メッセージ。 - diary

2023-01-24

# にゃー

↓のような話題でみんながいろいろ言っているみたいなんだけど、ピンと来ない意見が多かった。

「ここから、なんで負けた?」〜”スマホ前夜”の日本製品から、企業や技術の問題点が議論される - Togetter
https://togetter.com/li/2054851

どうして国産携帯電話がiPhoneになれなかったのか?その答えは、世界中のみんながiPhoneを夢中になって欲しがったのに対して、国際携帯電話はそうでなかったことだ。iPhoneが出た当初、世界中の人は目を輝かせて我先にとそのデバイスを手にしようとした。(それ以前からいくつものApple製品にはその予兆があったが)iPhoneは、誰もが欲しくなるような魔法のデバイスだった。

なぜ人々はそれを欲しがったのか?そこには夢があり、自由があり、フロンティアがあったからだ。ポケットの中から世界中にアクセスできる機械。しかも、ただアクセスできるだけじゃない。自分の書いたプログラムを走らせることができて、カメラやセンサーで環境データを扱うことができて、自分の好きな音楽や写真や本や誰かとのつながりを、好きなだけ持ち運ぶことのできる機械。

そんなことは、iPhone以前にはほぼ不可能だったことだ。正確にいえばPDAやZaurusはその当時すでに存在したので完全に不可能だったわけではない。だけど、iPhoneはそういった夢の機能を、オタクやギークや一部のビジネスマン以外の誰でも扱えるようにした。プログラムが書けなくても、誰か別の人が書いたプログラムを簡単にもらってくることができたし、自分の書いたプログラムを簡単に誰かにあげることができた。そういったプログラムを売買するマーケットさえあった。

それ以前の電話にはできなかった自由。誰もが手を伸ばすことさえ諦めていたあの空が、いつのまにか手の中にあった。きっと同じようなことが、自動車が発明されたときにも起こっただろうし、飛行機やテレビやコンピュータや活版印刷や農耕が発見されたときにも起こっただろう。革命だ。人々を夢中にし、大きな可能性を与え、多くの人の人生をも変えてしまうような大きな変化。社会を揺るがし時代を作るような大きな力がそこにある。

それは、単に「携帯電話にタッチパネルを付けてみました」ということでは断じてない。時代に必要とされるもの、あるいはそれ以上、時代を作り出していくような力。夢を現実にし、人々や社会を導くような意志とコンセプトと設計と実装と実行力があって初めて実現するものだ。ある意味では青臭い夢とも言えるだろう。だけど、そういった夢を追いかけてきたからこそ、AppleもGoogleも今の位置にいるのだと思う。
2023-01-25 07:11:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2023-01-03

# にゃー

「こんな名曲がどうして人に知られていないのだろう?」という曲が世の中にはたくさんある。ぼくにとってそんな曲の一つがピタゴラスイッチのなかで流れていた「対応の歌」なんだけど。

https://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?das_id=D0005260227_00000

とてもいい曲で、これを聞くとちょっと感動してしまう。あまり人に知られていないのが不思議だ。恋愛とか友情とかをテーマにした曲もいいけど、こういう曲をあまり世の中で見ないのも不思議。
2023-01-03 08:57:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2023-01-01

# にゃー

遠く離れた場所から、いつもあなたの幸せを願っている人がいる。どうかそのことを覚えていてほしい。
2023-01-01 08:51:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2022-12-18

# にゃー

生きるということは、誰かや何かを好きになっていくということだ。好きになる対象は、身近な人でも遠くの憧れの人でもいい。物語のなかのキャラクターでもいいし数式でもいい。とにかく、好きなものを見つけて、焦がれて、かけがえのないものになっていくこと。それが、ぼくらをこの世界につなぎとめる。
2022-12-18 01:15:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2022-11-15

# にゃー

できないことを数えたり、だめなところばかりを見ていると、何もできなくなる。人間は完全ではないのだから、できないことやだめなところがあるのは当たり前。自分にだめなところがあるのを認めること。認めたうえで、ある意味気にしないこと。だって、仕方がないじゃない。どうすればいいっていうんだ。完全なものなど作り出せはしない。そこは最初から諦めるしかない。

でも、完全にいいものは作れないとしても、完全にだめじゃないものは作れるかもしれない。いつか誰か何かの役に立つかもしれない。いや、役に立つ必要すらないのかもしれない。人生に意味はあるのか?という問題か。意味があるかないか、それすら分からない。意味があればあなたはそれをやるのか?意味がなければやらないのか?いまこの瞬間、生きている意味など正直ぼくには分からない。この瞬間生きていること、今見ているもの触れているもの、いる場所、していること、ここに来た理由、そのすべてを、「意味があるからやっているのか?」

逆に言えば、人間は間違い続けている。人間に限らず、すべての生き物も、たぶん無機物も、間違い続けている。そこにはもしかしたら間違いだけでなく、正しさも含まれているかもしれない。この一瞬、すべての座標で、何かが起こっている。ただそれだけだ。
2022-11-15 08:00:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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