メッセージ。 - diary

2010-04-01

# [日記] 朝の進捗なし

一応コードを見て、若干整形したりしようとしているけど、具体的な進捗はなし。
2010-04-01 08:43:54 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 親の価値観

さっきの記事(悔いが残らないように楽しく行こう!(1/2)|渡辺千賀のはたらけシリコンバレー|パソナテック(PASONA TECH))を見てて1つ「うらやましいなぁ」と思ったことがあって、それは高校卒業後、アメリカ留学したりネット企業に就職したりという方向に進まれたこと。

「アメリカに留学したい」と言い出したのはご自身なので、自身に先見の明というか、意志があったことがすばらしいのだが、翻って自分にそれができただろうか?と考えた。

結論としては、自分にはそれはできなかった。なぜかというと、その当時は「良い大学に入って良い就職をして良い結婚をするのが良い人生だ」というような価値観を、ぼくの親が持っていたと思われるからだ。いや、正確に言うとぼくの親がそういう価値観を持っているか(いたか)どうかをぼくは知らない。

でもぼくは、受験勉強というのを昔からやらされていたし、「良い大学に入ること」が親の望みだと漠然と思っていた。ぼくの子供時代の後半はほとんど「受験生」の時間として費されたし、それが自分にとっても親にとっても「良いこと」なのだろうと思っていた。だってそう思わざるを得ないじゃない? 親に反抗して悲しませるのは、あまり良いことでもないだろうし。親が喜ぶなら子供もうれしい。それが子供というものだろう。

だからぼくにとって、「高校卒業後アメリカに留学する」という案は思い付かなかった。いや、たまには「どこそこの○○さんはアメリカに留学して頑張ってるらしいよ」みたいなことを耳にして、「ああそういうことをやる人もいるのか」ぐらいには自分の中でも生き方の選択肢があるのだとは感じていた。ただ、それが自分にもできるとは、ほとんど思わなかった。だってお金がかかるし、「それをやりたい」というほどの動機がないし。それにぼくには、「受験生」としての目標がある。

「受験生としてこれまでやってきたことを捨てて別の道に進む」という選択肢は、ぼくにはなかった。その道を捨てるということは、脱落であり落伍であったからだ(まぁその後受験に完敗して完全に落伍するのだが)。

要するにぼくには、何かを自分で選びとり、そこへ進む意志がなかったのだ。勉強は苦手だったし、運動も苦手で、小学生のときから「自分にはなにができるんだろう」と考えていたけれども、だけど結局、何かを掴み取ることができなかった。何かを見つけることができなかった。だからあの記事の人のことを、うらやましいなと思う。

ぼくだったら、浪人することが決まったとき、「アメリカに留学しよう」とは思えなかったし、アメリカで留学を終えたとき、「(どこの馬の骨とも知れない)ネット業界に就職しよう」とも思えなかっただろう。ぼくは結局、日本の平凡なメーカーの子会社に就職した(大きい会社だった)。

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最近、テレビで結婚式場にインタビューをしていたのだが、そこで従業員の人が答えていたのが興味深かった。「以前は両家の結婚という形が多かったですが、最近は2人の結婚という形が増えてきています」と。自分からすれば、何を言ってるんだと感じる。恋愛結婚だなんだと言って家どうしの結婚を破壊してきたのは親の世代ではないか、と。お見合いや身分制度に準じた結婚なんてかなり減ってきているんだから、当たり前だろう。

最近、結婚にあたって親がお金を出したりするという話を聞いたりするが、それもよく分からない。結婚というのは一人前になった大人がすることのはずだ。だとしたら、親にお金を出してもらうというのはおかしい。自分でお金を出すべきだし、自分で出せる額以上のことはやらないでいい。結婚式なんて、これからどんどんなくなっていくと思う。
2010-04-01 08:42:06 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 就職ってそんなに簡単じゃないのでは?

「転職しましょう。常に楽しいことをするためには転職しかない。起きてる時間の半分以上は仕事なので、楽しくてなんぼです。つまらない仕事、辛い仕事は、さっさと次の仕事に移るに限ります。」

こんな優秀そうで、何百万も給料もらってそうな人に言われても、全然リアリティがないよ。泣き。

自分なんか転職しようにも、書類選考で落とされまくりで仕事が見つからない。たまたま派遣で使ってもらえたとしても、月収30万円、手取りにすると20万ちょっと。しかも国民年金だから、後で返ってくるお金は雀の涙だ。老後の心配なんてもんじゃない。老後なんて真っ暗だ。労災も下りない。

ビジネスクラスには乗ったことがないけど、今後も一生乗ることがなさそう。そんなぼくからすると、「仕事は楽しくてナンボ」はもちろん理解できるし同意もするけど、そんな明るくはなれない。転職なんて、実際に日本でやってみると難しい。とくに歳が行ってる人にとっては。アメリカに行けばいいんだろうか? だけどそれも簡単そうじゃないし。どうすればいいんだろう? この人は、ぼくみたいな人にはどうすればいいと言うだろう。なんか、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」みたいな話に聞こえる。
2010-04-01 07:40:18 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2010-03-31

# [日記] 朝の進捗 今日もなし

昨日も比較的早く寝て、朝寝坊というパターン。うぐぐぐぐ。通勤時間中にコードを組めるよう、Zaurusを持ち歩こうと思うのだが、久しぶりに引っぱりだしてきたので環境が整っていない。なので調整中。Zaurusは遅いので、ちょっとしたセットアップをするのにも時間がかかる。
2010-03-31 08:42:19 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2010-03-30

# [日記] 朝の進捗なし

風邪を引いたのかなぁ。昨日から背中が痛い。帰宅後もすごく眠くって、夜9時に寝てしまった。そして今朝は7時に起きたのでコードを書く時間がなかった。
2010-03-30 08:39:00 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2010-03-29

# [日記] 土日の進捗…なし

この土日は、不動産屋まわりをしてきた。ところが結構寒くて、寒いなか長時間歩いたことでつかれてしまった。ということで、あまりコーディングできなかった。まぁ、時間がないことはなかったのだけど、趣味のコーディングで時間を浪費してしまった…。

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今日からNHKの朝ドラで、水木しげるさんの奥さんを描く『ゲゲゲの女房』というのをやりはじめたらしいのだが、キャストに違和感を感じる。主役の女優さんが綺麗すぎるのだ。普通の顔の女性を使うというわけにはいかないのだろうか。どうしてテレビに出てくる人は美男美女ばかりなのか。おかしいと思うのだが。

世の中には、いろんな顔の人がいる。綺麗な顔の人もいるにはいるが、普通の顔の人も多いし、気持ち悪い顔の人もいる。というか、自分の顔を全部好きだという人はどれくらいいるんだろうか。ほとんどいないんじゃないだろうか。顔というのはグロテスクなものだ。どんなに気に入らない顔でも、一生付き合っていかなければならない。

人生というのがグロテスクなものなのだ。なのにテレビでは、そういうグロテスクさがほとんど消毒されてしまう。いったいなんなんだろう。そりゃあグロテスクなものを見ると気分が悪くなるだろうけど、でも実際には現実というのはグロテスクなものなのだ。目を背けたくなるような部分も確かにあるのだ。
2010-03-29 08:44:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2010-03-26

# [日記] 朝の進捗あり!

コードをいじってたら、なんとなく動くようになった。「なんとなく」というのは問題なのだが、とにかく動くようになったのは喜ばしい。重苦しい霧が少し晴れたような気分。もう少しコードを整えたらgitのリポジトリに上げること。>自分
2010-03-26 08:43:48 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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