メッセージ。 - 親の価値観
# 親の価値観
さっきの記事(悔いが残らないように楽しく行こう!(1/2)|渡辺千賀のはたらけシリコンバレー|パソナテック(PASONA TECH))を見てて1つ「うらやましいなぁ」と思ったことがあって、それは高校卒業後、アメリカ留学したりネット企業に就職したりという方向に進まれたこと。
「アメリカに留学したい」と言い出したのはご自身なので、自身に先見の明というか、意志があったことがすばらしいのだが、翻って自分にそれができただろうか?と考えた。
結論としては、自分にはそれはできなかった。なぜかというと、その当時は「良い大学に入って良い就職をして良い結婚をするのが良い人生だ」というような価値観を、ぼくの親が持っていたと思われるからだ。いや、正確に言うとぼくの親がそういう価値観を持っているか(いたか)どうかをぼくは知らない。
でもぼくは、受験勉強というのを昔からやらされていたし、「良い大学に入ること」が親の望みだと漠然と思っていた。ぼくの子供時代の後半はほとんど「受験生」の時間として費されたし、それが自分にとっても親にとっても「良いこと」なのだろうと思っていた。だってそう思わざるを得ないじゃない? 親に反抗して悲しませるのは、あまり良いことでもないだろうし。親が喜ぶなら子供もうれしい。それが子供というものだろう。
だからぼくにとって、「高校卒業後アメリカに留学する」という案は思い付かなかった。いや、たまには「どこそこの○○さんはアメリカに留学して頑張ってるらしいよ」みたいなことを耳にして、「ああそういうことをやる人もいるのか」ぐらいには自分の中でも生き方の選択肢があるのだとは感じていた。ただ、それが自分にもできるとは、ほとんど思わなかった。だってお金がかかるし、「それをやりたい」というほどの動機がないし。それにぼくには、「受験生」としての目標がある。
「受験生としてこれまでやってきたことを捨てて別の道に進む」という選択肢は、ぼくにはなかった。その道を捨てるということは、脱落であり落伍であったからだ(まぁその後受験に完敗して完全に落伍するのだが)。
要するにぼくには、何かを自分で選びとり、そこへ進む意志がなかったのだ。勉強は苦手だったし、運動も苦手で、小学生のときから「自分にはなにができるんだろう」と考えていたけれども、だけど結局、何かを掴み取ることができなかった。何かを見つけることができなかった。だからあの記事の人のことを、うらやましいなと思う。
ぼくだったら、浪人することが決まったとき、「アメリカに留学しよう」とは思えなかったし、アメリカで留学を終えたとき、「(どこの馬の骨とも知れない)ネット業界に就職しよう」とも思えなかっただろう。ぼくは結局、日本の平凡なメーカーの子会社に就職した(大きい会社だった)。
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最近、テレビで結婚式場にインタビューをしていたのだが、そこで従業員の人が答えていたのが興味深かった。「以前は両家の結婚という形が多かったですが、最近は2人の結婚という形が増えてきています」と。自分からすれば、何を言ってるんだと感じる。恋愛結婚だなんだと言って家どうしの結婚を破壊してきたのは親の世代ではないか、と。お見合いや身分制度に準じた結婚なんてかなり減ってきているんだから、当たり前だろう。
最近、結婚にあたって親がお金を出したりするという話を聞いたりするが、それもよく分からない。結婚というのは一人前になった大人がすることのはずだ。だとしたら、親にお金を出してもらうというのはおかしい。自分でお金を出すべきだし、自分で出せる額以上のことはやらないでいい。結婚式なんて、これからどんどんなくなっていくと思う。
「アメリカに留学したい」と言い出したのはご自身なので、自身に先見の明というか、意志があったことがすばらしいのだが、翻って自分にそれができただろうか?と考えた。
結論としては、自分にはそれはできなかった。なぜかというと、その当時は「良い大学に入って良い就職をして良い結婚をするのが良い人生だ」というような価値観を、ぼくの親が持っていたと思われるからだ。いや、正確に言うとぼくの親がそういう価値観を持っているか(いたか)どうかをぼくは知らない。
でもぼくは、受験勉強というのを昔からやらされていたし、「良い大学に入ること」が親の望みだと漠然と思っていた。ぼくの子供時代の後半はほとんど「受験生」の時間として費されたし、それが自分にとっても親にとっても「良いこと」なのだろうと思っていた。だってそう思わざるを得ないじゃない? 親に反抗して悲しませるのは、あまり良いことでもないだろうし。親が喜ぶなら子供もうれしい。それが子供というものだろう。
だからぼくにとって、「高校卒業後アメリカに留学する」という案は思い付かなかった。いや、たまには「どこそこの○○さんはアメリカに留学して頑張ってるらしいよ」みたいなことを耳にして、「ああそういうことをやる人もいるのか」ぐらいには自分の中でも生き方の選択肢があるのだとは感じていた。ただ、それが自分にもできるとは、ほとんど思わなかった。だってお金がかかるし、「それをやりたい」というほどの動機がないし。それにぼくには、「受験生」としての目標がある。
「受験生としてこれまでやってきたことを捨てて別の道に進む」という選択肢は、ぼくにはなかった。その道を捨てるということは、脱落であり落伍であったからだ(まぁその後受験に完敗して完全に落伍するのだが)。
要するにぼくには、何かを自分で選びとり、そこへ進む意志がなかったのだ。勉強は苦手だったし、運動も苦手で、小学生のときから「自分にはなにができるんだろう」と考えていたけれども、だけど結局、何かを掴み取ることができなかった。何かを見つけることができなかった。だからあの記事の人のことを、うらやましいなと思う。
ぼくだったら、浪人することが決まったとき、「アメリカに留学しよう」とは思えなかったし、アメリカで留学を終えたとき、「(どこの馬の骨とも知れない)ネット業界に就職しよう」とも思えなかっただろう。ぼくは結局、日本の平凡なメーカーの子会社に就職した(大きい会社だった)。
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最近、テレビで結婚式場にインタビューをしていたのだが、そこで従業員の人が答えていたのが興味深かった。「以前は両家の結婚という形が多かったですが、最近は2人の結婚という形が増えてきています」と。自分からすれば、何を言ってるんだと感じる。恋愛結婚だなんだと言って家どうしの結婚を破壊してきたのは親の世代ではないか、と。お見合いや身分制度に準じた結婚なんてかなり減ってきているんだから、当たり前だろう。
最近、結婚にあたって親がお金を出したりするという話を聞いたりするが、それもよく分からない。結婚というのは一人前になった大人がすることのはずだ。だとしたら、親にお金を出してもらうというのはおかしい。自分でお金を出すべきだし、自分で出せる額以上のことはやらないでいい。結婚式なんて、これからどんどんなくなっていくと思う。
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