メッセージ。 - diary

2024-12-04

# にゃー

「カメラ市場に再び暗雲が垂れ込めている」というBCN?さんの記事が最近公開されたらしい。関連していくつか意見を述べられているYouTuberの人を見掛けた。

https://www.youtube.com/watch?v=a1ZmD08Vvt0
https://www.youtube.com/watch?v=s-raUVnGggA

どちらも興味深くって、記憶に残ったフレーズとしては「写真には記録用途とアートの用途があって、スマホは記録用」というものとか、「身近なものを綺麗の撮るとか、動画を撮るという点ではスマホで十分であり、その分野ではむしろ一眼カメラは負けている。普通の人にはスマホで十分で、普通の人をカメラに呼び込むこと自体が不可能じゃないか。どうしてカメラメーカーは高性能化に突き進むのか?」といったニュアンスの意見かな。

たしかに、普通の人にとってわざわざカメラを買う意義が、2024年時点では少ないと思う。旅行の記念にとか、日常生活のスナップにという用途はスマホで十分だろうし、カメラというのは大きくて重くて高価なので、わざわざ買ってまで使おうという人は少ないだろう。

とくにプロではない「記録」用途の人(大半の人)には「カメラを買ったほうがいいよ」とは勧められない。ただ、目的が記録ではなくアートになるなら、いまでもカメラは面白いと思う。もちろんスマホでもアーティスティックな写真は撮れると思うけど、カメラで写真を撮るのには、なんていうのかなぁ・・・楽しさとか、手作りする感じ、アナログのダイレクトさがある。車でいえばATとMTの違いのような。スマホがATでカメラがMTね。

いや、カメラのほうでもAFにAIが適用されたりとか、高速連射とかで、カメラメーカーは自動化技術を頑張っているので、必ずしも「手作りする感じ、アナログのダイレクトさ」ではない方向性にカメラメーカーさんは突き進んでいるけれども、それはあくまで「スマホと差別化せねばならない」とか「技術は進展させねばならない」というカメラメーカーの宿命とか使命感、常識がそうさせている気がしていて、アートとは別方向の力学が働いていると思う。

「アート」という意味では、いまでもカメラは楽しいし、楽しむためには必ずしも高性能・高機能は必要ないというか、むしろ不便でいいから安くてfun to useなものが、もう少しカメラメーカーから出てほしいなぁと思う。

あと、カメラメーカーにとってスマホとの差別化がビジネス上必要だというのは分かるのだけど、だったら以下のような需要に対応するのはどうなんですかね?

- 監視カメラとか定点カメラ
- ドローン
- 360度被写体を追従してくれるカメラ(360度カメラとかOSMO Pocketのようなもの)
- ライフレコーダー(ドライブレコーダーのようなものだけど、人間の身に付けて「あっ」というイベントが起こったときに後から記録を明示的に残せる」)
- 使い捨てのようなカメラ
- 不便を楽しむカメラ

「いままでのカメラの形」「いままでのカメラの用途」にこだわるから、スマホの登場によって皆が「カメラ」を欲しがらなくなっているのであって、外の世界に目を向ければ、皆が欲しがってスマホでは用途を満たせないような製品はまだまだ作れるんじゃないかと思う。
2024-12-04 23:10:43 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2024-11-28

# にゃー

カメラ趣味については、個人的にやっすいマニュアルのレンズが好き。なぜなら撮れた写真がすべて自己責任だと思えるから。うまく撮れた写真も失敗した写真も、自分のせいにできる。失敗したときは「あちゃー。次はこうしてみようか、こうしてみたらどうだろうか」と思うことができる。

一方でちゃんとしたレンズを使った場合、撮れた写真をカメラやレンズのせいにしてしまう気がする。うまくいった場合はまだいいのだけど、失敗したとき。「どうしてフォーカスが思ったところに合わなかったんだろう。どうしてゴーストが出るんだろう。どうして思った色味が出ないんだろう」、そうやって「自分ではないもの」のせいにしてしまい、なんというか楽しくない。

ちゃんとしたレンズは、たしかに良いところもあるんだけどね。でも、ちゃんとしてないレンズにも良いところがあるというか。いまどきは、写りも操作性もある程度問題ないと思えるものが安くで入手できる。とくに操作性に関してはマニュアルのほうが便利だし楽しいじゃんと思っている。
2024-12-04 20:04:39 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2024-11-02

# にゃー

やばい。超いまさらだけど、自分の中でEmacs祭が始まっている。Emacs超いいじゃん!こんなクールなソフトウェアがあったなんて知らなかった。いや、ずっとずっと使ってたんだけど。知らなかった。その良さに長い長いあいだ気付けなかった。

何が良いって、エディタなのに自分の好きな機能を追加できる。「カスタマイズ」とか「マクロが組める」とかいう領域を遥かに越えている。エディタなのにファイルマネージャとして使えるし、ファイルマネージャ自体も自由にカスタマイズできるというか、自分だけのファイルマネージャを作れる。しかもけっこう簡単に。ファイルマネージャ以外にも、PC上での暮らしを良くするいろいろが作れる。

ただいくつか弱点もあって、その一つはEmacs
Lispでプログラムを書かないといけないこと。ぼくはLispは全然嫌いじゃないし、EmacsはLispを書くためのサポート機能も充実しているけど、それでもやっぱりモダンな言語に比べたら構造化しにくいしメンテナンスしにくいと思う。

だからちょっと複雑な機能を実装したいときは、バックエンドをPureScriptとかの構造化しやすい言語で書いて、Emacsをフロントエンドとして使いたくなる。どんな言語でもたいていそうだろうけど、UIを書くのはけっこう面倒くさい。低レイヤのコードをたくさん書かないといけなくてバグも出やすい。なのに柔軟性に欠ける。EmacsをUIレイヤとして使えばかなり楽できるというか、Emacs使いにはむしろご褒美。良いツールができても他のユーザー(普通の人)に配布しにくいのが難点だけど。

もう一つの弱点はマニュアルが読みにくいこと。他の言語のマニュアルに比べて特段悪いというわけではないけど、良くもない。マニュアルのせいもあってEmacsの良さに気付くのにこんなに時間がかかったのではないかとも思う。Emacsはマニュアルを読む気にならないんだよね。ソースコードも長くて読む気になれないし、ネットで検索するのも難しい。PureScriptのマニュアルとかソースコードなんかは、ミステリー小説を読むみたいに面白く読めるんだけど、そういう感じではない。精進が足りないだけかもしれないけど。
2024-11-02 23:57:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2024-10-07

# にゃー

仕事で使うソフトウェアとかサービスに関して、たまに利用規約が表示されて同意が求められるけど、これをいち平社員である個々の社員が同意・不同意を判断のうえボタンを押してもいいものなんだろうか。

本来であれば、その契約はソフトウェア・サービスの事業者とそれを使用する企業のあいだで交わされるもので、決裁権のない従業員個人には同意するかどうかの判断ができないし判断できたとしても契約の代理人となるには決裁権者の承認が必要なはずだ。

だから、決裁権のない一介の使用人の画面に利用規約を表示させて「同意しますか?」とか聞かれてもほとんど意味ないと思う。それとも、ある会社のある一人の社員の画面で同意ボタンが押されたら、他の社員の画面には同意を促す画面が表示されなくなるんだろうか。そうではない気がするし、もしそうではない場合、ある社員が同意ボタンを押して、別の社員が不同意のボタンを押したらどうなるんだろうか。

あと、アップルみたいな大きな会社が利用規約を変更したとき、その使用者である個々人がそれぞれみんな利用規約を読んで同意・不同意を判断しないければならないというのは社会全体で見れば非効率だと思う。せめてどこがどう変わったのか、利用規約を提示する側や第三者が分かりやすく説明してくれないかな?第三者としてはメディアがやってくれるとうれしいけど、お金にはなりくにそうだからやってくれる人はいないんだろうな…。公共機関がやってくれてもいいぐらいだと思うけど、何かあったときに責任を取りたくないだろうから難しいか…。

正直言って、利用規約を読んで法的に問題ないかどうか判断するのは、丸一日かかるとか、もっとかかることだよ。とくに法律に詳しくない普通の人には不可能に近いほど難しい(高齢者とかだったらなおさら)。だから実態としては、97%の人は真面目に利用規約なんか読まずに同意ボタンを押していると思うし、企業が提示する利用規約自体も現実的にはもう読めないほど長くて複雑だ(iOS18とApple
Payの利用規約はあわせて18ページある)。

ひとことで言えばこんなの馬鹿げてる。ほとんど誰も正しいことをできない。
2024-10-07 21:00:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2024-10-06

# にゃー

オンラインミーティングだと二人が同時に話してしまうと何も聞き取れなくなってしまうので、トランシーバーで話しているみたいに、同時に一人だけが話すよう調整しないといけない。これが案外しんどいというかストレスに感じる。

対面のミーティングでも二人が同時に話をする必要はないけれども、どうしても発話が重なる瞬間はあるし、そういう場合でも対面であればお互いが何を言っているか理解できる。そういう状況で「理解できる」度合いが、対面とオンラインでは天と地ほど違う気がする。

電話の場合、同時に発話をしてもオンラインほど「理解できる」度合いは低くないようにも感じる。何が違うんだろうなぁ。電話の場合は耳にスピーカーをくっつけるから、自分が発話中であっても相手の声が聞こえやすいんだろうか。それとも、オンラインの場合は遅延があってそのせいで発話が重なると理解できなくなるんだろうか。なんとなく後者のような気はする。

あとは、オンラインの場合パソコンのマイクは自分の声を集音しつつ、スピーカーから流れる相手の声は無視しないといけないはずだ。そうしないとハウリングというか、スピーカーから流れる音を再帰的にマイクで集音して相手方に転送してループが発生するので、何らかのノイズキャンセリング的な処理が走っていると思われる。そういう処理の影響でこちらが発話しているときに相手方の発話はスピーカーで流れにくくしているのかもしれない。

もし最後のが当たりだった場合、ヘッドセットのようなものを使って物理的にマイクとスピーカーの音が干渉しにくなるようにして、ノイズキャンセリング的な処理の負担を減らしてあげると同時発話が理解しやすくなるのかもしれない。
2024-10-06 23:30:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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