メッセージ。 - diary

2011-03-08

# にゃー

いやぁしかし、携帯で文章を打つのは時間がかかるなぁ。これでもだいぶはやくなったはずけど。

昨日の文章打つのも、最後のほうはくじけそうになってたし。…まぁ練習あるのみかな。これくらいの文章であれば、歩きながらで10分ぐらいか。

基本的に、歩いてるときは携帯で文章。電車内で両手が使えるときは、Zaurusでコーディングとしたい。

「写真はすべてイメージです」
2011-03-08 09:20:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

番組としては、この意味深なコメントはまぁ無視で、ぼくとしても、コメントの意味が最初よく分からなかった。でも後からゆっくり考えてみて、いまでははっきり彼の言いたかったことが分かる。彼はきっと、エンジニアとして、目の前にある問題を、解きたくて仕方なくなったんじゃないだろうか。目の前に問題があって、困っている人がいて、でも自分の持つ技術でその問題を解く一助になるんじゃないか。日本にいて研究を続け、学生を教えるのと、チベットで農作物をつくり、地元の人と田を耕すのでは、どちらがより生産的だろうか。どちらがより人の助けになるだろうか。そこには確に人助けという考えもあるだろうが、それ以上にエンジニアとしての性のようなものがあったんじゃないかという気がする。
2011-03-08 00:20:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2011-03-07

# にゃー

そのじいさんは、もとは新潟のほうだったかな、大学で農学を教える先生だったらしい。番組ではこの人のことを「偉い人だ」とか、「日本が世界に誇れる人だ」みたいに褒めていて、実際ぼくもすごい人だと思う。でも本人のインタビューを聞いていると、「偉いですね」というのとは、ちょっと違う文脈で答えているのだ。いわく、「こんな風に好きかってしてしまって、日本に残してきた家族には申し訳なく思っている。しかしエンジニアとして、自分はこの道を選ばざるを得なかった。本当に家族には申し訳なく思う」と。
2011-03-07 23:20:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

そういえば以前、「世界を変える100人の日本人という番組で、チベットの山間部で農業指導をしている近藤さんというおじいさんが紹介されていた。その人は、作物のあまりとれない高地に、様々な工夫を持ち込むことで、誰も思いもしなかったような作物を作れるようにし、村では神様みたいに慕われていた。実際風貌も仙人そのもの。
2011-03-07 22:20:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# にゃー

たとえば人狼BBS。あれなんか、ろくすっぽルールも知らないユーザ同士で遊んでたときが一番楽しかった気がする。で、それって音楽にも同じことが言える気がしてて、「音楽はあまり興味がないんですけど」みたいな人たちが集まってるところにポンと音楽家をほうりこむほうが、「音楽好きです!」みたいな人たちばかりでやるよりも楽しいんじゃないかな。
2011-03-07 09:20:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2011-03-05

# にゃー

若い人はやっぱり、ワークライフバランスというか、仕事とプライベートのバランスで悩んでるんだよなぁ。どうして上の人が気付いて、声をかけてあげられないんだろう(一般論として)。
2011-03-05 09:20:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2011-03-04

# にゃー

やっぱり、いいアイデアを思いついたらすぐ実装したいんだよなぁ。すぐ手を付けないと、情熱が乾いてしまうというか、当初のアイデアがつまらなく感じてしまって、完成にいたらなくなってしまう。理想的には、思いついたらその日のうちに実装して公開してしまう。そしてフィードバックを得る。そういうサイクルのほうが、人間のやる気や関心を持続させやすい気がする。
2011-03-04 09:20:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2011-03-03

# にゃー

抽象度は、ただ単純に高ければ高いほどいいってわけじゃない。解くべき問題に比べて、ツールの抽象度の高すぎる場合、問題を扱いづらくなる。
2011-03-03 21:20:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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