メッセージ。 - にゃー
# にゃー
あるWebサイトにログインして設定を1つ更新する。これぐらいの処理で、かつ何もかも決め打ちの実装でよければ簡単なシェルスクリプトで書けるケースも多いと思う。ただ、これをユーザーに提供したいとなったら途端に難易度が上がるのはなんでだろう。
Unix系OSを使っているプログラマに渡すのであれば「適当にパスの通ったところに置いてターミナル(シェル)からスクリプト名を入力して起動してね」と、説明するまでもなく伝えられる。
でも、シェルスクリプトはWindowsを使っているプログラマには使えないし、非プログラマの人にも使えない。そうすると結局インストーラを用意して、UIもそれなりの見栄えにして、さらにそうするためにはきちんとしたプログラミング言語とフレームワークで実装してデザインも整えて、と格段にハードルが上がる。
それでも1000人のユーザーにプログラムを配るのであれば開発工数がペイするかもしれないが、たった数人の「業務をちょっと改善したいんだ」といった事情であればまったくそうはいかない。かくしてプログラマは、困った顔で「それはできないです」と回答するか、メガネをくいっとしながら「技術的には可能です」と回答するしかなくなる。
コンピュータの世界にGUIなんか(ほとんど)なくて、プログラマもユーザーもUnixを使っていたような時代であれば、シェルスクリプトをそのまま渡せばよかったんだけどなぁ。
まぁ、時代が変わってGUIが当たり前、誰もがコンピュータを使って当たり前、という世の中になってしまったのだから仕方がない。それはそう。だけど、時代が変わったなら変わったなりに、人々の生産性をもっと確保できるような仕組みを、コンピュータ業界が提供できるよう進化しなかったのはなんでなんだろう。
まあ。シェルスクリプトみたいに誰もが簡単に書けてしまって、誰もが簡単に実行できてしまうようなものが世の中を歩き回ると、セキュリティの問題が出るというのは一つあるのだろう。「誰でも簡単にプログラムを書けて、他の人に渡せるなんてけしからん。そんなことはできなくしてしまえ」と考えた人がいまの状況を作ったのかもしれない。でも、もうちょっとなんかやりようはなかったのかねぇ。
フリーソフトウェアとか、オープンソースソフトウェアなんかは、セキュリティの問題に対して「ソースコードが見えているんだから、悪意のあるコードは弾けるでしょ」というアプローチなんだろう。
でも、ソースコードなんか見なくても顔見知り同士だし仕事の付き合いの間柄なんだから、中身を見なくても信用してソフトウェアを手渡しするし、渡されたほうも使うよ、というケースを、フリーソフトウェアやオープンソースソフトウェアは満たしにくい。
なぜなら「簡単に実装できてユーザーの側も簡単に使える」という部分がフリーソフトウェアやオープンソースソフトウェアというだけでは満たせないから。マジョリティであるWIndowsユーザーからあまりに遠いし、顔見知りや仕事の付き合いならそもそもセキュリティは問題じゃない。だからソースが見えようが見えまいがどうでもいい。
「開発しやすく、人に渡しやすく、渡された人も使いやすい」という部分を満たすフレームワークが欲しい。そういう意味では、Webという仕組みが一番近いんだと思う。でも、WebはUnixツールみたいに組み合わせて使うことができないので、結局パイプラインの自動化みたいなことはできないんだよなぁ。
しばらく前からYouTubeが流行っているけど、たしかにYouTubeには面白いコンテンツがたくさん転がっている。それは以前に比べて「映像・音楽コンテンツが開発しやすく、渡しやすく、渡された人も使いやすい」という環境をコンピュータと一連の企業と、クリエイター達が提供したからだ。
それによって映像・音楽コンテンツ自体の価値が相対的に下がり、クリエイターにお金が還元されにくくなったという問題は出ているけれども。ただ、前時代に比べていまのほうが人々の生産性は上がっているというか、全体としての幸福度(リソース)は増えているというか。
昔は一生懸命ラジオ番組に聞きたい曲のリクエスト葉書を送って、葉書が採用されたらそれをテープに録音したり、お金を貯めてCDを買っていたのに、いまはもうそういった古い曲も最新の曲も、YouTubeでタダで聞けてMVまで見られるというのは、出血大サービス意外の何者でもない。かつて貧乏だった我々は、いつのまにか大富豪になったのだ。クリエイターは出血多量で死にそうになっているらしいけど。
なんの話だっけ。そう。映像・音楽コンテンツについては富豪になった。でも、それ以外の生産性とかコンピューティングという点ではあまり進展が見られない。ぼくらの手の中にあったはずの可能性が、むしろ減っているのではないかと思う。それが歯がゆい。
Unix系OSを使っているプログラマに渡すのであれば「適当にパスの通ったところに置いてターミナル(シェル)からスクリプト名を入力して起動してね」と、説明するまでもなく伝えられる。
でも、シェルスクリプトはWindowsを使っているプログラマには使えないし、非プログラマの人にも使えない。そうすると結局インストーラを用意して、UIもそれなりの見栄えにして、さらにそうするためにはきちんとしたプログラミング言語とフレームワークで実装してデザインも整えて、と格段にハードルが上がる。
それでも1000人のユーザーにプログラムを配るのであれば開発工数がペイするかもしれないが、たった数人の「業務をちょっと改善したいんだ」といった事情であればまったくそうはいかない。かくしてプログラマは、困った顔で「それはできないです」と回答するか、メガネをくいっとしながら「技術的には可能です」と回答するしかなくなる。
コンピュータの世界にGUIなんか(ほとんど)なくて、プログラマもユーザーもUnixを使っていたような時代であれば、シェルスクリプトをそのまま渡せばよかったんだけどなぁ。
まぁ、時代が変わってGUIが当たり前、誰もがコンピュータを使って当たり前、という世の中になってしまったのだから仕方がない。それはそう。だけど、時代が変わったなら変わったなりに、人々の生産性をもっと確保できるような仕組みを、コンピュータ業界が提供できるよう進化しなかったのはなんでなんだろう。
まあ。シェルスクリプトみたいに誰もが簡単に書けてしまって、誰もが簡単に実行できてしまうようなものが世の中を歩き回ると、セキュリティの問題が出るというのは一つあるのだろう。「誰でも簡単にプログラムを書けて、他の人に渡せるなんてけしからん。そんなことはできなくしてしまえ」と考えた人がいまの状況を作ったのかもしれない。でも、もうちょっとなんかやりようはなかったのかねぇ。
フリーソフトウェアとか、オープンソースソフトウェアなんかは、セキュリティの問題に対して「ソースコードが見えているんだから、悪意のあるコードは弾けるでしょ」というアプローチなんだろう。
でも、ソースコードなんか見なくても顔見知り同士だし仕事の付き合いの間柄なんだから、中身を見なくても信用してソフトウェアを手渡しするし、渡されたほうも使うよ、というケースを、フリーソフトウェアやオープンソースソフトウェアは満たしにくい。
なぜなら「簡単に実装できてユーザーの側も簡単に使える」という部分がフリーソフトウェアやオープンソースソフトウェアというだけでは満たせないから。マジョリティであるWIndowsユーザーからあまりに遠いし、顔見知りや仕事の付き合いならそもそもセキュリティは問題じゃない。だからソースが見えようが見えまいがどうでもいい。
「開発しやすく、人に渡しやすく、渡された人も使いやすい」という部分を満たすフレームワークが欲しい。そういう意味では、Webという仕組みが一番近いんだと思う。でも、WebはUnixツールみたいに組み合わせて使うことができないので、結局パイプラインの自動化みたいなことはできないんだよなぁ。
しばらく前からYouTubeが流行っているけど、たしかにYouTubeには面白いコンテンツがたくさん転がっている。それは以前に比べて「映像・音楽コンテンツが開発しやすく、渡しやすく、渡された人も使いやすい」という環境をコンピュータと一連の企業と、クリエイター達が提供したからだ。
それによって映像・音楽コンテンツ自体の価値が相対的に下がり、クリエイターにお金が還元されにくくなったという問題は出ているけれども。ただ、前時代に比べていまのほうが人々の生産性は上がっているというか、全体としての幸福度(リソース)は増えているというか。
昔は一生懸命ラジオ番組に聞きたい曲のリクエスト葉書を送って、葉書が採用されたらそれをテープに録音したり、お金を貯めてCDを買っていたのに、いまはもうそういった古い曲も最新の曲も、YouTubeでタダで聞けてMVまで見られるというのは、出血大サービス意外の何者でもない。かつて貧乏だった我々は、いつのまにか大富豪になったのだ。クリエイターは出血多量で死にそうになっているらしいけど。
なんの話だっけ。そう。映像・音楽コンテンツについては富豪になった。でも、それ以外の生産性とかコンピューティングという点ではあまり進展が見られない。ぼくらの手の中にあったはずの可能性が、むしろ減っているのではないかと思う。それが歯がゆい。
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