メッセージ。 - [メモ] 行動原理

# [メモ] 行動原理

もちろんいまのは比喩的な表現だが、 基本的に、新山は「この世がどこまで続いているのか」ということについて 多大なる関心 (と恐怖) をもっているように見える。「この世」というのは、 物理的な世界にとどまらず、「自分の常識や論理が通用する領域」のことね。 しかし、ある意味では、自分は本当はそういう世界から足をふみ外すことを 望んでるんじゃないか、と思うときもある。新山はときどき 「どこまで進んだら自分の常識が通用しなくなるのか」を見きわめようとして、 突飛なふるまいに出るときがある。境界を越えることを恐れるくせに、 境界に近づくのはスキなのだ。世界の中心というのは 一カ所しかないが、「世界のはじっこ」は無数にあるよね…

このへんの話。自分に関しては、結局のところ死を怖れている。ぼくは昔から死について怖れ、考えている。怖くてこわくて仕方がなくて、どうしたらいいのだろうかと。それで1つ思い付いたのが、死に近付いてみること。人間は、理解できないからこそ何かを怖れるのだと考えた。死を理解できれば、怖れることはないのかもしれない、と。それでぼくは、死のそばまで近付くことにした。死のすぐそばでよく観察してみようと思った。

そうはいっても、別に死のうとしているわけではないし、自殺しようとかそういう話では全然ない。心と時間の使いかたの問題。ぼくは死ぬのが怖い。だから逆に死ぬことについて意識してみようと思ったのだ。昔ある漫画家さんが、自身の単行本のつぶやきみたいなスペースで、こんなことを書いていた:「朝起きたら、死ぬときのことを考える」。これと同じだと考えている。

毎朝起きたとき、自分が生きていることを確認する。死ぬときはこう死のうと考える。気が付いたら死の床にあって、「あのときああしていれば」と後悔するなんてまっぴら御免だ。だからぼくは、つねに今が「あのとき」でないか確認したい。今何をすべきかを確認していたい。だから人から言われたことをそのままやるのが苦手だ。なにごとも自分の目と手で確認してみたい。

まぁ、病気みたいなものだ。ある意味ぼくは壊れているし、客観的に見れば滅茶苦茶なことをやっている。もっとうまくいく滅茶苦茶ならいいんだけどね。

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今日は早起きできたので、「よし! テストプログラムを検証しよう!」と思ったのだけど、うまくいかなかった…。ということで進捗なし。
2010-03-05 08:33:01 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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