メッセージ。 - diary

2019-05-10

# にゃー

面白いことや楽しいことは、待っていても向こうから勝手にやってきたりしない。
2019-05-10 09:11:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-05-08

# にゃー

はてなブックマークをやめてから、かなり時間を持て余すようになった。それで持て余した時間をどう過ごしているかというと、だいたいカメラ関係。Amazonや価格コムで製品レビューを読んだり、過去に撮った写真を何度も見返したり。生産的ではないと思いつつも、心動くものがほかに見つけられないでいる。

ただ、とくに過去の自分の写真を見返して、新しく写真を撮ったりしているうちに、なんとなく写真がうまくなったような気がする。同じ機材を使っていても、撮影の意図を少しでも考えるようになったし、よりピント精度の高い写真が撮れるようなった。気がする。

カメラ関係のレビューを読んでいるとどんどん新しい機材が欲しくなるけど、本当は機材なんてそんなに必要ないんだよな。それよりもっと、被写体やシャッターチャンス、光や、どこからどこにカメラを向けるかのほうが大事で、もっといえばどこに行って何を見たいのか、誰と何をするのか、自分は何をしたいのかが本当は大事なんだと思う。
2019-05-08 09:16:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-04-22

# にゃー

昔、エネルギー革命や産業革命が起こる前、人間が住む環境をコントロールしようとしたとき、どんなことをしただろう。たとえば、作物の取れにくい痩せた土壌、雨が少ししか降らない土地、土砂崩れの起こりやすい土地。今のように重機も、車や鉄道による流通システムもない時代。そんな時代に人間が使った道具は、たぶん水だ。山に降った雨が川に流れる。その流れを少し変えて、水と地形の力で、少しずつ地形や土壌や流通システムを変えていくことができる。ビーバーがダムを作るように、人間もダムを作り、川を作り、長い年月をかけて土壌や土地を「改良」していったはずだ。大きな力の助けを借りる、大きな力を使いこなす。観察し、調査し、実験する。小さなロジック、小さなスイッチが、大きな力の流れを変えうること。ただ大きな結果を得るためには、大きな背景を理解し、先を読み、本質を突く必要がある。
2019-04-22 09:11:07 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

練習もしないで、できるようになるわけがない。たくさん練習をしたら、できないはずがない。
2019-04-22 08:36:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-04-19

# にゃー

神さまは、あなたが笑顔でいるのを見たいんだよ。
2019-04-19 08:42:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-04-18

# にゃー

人は、何かを演じることができる。会社員なら誰でも、「会社の中で働く人には、こういうリアクションが期待されているだろう」というイメージを持ち、それを演じている。父親には父親の、通行人には通行人の、カメラを持つ人にはカメラを持つ人の、子供には子供の、猫には猫の「イメージ」や「社会から要請されている『あるべき姿』」があり、この社会においては、その範囲内で振る舞う限りある程度の安全が保証されている。だからみな、ほとんどの人はほとんどのケースで、そのイメージを逸脱しないようにしている。

一方で、そういったイメージを演じることには、オーバーヘッドがある。ネイティブマシンの上で動く仮想マシンには、ネイティブマシンより早く動作できないという差分、オーバーヘッドがあるように、ネイティブな人間の感性や思考、好みをある程度封じ、社会から要請されるイメージを演じることは、オーバーヘッドを内包している。もちろん、「イメージを演じる」ことは、その役割に期待されている機能性を満たすための「プロトコルに沿っている」ことを保証する意味もあるので、マクロ的に見たときの生産性という観点では、オーバーヘッドとプロトコルは相殺されるのかもしれないが。
2019-04-18 09:24:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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