メッセージ。 - diary
2019-03-26
# にゃー
いま、来期の目標を立てようとしている。突き詰めていえば、それは理想と現実を明確な言葉にし、そのギャップを埋めていく方策を挙げるだけのことだ。けれども案外、それだけのことが難しい。理想を口にすると、身のほどを知れと言われるのではないか、達成できなかったらどうしようと怯え、現実を語るとあまりのちっぽけさに押しつぶされそうになる。結果、人は理想も現実も曖昧なままにし、それっぽく見えるハリボテをただ並べる。でも、こんなお飾りに何の意味があるだろうか。ひとつの問題は、心のうちを明かせないことだ。どんな理想も、現実もあっていい。どんな結果もあっていい。我々の仕事は、ただできるだけ、現実が理想に近づけるよう手助けし応援することだ。
2019-03-22
# にゃー
外国人と日本人、あるいは開発と営業。それらの間には溝がある。それらの間だけではない。それぞれの人間には、個性があり考え方の相違があり、要するに文化の違いがある。
そういった背景のなか、お互いがお互いを「あっちが悪い」と思い合うという状況がよく起こる。大事なのは、その間に誰かが立って軋轢を吸収するのではなく、お互いに思っていることを伝えあい、相手が何を考えているのか、心の中に何を持っているのか、交換を手助けすることだ。
なぜなら、間に立って緩衝地帯になってしまうと、あるいは自己努力で解決してしまうと、プロジェクト自体はなんとか回るかもしれないが、相互理解や相互信頼が築けなくなってしまう。そうすると、いつまで経ってもチームはバラバラなままだ。
お互いが何を考えているのか、何を大事に思い、どこに向かって走っているのか。何を得意とし、どこをサポートしてほしいと思っているのか。ちゃんと伝えたほうがいい。そうしないとパスが通らない。ラインが繋がらない。
マネージャーの仕事には、情報をまとめて決めることも含まれるかもしれないが、単にそれだけではないとぼくは思う。情報ではなく、人をまとめる。人と人とを出会わせる。そのために信頼関係を築き、チームをビルドし、ブレイクスルーを目指す。そういうものであると理解している。
そういった背景のなか、お互いがお互いを「あっちが悪い」と思い合うという状況がよく起こる。大事なのは、その間に誰かが立って軋轢を吸収するのではなく、お互いに思っていることを伝えあい、相手が何を考えているのか、心の中に何を持っているのか、交換を手助けすることだ。
なぜなら、間に立って緩衝地帯になってしまうと、あるいは自己努力で解決してしまうと、プロジェクト自体はなんとか回るかもしれないが、相互理解や相互信頼が築けなくなってしまう。そうすると、いつまで経ってもチームはバラバラなままだ。
お互いが何を考えているのか、何を大事に思い、どこに向かって走っているのか。何を得意とし、どこをサポートしてほしいと思っているのか。ちゃんと伝えたほうがいい。そうしないとパスが通らない。ラインが繋がらない。
マネージャーの仕事には、情報をまとめて決めることも含まれるかもしれないが、単にそれだけではないとぼくは思う。情報ではなく、人をまとめる。人と人とを出会わせる。そのために信頼関係を築き、チームをビルドし、ブレイクスルーを目指す。そういうものであると理解している。
2019-03-19
# にゃー
久しぶりにTwitterをのぞいてみたら、「あなたのつぶやきがリツイートされました」的な通知が来てた。2009年のつぶやきだったのだけど、内容は最近(2019年)にはてなブックマークでコメントしたものとまったく同じだった。よくいえば一貫しているけど、10年同じことを言ってて何も変わってないなら、もうボットでよくない?と思った。そして、この内容と同じものをまた10年後、どこかで書いてる予感。あるいは、もうすでにどこかに同じものを書いているのかもしれない。ありうる。もしくは、もうぼくはボットで、ここを見ている誰か(自分含む)ももうボットなのかもしれない。あるいは、どこかの世界から取り残された思念体か。
2019-03-18
# にゃー
禁煙ならぬ「禁はてなブックマーク」は継続中。たぶん1週間か1か月ぐらいはもつ。思えば子供のころ、欲しいものがあっても我慢する技術を身につけたので、その後もずっと、欲しいものがあってもなんとかやり過ごすことができている。逆にいえば、もうずっと、欲しいものから遠ざかっている。見ないようにしている。よく言えば、過ぎたるを望まず。足るを知る暮らしといえるかもしれない。ただこれで良かったのか悪かったのか。欲しいものを欲しいと望み、手に入れられる人生であったならばどうだったろうか。少なくとも、欲しいものを欲しいと願う気持ちだけでも、持ち続けるような人生のほうが、いいのではないか。ぼくだけではない。ほかの人や、これからを生きる子供たちに、こんな風に我慢し諦める生き方を是として伝えるべきか。最終的には。欲しいものすべてを手に入れるのは難しい。実質的に不可能だし、どこかで人は、どうしてもなくしたくないものさえ失ってしまう。だから、どこかで諦めるのはいい。諦め方を学ぶことはすごく大事だ。ただ、諦めで満たされたような生き方は悲しすぎる。人生は、変えられるはずだ。