メッセージ。 - diary

2010-02-24

# [社会] Amazon Kindleはどこがすごいのか

AmazonのKindleって、「世界が変わる」とかってベタ褒めする人が多いね。どうしてだろう? 実物を見たことがないので分からないけど、そんなにすごいのかなぁ。褒めている人の記事を読んでも、ちょっとピンとこなかったんだよなぁ。ということで、KindleについてWikipediaで記事を読んでみた。この記事の印象も含めると、Kindleのすごいところって、次のような感じなのかな?

  • EV-DO(携帯電話網を利用した高速通信)が、携帯電話会社との契約や設定をしないでも使える

契約や設定をしないで無線インターネットを使えるということで、インターネットが水や空気のような存在に近付くのかもしれない。従来の携帯電話などでは従量制で通信料金を支払わなければいけなくて、しかも通信料金が高価だった。これがKindle時代になると、ユーザーは通信料金をまったく支払わなくてもよくなる。その一方で、

ニューヨーク・タイムズなどの新聞、タイムなどの雑誌、各種ブログをそれぞれ有料で購読できる。購読しているコンテンツのダウンロードは自動的に行われる。

ということで、通信料金を払う代わりに、コンテンツ購読料(購読したければ)を支払うという形に変わる。つまり、今までは通信というサービスや回線(ネットへのアクセス権)にお金を払っていたけど、Kindle世界では本やパンのような形があるものと同様に、「情報そのものを買う」のが「普通」という方向に意識が変わるのかもしれない。

それと次のは、寝てるとき(Wikipediaを読む前。この文章を書きはじめようと思ったとき)になんとなく思い付いたことだけど…。

  • 高精細に文字を表示できる電子ペーパーの魅力

「Kindleだからすごい」ってのとは違うけど、初めて電子ペーパーに触れた人には、電子ペーパーの魅力をKindleの魅力と混同した部分があるのかなと思った。# ちなみに、混同というと悪い言い方だけど、普及プロダクトのKindleに電子ペーパーが載っているわけだから、普通の人や市場からすれば、電子ペーパーがすごいこととKindleがすごいことはほぼ同義だ。「電子ペーパーすごい」=「電子ペーパーを普及価格帯に載せて我々の手元に届けてくれたKindleすごい」ということだから。

ぼくも初めて電子ペーパーのデモを見たときには「これはすごい!」と感じた。電子ペーパーは、従来のPC等の画面とは見え方が全然違う。くっきりして、確かに紙に印字されたように読みやすい。その違いは、アナログテレビとデジタルテレビの違いに似ていると言えるかもしれない。そして、こういった「すごさ」は、iPod touchが出てきたとき感じた「すごさ」に似ている。

というのも、電子ペーパーもiPod touchも、従来自分が持っていたデバイスとは明らかに違うと感じさせる部分があるからだ。ひとことで言えば、「それを手に入れたら生活が変わるぞ」という予感。この予感があるから、人はそのプロダクトが欲しくなる。この「予感」こそがコンシューマ向け工業製品の命とさえ言えるかもしれない。

ええと、それで、なんだっけ…。「Kindleがすごい」っていう意見は、こういう理由から出てきているのかなぁと思ったのだった。
2010-02-24 08:35:05 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# [日記] 進捗なし

今日は朝から派遣関係の呼び出しがあって出かけた。帰宅後は、別の会社に応募していた件で、「キャリアシートを出せ」ということで、キャリアシートを書いた。これに案外時間をとられて、あまり開発系の作業ができなかった。うがががが。どうしてだろう。なんでもう0時を越えてるのかよく分からない。でも眠いから、寝ます…。おやすみなさい。
2010-02-24 00:53:58 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2010-02-23

# [日記] 人の分まで稼げる人は2割

[Q]そうなんだよな。ぼくが会社を辞めたのも、「自分自身が会社の利益に貢献できていないから」という理由からだった。「会社のお荷物になりたくない」、そう思って会社を辞めていく人って、けっこう世の中にいるんじゃないかと思う。[/Q] 
会社組織なんて、人の分まで稼げるやつ2割、何とか自分の分だけ稼げるかどうかのやつ5割、おんぶに抱っこのやつ3割、とかそんな感じよ。自分の食い扶持分くらい売り上げたってりゃ立派なもんさ。

こういうコメントをいただいた(ありがとうございます)。そうなんだよなぁ。「人の分まで稼げるやつ2割」、それはある程度正しい認識なんだと思う。ただ、「そういう認識が当たり前だ」、「稼げなくてもいいんだ」という考えが、十分普及していない(自明でない)ことが問題だと思うんだよなぁ。

メッセージ。 - 成功体験でも書いたけど、ぼくも昔は、「稼げなくてもいいんだ」という考え方に気付けなかったし、そういう考え方があるってことを思いもしなかった。「会社が稼ぐ」ということがどういうことなのか、イメージできなかった。でも、なぜイメージできなかったのか? それこそが問題なんじゃないかと思うのだ。

「稼げない自分がダメなんだ」、「会社のお荷物になりたくない」って思ってる人は、きっとぼくだけじゃないと思うんだよね。今この瞬間も、そのことで悩んでいる人が、きっとたくさんいる。なぜか?っていうと、結局多くの会社では「稼げなくてもいいんだ」というメッセージを社員に対して発していないからだと思う。

実際ぼくが努めていた会社でも、上司も同僚も「稼げなくてもいいんだよ」とは教えてくれなかった。その理由の1つには、部門ごとに売り上げを達成することが求められていることが挙げられるかと思う。今の多くの会社は縦割りで、それぞれの部門を競争させたり、部門ごとに成績を達成することを求めている(ぼくのいたところはそういう感じだった)。だから、会社としてはやはり「稼げなくてもいいんだよ」とは言えなかったのではないだろうか。

その一方で、うまくいっている企業では、「トータルで利益が出ていて、サステナブルなビジネスができていれば大丈夫」という経営が、きちんと実施できているんじゃないかと考えている。前者は部門最適を優先していて、後者は全体最適を優先させているというか。また同時に、前者は性悪説の経営で、後者は性善説の経営とも言えるかもしれない。「部分ぶぶんは必ずしも稼げなくてもいいんだよ。トータルで利益が出ていて今後もコアコンピタンスを守り育てていけるならいいんだよ」みたいな経営は、チームベースで戦略的な戦い方と言える。このような戦い方は、会社が社員を、また社員が別の社員を信用していないとできない部分がある。

そして逆に、今の日本の企業の多くは、短期的で縦割りの利潤追究を構造に組み込んでしまった。全員が黒字を出すことを求めるという、個人戦ベースの戦い方を採用してしまった。これはサボる社員や遊んでいるように見える社員を許さない構造にならざるを得ないし、それがゆえに「稼げなくてもいい」と言えなくなってしまったのではないか。そしてそういう会社にいる真面目な人は、自分の力で会社に利益をもたらせない状況を、ひどく苦痛に感じてしまうだろうと想像する。

実際には、会社としての良い形というのは、(前者型であれ後者型であれ)「他人のぶんまで稼げる人2割、トントンだったり少し赤字を出してしまう人6割、ひどい赤字を出してしまう人2割」なのではないかと思うが、でも前者型の会社に務める人のうち、真面目な人たちは、「トントンだったり少し赤字を出してしまうこと」に耐えられなくて辞める率は高くなるはずだろう。

また、そういった会社内部の構造的要因に加えて、ここ20年ほど日本は右肩下がりという外部的要因が会社を襲っている。いまの若い人には、「なにをやってもうまくいかない」という経験ばかりをしてしまっている人も多い。高度成長期であれば、平均未満の能力の人でも黒字を出せていたような仕事が、現在では赤字にしかならないというのは、世間のあちこちで起こっている事象だろう。ならば殊更、会社の先輩たちは若い人に対して、「稼げなくてもいいんだよ」と言ってあげなければいけないんじゃないかと思うのだ。

「君は失敗ばかりしている。でも本当は、失敗ばかりしているのは君だけじゃないんだよ。君の同世代はみんな同じように苦労しているし、年嵩の社員だって打開策が見つからないんだ。だから君は、今の状況を気に病んで会社を辞めたりしないで欲しい。君のせいなんかじゃ全然ないんだから。最近は赤字ばかりだけど、会社には君が必要だ。一緒に打開策を考え、実践してほしい」と、年嵩の人間はそう言わなければならないはずだとぼくは思っている。

現在のような右肩下がりの状況で、利益を増やしていくのは難しい。そういった状況でまずすべきことは、前進するか後退するかの明確化なのではないだろうか。「これは戦略的撤退だ」と社員に伝令できるなら、赤字が出ていたって辞める人も減るだろう。そしてある程度後退して態勢を立て直せたならば、縦割りの中で各人が孤立するのではなく、横のつながりで範囲の経済性を活性化させなければならない。仕事を創造しなければならない。そのためには、なによりコミュニケーションが重要だろうと考える。

--

今日の進捗。今日は一応、ちょっと仕事ができた。Amazon S3のテストで簡単なものは全部パスした。また、APIについてドキュメントを書いて仕様書と整合性が取れるように整理できた。まだいくつもやるべきことはあるけど、まぁ今日は少しでも進んだから気分が良い。
2010-02-23 02:12:18 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2010-02-22

# [日記] 家探しと節約生活

昨日の続きで、今日も家探しをした。といっても、横浜の不動産屋をいくつか回った程度だけど。予算の都合から、月の家賃が6~7万円ぐらいで、その代わりにアパートも可、相鉄線沿線という条件で探してみた。この条件なら、いくつか物件がありそうという感触を得る。2~3月は新社会人や新入生が家を借りる時期なので、家探しはちょっと難しい。今回の派遣の仕事で正式に働けるのは3月からになるから、2~3月は様子見をし、実際に契約をして引越しをするのは4~5月になる見込み。

今日は不動産屋まわりをした後、ダイエーや東急ハンズで弁当箱と水筒も買ってみた。今後は基本的に、会社へ弁当とお茶を持っていく予定。もはや昼食を外食で済ませたり、自販機でジュースを買ったりする余裕はない。以前はずいぶんお金を無駄に使っていた。毎日自販機でジュースを3本ぐらい買っていたから、日に400円、月に8000円ぐらいを飲み物に使っていたことになる。銀行ATMでお金を降ろすのも、時間外の手数料とか気にしていなかった。でも最近は、そういったコストをできるだけ切り詰めるようにしている。弁当を実際に毎日作るのは大変だろうけど、まぁとりあえず挑戦だ。貧乏生活なのだけど、案外こういうのも楽しい。

そういえば少し前に、2ちゃんねるのまとめサイトで、「持たない暮らし」みたいなのが紹介されていた。なんでも最近の若い人のなかには、車や家具や本やテレビなどをできるだけ持たないで暮らすことを楽しむ人たちが出てきているようだ。今日立ち寄った本屋さんにも「持たない暮らし」みたいな本が平積みになっていた。今の時代、とくに若い人はお金がないから物を買うのは負担だし、買ったら買ったで狭い家には置いておく場所がない。だったらできるだけ持たないほうが楽しく暮らせるんじゃないか、という感覚は分かる気がする。

ぼくも最近、本やら着なくなった服やらを捨てているが、やってみると案外楽しい。今まで知らなかったけど、捨てるということにも快感があるのだなぁ。身の回りを整理すると心が軽くなったような気がして、すこし安らぐ感じ。物理的な物の整理とは話が違うかもしれないけど、やっぱり手元に置いている物や情報が多くなりすぎると、どこに何があったか把握できなくなって、いざというときに必要なものを取り出しにくくなっているのかもしれないなと最近思っている。

脳科学の研究でも、「物覚えが悪い」というのは、「物を覚えられない」のではなくて、「覚えたことを適切なタイミングで思い出せない」ということだと指摘されているらしいし。(人の名前などを思い出せなくて、他者から「○○さんじゃない?」と答えを教えられると、「あーそうそう、○○さん」と名前が出てくるのは、覚えていないのではなく「覚えているのに出てこない」(脳のどこかに情報は格納されているのにうまく見つけ出せない)という理屈とのこと)

そう考えると、ブックオフが流行るのも「物を持たない暮らし」という時代の要請にマッチした部分が大きいのかもしれないなぁと考えたりしている。電子書籍の関連スレッドを見ていると、「実物の本は重くて嵩張るからスキャンして電子的に持ちたい」という意見が散見されたりするが、これも同じベクトルだ。自家用車を持つのではなくて、ごく短時間のレンタルで車を利用できるカーシェアリングという言葉も、たまに見かけたりする。こういう指向はまた、(本来的な意味での)エコとも相性がいい。そういう意味では、日本経済にとっては良くないことかもしれないけど、こういうライフスタイルは今後もっと大きな勢力になってもおかしくない。

今日はそんなことを考えた。あ、ちなみにプログラミングとかの方面では、やっぱり今日もあまり進捗なしです…。Amazon S3のテストプログラムはちょっとずつ改善できているのだけど、品質を一様に高めることができていないというか。強固なビルディングブロックを築くためには、集中力をもってケースの漏れをゼロにするようなコードを作らなきゃいけないと思うのだけど、なかなかそれをするパワーが出てこない感じ。明日は出かける予定がないから、ちょっとまとまった時間を取って頑張りたい。
2010-02-22 02:59:09 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2010-02-21

# [日記] 派遣での収入

昨日の日記で書いたように、昨日は派遣の仕事の面談に行ってきた。派遣の面談を受けるのは初めての経験で、それはそれはひどいドナドナだったのだけど、そのあたりの状況は詳しく書けないし、まぁいいとして。

昨日の面談は、派遣先の会社さんに赴いて、ぼくのスキルが向こうさんのニーズにマッチするかどうかを見てもらうというもの。一発面接で採否が決まるという形式で(それも驚きだが)、まぁ運良くというかぼくは採用してもらえそうだという話になった。

ところが提示された金額が安くて、30万円になるとのこと。30万円かぁ、この不況下では仕方ないのかもしれないし、まぁ案件の内容自体は悪くなさそうだしということで、一応OKの方向で話を進めてもらっている。ただ、あとで冷静に考えてみると、30万円というのは厳しい数字に思えてきた。

というのも、あまり詳しい条件はまだ聞いていないのだけど、30万円から各種控除や交通費を引くと、たぶん20万円ぐらいの手取りになってしまうからだ。20万円という数字じたいは、今の生活で赤字にならない程度ではあるのだけど、一つ問題があることに気付いた。実はとある事情で近いうちに引越しをする必要があるのだ。

そして、引っ越し先の家賃がいくらになるか調べてみたところ、やっぱり7~8万円ぐらいになってくる。そうすると、20万円の手取りでは「家賃の目安は手取りの1/3程度」という不動産業界の目安にひっかかってしまうのだ。不動産屋にもよるけど、派遣で働いててこの収入だと審査に通らない可能性があるのかもしれない。

今日は一応、引越しの可能性を考えて、「この辺に住みたいな、住めるかな」と当たりを付けた妙蓮寺あたりを散歩してきた。朝の時点ではお金についてシリアスに考えていなかったので、予算を8万2千円と見つもっていたのだが、この数字はアウトかもしれない。

しかも、妙蓮寺や菊名あたりで不動産屋を覗いて見ると、8万2千円の物件はあまりないときた(木造アパートならあるが…)。そう考えると、30万円という数字はかなり厳しいように感じる。夕方帰宅後、「妙蓮寺という選択じたいが贅沢なのかもしれない」と別の地域を検索してみたが、結局どこであっても7~8万円ぐらいはしてしまうし、遠くに住めばその分交通費の負担が増える。

そんなこんなで、帰宅後も不動産屋のサイトをいろいろ検索して一日が過ぎてしまった。ということで、コーディング方面では今日の進捗はなし。いろいろ厳しい。そういえば今日、会社を辞めようとしている人の日記を読んだ。

ところで今ゲーム業界全体がヤバい。去年末ぐらいから知人などから入ってくる情報から、多くのゲーム会社があえいでいるということが解った。ここでは書けないけれど、大手さんのネガティブな情報もどんどんと入ってきている。コンシューマ業界もかなり厳しい状況だ。ここまでゲーム業界がリーマンショックの影響を受けるのか、ボクは正直懐疑的で、原因は他にあると思っているのだが、まぁとにかく今のゲーム業界は死屍累々の様相を呈しているのだ。 
 
そんな中、今の勤め先は、ボクの次の仕事というのを用意してくれている。 
でもそれでいいのだろうか。 
一番の原因は、ボク自身が今の会社にぜんぜん貢献できていないことにある。もちろん仕事はきっちりしているつもりだ。だが、残念ながらそれが売り上げにつながっていないのだ。どんなに頑張っても、結局お金にはなっていない。 
なので、このまま居続けても会社に利益をもたらしそうにない。 
 
と言うわけで、今日、とりあえず「辞める方向で考えている」というのをオーナーに伝えた。 
オーナーはまだボクに仕事をさせたがってくれているけれど、正直、その仕事も貢献できそうにないのだ。そこでまた迷惑を掛けるよりも、もうちょっと自分の力を生かせる所を探した方がいいと思ったのである。とはいえ……どういう所に行くべき何だろうか。ボクが作るものはさっぱりエロゲの市場には受け入れられない。

そうなんだよな。ぼくが会社を辞めたのも、「自分自身が会社の利益に貢献できていないから」という理由からだった。「会社のお荷物になりたくない」、そう思って会社を辞めていく人って、けっこう世の中にいるんじゃないかと思う。ただ、それでその後ぼく自身どうなったかというと、今の状況があるだけだ。2010年2月現在、再就職をするのは難しいし、一般的にお金を稼ぐのが難しい状況になっている。

だからとくに、「今いる業界や職種が厳しいから」という理由でジョブチェンジを図ろうとしても、けっこう難しいんじゃないかと思っている。ほとんどの企業は、やはり即戦力ですぐお金を稼げる人材を、できれば非正規で取りたいと思っているだろうから。だから、今は会社を辞めないほうがいいだろう。

…ただ、こんなのはつまらない大人の意見でもある。じゃあ「今」じゃなくていつならいいんだ?と問われたら、ぼくは答えられない。この不況は構造的なもので、比較的長く続くんじゃないかという気がする。だから、風が吹くのを待っていたら、ずっとずっと待ちぼうけを食らう可能性も高い。待って待ってジリ貧になりながら歳を食うのと、今無茶をして嵐の中海に漕ぎ出すのと、どちらが良いのか、ぼくに言えるはずがあるだろうか。

大人はいつも「リスクを避けろ」と言う。でも、リスクを取らないリスクだってあるじゃないかと若者は言う。リスクを避けた結果が、この右肩下がりだろうと。リスクを取らないで、何かを変えることができるのか?と。アジるわけじゃないけど、大人にとっては他人事なんじゃないのか? この右肩下がりの状況も、若者の「今」も、彼らにとっては他人事に過ぎないんじゃないだろうか。でなければ「リスクを避けろ」なんて言葉が出てくるだろうか?

何故、なんのためにリスクを避けるのか。リスクを避けてどこへ向かえばいいのか。本当に欲しいものは何なのか。自分の人生をどうしたいのか。人生は、それぞれの人のものだ。それぞれの人が、自由に人生を使っていい。そのはずだ。そんなことをふと考えている。
2010-02-21 01:59:42 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2010-02-20

# [日記] ネタがない

うーん。毎日日記書くのってしんどいなぁ。ネタがない。

ただまぁ、進捗状況について公開し記録するという意味合いで、書きますかね。とりあえず、今日やったこと:就職の面談(前述のとおり酷いドナドナだった。不況って怖い。なおかつ提示してもらった金額が予想以上に安かった)、午後に帰宅したけど、疲れてあまりコードを書いたり勉強したりできなかった。夕方ごろお米が切れそうなので買い物に行って、夜は別の就職口のエントリーシートを書いたり、Amazon S3についてコードを書いたりテストしたり。うーん、こうやってリストアップしてみると、やるべき仕事がこなせてないなぁ…。
2010-02-20 01:32:31 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
recent days<< | >>old days