メッセージ。 - diary

2019-06-14

# にゃー

昔はよく、テレビで映画作品を見せてくれてたけど、もうああいうのはやらないのかなぁ。金曜洋画劇場とか、そういうやつ。別に古いのでいいというか、古いのがいい。キングコングとか、スーパーマンとか、俺たちに明日はないとか。だって、あれらの作品には文化的価値があるよ。とくに子供達にとって、ああいった作品に触れて文化の連なりの輪に入ってもらうというのは、計り知れない価値になる。そういうのを見て子供達は何かを学び、また新たなものを作り出していく。そういったものこそが価値であり、意義であり、面白い仕事だと思う。
2019-06-14 09:11:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-06-11

# にゃー

駅にいると、外国人に道を聞かれることがあるんだけど、よく知らない場所(普段乗らない路線や行かない場所)について聞かれるということもあり、微妙な教え方をしてしまうことが多いんだよなぁ。間違った道を教えてしまったり混乱させるぐらいなら、「知らない。ごめんね」と答えたほうがいいのかもしれない。だいたいぼくは、もともと路線や地理の把握が苦手なほうで、さらに人と話しながら物事を考えたり整理したりするのが苦手なので、容易にオーバーフローしちゃうんだよなぁ。
2019-06-11 09:16:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-06-07

# にゃー

本当に良いものを作って売っている人は、顧客から「ありがとう」と言われる。お金をもらっているのはこっちなのに、あたかも金銭のやり取りなどなかったかのように感謝され応援される。そのような商いを成り立たせることが、商いの真の意義である。
2019-06-07 23:45:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

中華デバイスって、本当にクラッキングのリスクあるのかなぁ?一応、重要な情報を預けるPCには、中国製を避けてきているけど。ただ、Zaurusの代替として小さいPCがやはり必要となったとき、キーボードとディスプレイのついた小さい計算機というと、市場にはもはや中国製しか残っていない(知る限り)。どうしたらいいんだろうか。
2019-06-07 09:16:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-06-04

# にゃー

外国人と日本人、という風に十把一絡げにはできないが、観測範囲でのマジョリティをとると、外国人は過程へのコミットを、日本人は結果へのコミットを仕事するうえでの行動原理としているように見える。外国人に仕事を依頼すると、出てくるアウトプットが「これじゃあダメでしょう」となることが多いが、彼らから言わせると「そこまでやる時間がなかった」とか「そこまでやれとは言われていない」とかそういう感じになるのだろう。これが日本人だと、依頼主の気持ちを慮って「当然ここまでやらなければならないだろう」「きっと依頼主はこういうものを求めているのだろう」という考えのもとに作り込まれたアウトプットを出してくる。どっちが良い、悪いという話ではない。どちらかがうまくいくこともあるし、そうでないこともある。ただ言いたいことは、「どうしてアッチはああなんだ」とただ思ったり言ったりしてても意味ないってこと。
2019-06-04 09:24:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2019-06-01

# にゃー

外国人と日本人、言葉は違うけれども、心のあり方自体はそう変わらない。だから、言葉は通じなくても人間どうし顔を見てれば何となく言いたいことは分かる。怒ってるとか、喜んでるとか、つかれたとか、いやだとかうれしいとか。言葉が通じたら、もっと細かいことが通じたり、簡単に通じたりするだろうけど、基本的には程度の差でしかない。つまり、「言葉が通じないから話せない」というのは間違いで、言葉は通じなくても話はできる。お互いにその気さえあれば。ぼくも苦労して長いあいだ英語を勉強してるけど、外から見て「会話ができている」ように見えたとしたら、それは間違いだ。ぼくは英語が話せるわけではない。ぼくの英語は全然からっきしだ。ただぼくは、彼らと話をしているだけ。顔色や話の流れを見て、彼らが何を言おうとしているか理解しようと努め、物事ができるだけいい方向へ進むよう手段を選ばず伝えようとしているだけ。ネイティブの英語力を100点とすれば、ぼくの英語力は10点もいっていないくらい。2点や5点の人から見たら「10点はすごい」と思うかもしれないけど、全然すごくない。どんぐりの背比べでしかない。10点の人を見て「すごい」と思ったり、ましてや「自分なんて」とか「自分はできない」と卑下する必要は全然なくて、「10点未満のひどい点数でもなんとかなるんだ」と捉えるのが正しい。実際、2点でも3点でも英語で十分コミュニケーションしている人はたくさんいる。だって基本的に、会話においては言葉自体より、話す内容のほうが重要だから。内容がマッチして必要なことが伝わるのなら、それで十分なんだよ。言葉は言葉で学ぶ必要があるけど、内容のほうが全然大事。内容がありさえすれば、言葉は何点だっていい。とくに英語はそういうものです。
2019-06-01 23:36:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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