読んだ、「Googleで働いているオフィス清掃の人は、自分の仕事が掃除夫だとは思っていない。彼は自分の仕事が世界中の知識を整理する仕事を手伝うことだと思ってる」みたいな意見があったけど、それに近いことをぼくも思っている。あれ? 話が脱線した。要するに、「新しい仕事」を求めている人って、今の時代多いと思うんだよなぁ。それはあたかも、新しい未来を求めるように。
何年か前に梅田さんのWeb進化論で、「インターネットのおかげでこれからは仕事や雇用というものが流動化する」ということが書かれていたけど、ああいうのは本当に実現するのかなぁ。まぁそもそも、そういう働き方ができるのはピラミッドの上のほう一部だけで、ぼくみたいなヘッポコには関係ないのかもしれないけど。ただ、あの本が書かれた当時を振り返ってみると、アメリカが好景気で中国とかBRICsとかが今ほど力強く感じることはなかった時代で、いまのような「少ない仕事とお金を奪い合う」みたいな状況が想定されていなかったのではないかなぁ、とか思う。
ぼく自身のことを言うと、関数型言語が割と好きで、SchemeとかHaskellとかを勉強してきたけど、でもそういう技術要素で募集をかけている企業は、就職情報サイトを探してもぜんぜん見つからない。技術者として募集されているのはたいてい、PHPかJavaかせいぜいRuby on Railsができる人で、しかも最近だとそれらのうち、何らかの(メジャーな)フレームワーク経験者ばかりが求められている。まぁそりゃあ分かるのだ。分かるのだが、自分からすればあまりにも遠くに来てしまった感があり、困ったなぁ、と。Web上ではたまに、Joelの文章で「どんな技術者を採用すべきか」というのがコピペされているが、そこには「ポインタを真に理解している技術者を慎重に見分けるべきだ」みたいなことが書かれていて、ちょっと腹立つ。ポインタの理解なんて、どこの企業が求めてるんだべ? ポインタを理解しているからって雇ってくれる企業ってあるのかな?
まぁいい。いいのだ。就職活動しているといっても、まだそれほど動いているわけじゃないし、いろいろ勉強になっている。ある程度苦労したほうが、現実世界を理解するのに役立つとも思っている。だからまぁ、いいのだ。しかしこの先、どうなるのかなぁ。なんとかお金を手に入れなきゃいけないのだが、お金を稼ぐというのはとても難しいものだと実感する。UK STUDIOさんが「プログラマという職業は「ふつう」の人には厳しくないか」と書かれていたが、お金を手に入れるのは「ふつう」の自分には厳しいのかもしれない。いや、自分が普通以下の可能性も高いか。
普通以下という話でいえば、ぼく自身がSchemeやHaskellの分野でとくに優れた業績を出せていないというのも厳しい話だ。それらの言語が好きだと言ってもたんなる下手の横好きで、extremeなプロダクトを開発するなんてところには全然手が届かない。まぁなんとか新規性のあるものを作りたいと思っているが、「新規性があるかどうか」を把握すること自体が難しい。ソフトウェア開発には研究的な要素があり、そういう非労働集約的なR&Dがしたいと思ったらそれはそれなりのコストセンターというかビジネスエンジンが必要だ。逆に労働集約的なビジネスならそういったビジネスにも、それなりのビジネスエンジンが必要である。そしてぼくは、そのどちらにも引っかからない中途半端に位置にいるのではないか、とか。
いったい自分には何ができるのか? 以前テレビで『人生が変わる1分間の深イイ話』で、奈良で刀鍛冶をしているという人間国宝の人の意見が紹介されていた。「一生をかけるに足る仕事の見つけ方とは?」というもので、その人はこう答えていた。「一生をかけるに足る仕事を見つけるというのは難しくて、どうすればよいのか自分にもよく分からない。でも、一生をかけるに足る師匠を見つけるのなら、できるのではないかと思う。仕事を探すのではなく、人を探してみてはどうか」と。まったく同感で、自分もそういう風に働けたらなぁ、と思う。そういう風に働きたい。でも具体的には、どうすりゃいいのかなぁ。
あれ? でもなんか、そもそも自分は、「一生をかけるに足る仕事」を探しているのではなかったかも。いまでもなんとなく、やりたい仕事、やらなければならない仕事のようなものはボンヤリと見えている気がする。でも、そこに辿り付く方法が全然想像つかないのと、「これ」という具体性を帯びていないように感じる。あと、自分にそれをする能力があるのか?という問題。それとそれと、やっぱり師匠みたいな人がいたらなぁと思うんだよなぁ。なんというか、道が欲しいというか。道が欲しいなんて贅沢なのかなぁ。まぁとにかく、なにか仕事があったらどんな仕事でもいいから声かけてください。という状況に、だんだんなりつつあります。
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