メッセージ。 - diary

2019-07-30

# にゃー

猫は裸だけど、恥ずかしいなんて思ってない。猫自身も思っていないし、周りの誰も思っていない。

あるいは。誰かは恥ずかしいと思っているのかもしれない。誰かが恥ずかしいと声をあげたら皆も恥ずかしく感じるのかもしれない。いずれにせよ、「恥ずかしい」というのはそういう性質のものだ。

恥ずかしいと思えば恥ずかしいし、恥ずかしくないと思えば恥ずかしくない。ほら、こうして何度も書かれた言葉を読んでいると、恥ずかしいという言葉が、何と読むのか、正しく書かれているのか不安になってくる。

何が恥ずかしいのか、何が恥ずかしくないのか、なぜ恥ずかしいのか、なぜ恥ずかしくないのか、なぜここにいるのか、自分は一体何をしているのか、自分とは一体何か。分からなくなる。というか、よく考えたら分からない。元からわかってなどいなかった。

人間とはそういうものだと思う。「猫は何にも知らない」と人間は思っているけれども、猫と人間の間にそんな大きな違いはあるだろうか?知らないことだらけだけど、猫だって自分の道を歩んでいる。自分の次元を生きて、死んでいく。
2019-07-30 09:16:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

昔から、漫画雑誌の表紙に水着の女の子の写真が載ってるのは違和感があった。季節感がないし、なにより本の内容を表していない。たしかにある年ごろの男の子にとって、(水着の)女の子(の写真)は興味深いものであるだろうけれども、そこにどういった意味や価値を見出すのか。最近は、雑誌の表紙だけでなく、街のいくらかにも女の子のイラスト・アイコンが進出している。人の営みや文化の表出には、表現されたもの自体には、必ずしも意味や整合性などない。しかし、それが編み出され表出され、居場所を見つけるに至った背景には、何らかの物語や(個人的・集団的な)意味があると思う。それらを想像するのは面白い。
2019-07-30 08:54:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-07-22

# にゃー

「皆を巻き込み皆の合意を得ながら進めたほうがいい(そのほうがメンバーのオーナーシップが上がる)」という人は、結局のところ皆がどうとかではなく自分が外されるのが嫌なだけのではないか。本質的な対話や議論が忌憚なくできるチームならまだしも、そうでないメンバーで皆でやってたら効率が滅茶苦茶下がるし、最大公約数的なつまらないものになるリスクが上がる。他の人間の意見を無視するわけではないけど、独立したアーキテクトやアーティストがたたき台を作らなければ、コンセプトや哲学がないプロダクトになってしまい、冒険やチャレンジができない。
2019-07-22 09:11:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-07-19

# にゃー

自信がないことを悪くいい頭ごなしに否定する人がいるけど、科学的態度としてはむしろ「自分を信じない」ほうが正しいように思う。突き詰めていえば、自分を簡単に信じる人なんて信用できない。議論ができない。真実を追求できない。

ただ、現実的にはこんな議論ができる人ってのは限られていて、「自信を持って言い切らないのは不誠実」などという宗派の人も社会の中には非常に多い。むしろ科学派のほうが圧倒的マイノリティという状況で、しかしエンジニアやデザイナは仕事をしなければならないという恐ろしい世界がここってこと。

それでも地球は回っているという話。かもしれない。
2019-07-19 08:42:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-07-12

# にゃー

考えてみれば、大人になるってことはある意味で命を投げ打って死ぬってことと同義なのかもしれないな。たとえば蝉は、長い年月を幼虫として土の中で過ごすが、地中から出てきて大人になると、たった数週間かそこらで死んでしまう。じゃあ、いったい何のために大人なんかになるのか。
2019-07-12 09:24:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

ある職種の人に仕事のことをヒアリングする機会があったんだけど、その人は「お客さんから問い合わせが来るのが一番めんどくさい」と言っていた。その後なぜそれがめんどくさいのか具合的に聞いていたんだけど、ふと「でも、お客さんから問い合わせが来て頼りにされたり、問題解決を提供できたりすると、やりがいを感じないんですか?」と尋ねてみた。そしたらその人はちょっと困惑したような感じで「やりがいなんてないですよ」と言っていた。「この仕事にはやりがいなんてない」と言っているように聞こえた。それ以上は追求しなかったけど。「やりがいなんてない世界」ってのが、この宇宙にはあるのかもしれないと感じた。
2019-07-12 08:51:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-07-09

# にゃー

HaskellのNetwork.Curlでめっちゃハマった。セッションCookieが保存されたりされなかったりという現象が出て、サーバー側の仕様が正確に分からずブラックボックスという条件なので、どこで何が起こってるのかさっぱり分からん状況。いったんは要件を実装に落とすことそのものを諦めたんだけど、Network.Wreqに切り替えることであっさり解決。Network.Curlに不具合があると思うんだけど、デバッグする時間が取れないんだよなー。とりあえず、今後Network.Curlは使わないようにしよう…。
2019-07-09 09:16:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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