メッセージ。 - diary

2009-09-11

# RSSは本当に死んだのか?

ここ数日、「RSSは本当に死んだのか?」を考えている。そして気付いた。それは、「たしかに死んでいるRSSもある」、「RSSはブログとセットで考えるべきではないか?」ということだ。まず1つ目の「たしかに死んでいるRSSもある」。たとえば、asahi.comが出力しているRSSは次のようになる。


神奈川歯科大の元理事ら3人逮捕 詐欺などの疑い
(2009-09-10T13:03:29+09:00)
 
二審も無期判決「矯正の可能性」 江東・女性殺害事件
(2009-09-10T12:57:05+09:00)

差し押さえたお宝ワイン、オークションに 大阪国税局
(2009-09-10T12:22:55+09:00)

被告に無期を求刑 八王子駅ビルの無差別殺傷事件
(2009-09-10T11:40:31+09:00)

酒井法子被告を追送検 奄美大島での覚せい剤使用容疑
(2009-09-10T11:20:42+09:00)

見出しだけ羅列されていて、ちょっと読む気が起こらない。東洋経済のRSSは次のようになっているが、こちらは見出し以外にも記事の冒頭が200文字抜粋されている。これはasahi.comに比べてだいぶ良い。けれどもちょっと、「続きを読む気にさせる」にはまだ少し足りないように思った。


アマゾンの市場内部に競争環境をつくりたい――ジャスパー・チャン アマゾンジャパン社長
投稿日:2009-09-10 12:30

 日本でのビジネス開始直後にアマゾンジャパン社長に就任。売り上げ拡大、カテゴリーの強化を牽引してきたチャン社長に、これまでの歩みと今後の展望を聞いた。――日本上陸から9年。アマゾンジャパンは今、どういうステージにありますか。 まだ、ほんのデイワン(第1日目)。始まったばかりだと思いますよ。当社はミッションステートメントとして「地球上で最も豊富な品ぞろえをする」と「地球上で最も顧客を大切にする会社に...


世界の自動車メーカーは転換期に、各国の政府支援もかえってアダに《S&Pの業界展望》
投稿日:2009-09-09 17:30

GMとクライスラーの米国大手2社の経営破綻を経て、業界再編の波が起こりつつある世界の自動車業界は、転換期を迎えている。昨年来、大きく落ち込んでいる自動車需要は、政府による購入者向けの補助金制度や減税措置のおかげで...

なにが足りないのかというと、キャッチーさが足りないのだ。「続きを読みたい」と思わせるに足る面白い要素があれば、きっと続きを読みたくなるだろう。スポーツ新聞が1面トップ記事の見出しで客を釣るように、ブログやニュースサイトは、記事のリード文でユーザーの気を引かねばらならない[1]。RSS記事のdescriptionは、記事でいうとリード部分だ。その部分は、面白い記事を予感させる要約であることが(売れるためには)理想的な姿だ。

だからdescriptionがないのは良いことではないし、descriptionが「冒頭200文字を切り出したもの」といった風に味気ないのも良いことではない。要するにRSSというのは、ブログが編み出した「続きを読む」機能をばら撒くことを念頭に置いて開発されたのではないか。「続きを読む」の発見と実装は、ブログというものが従来のWeb日記と一線を画すにいたった発明である。そう考えると、しっくりくる。

…と、書いてみて思ったのだけど、これって当たり前のような気もするな。どうして自分は、「発見した」気になってるのだろう。しかし、この感覚は確かに「発見」のそれだった。 TumblrやはてなブックマークやTwitterが面白いのは、「続きを読みたくなる」記事のピックアップにあるように思う。Tumblrは「面白い箇所がクオート・引用されることで」、はてなブックマークやTwitterは「誰かの感想が一緒に読め、その話題で会話できることで」、記事の続きを読む気にさせている。

その意味で、TwitterがRSSと同じ文脈で比較されるのも不思議ではなくなる。そしてまた、メディア企業がTwitterやRSSに対してどう付き合うべきかのヒントにもなるかな。
[1]「ならない」ということはないけど、レゾンデートルの話に踏み込むと話がややこしくなるので省略する
2009-09-11 13:05:26 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2009-09-09

# rssmixのFAQを作り始めました

rssmixについて、はてなダイアリーでFAQを作りはじめました。→ http://d.hatena.ne.jp/yfujisawa/20090909
rssmixのトップからも辿れるようになっています。
2009-09-09 13:12:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# RSSの死

Fastladderを見る時間は日に日に短かくなって、今週なんかはたぶん合計で1時間も使っていない。Userlandが最初に作ったRSSは本当にもう死んだと思う。かわりにみんなtwitterを見てしtwitterに書いてるし、今後しばらくはtwitterに対して読み書きするプログラムの方がずっと増えてくると思う。

うん。まぁ、そうなんだよね。「今さらRSSかよ」とは、ぼくも思う。ただ、だからといって「じゃあTwitterに引越ししよう」という気は起きない。なぜかというと、Twitterはまた別のものだと感じるからだ。

Twitterは、リアルタイムに何が起きているのかを感じるのには良い。リアルタイムに会話するのにも良いだろう。ただ140文字というのは文章を書くには短かすぎるし、会話よりまとまった文章を書くのにTwitterは適さないと感じる。

要するにTwitterは、チャットに近い。チャットがブログの代わりにならないように、Twitterはブログの代わりにならない。ただし、もしあなたが、ネットの今を知るためにRSSを使っていたのだとしたら、TwitterはRSSの代わりになるかもしれない。

ぼくが最近、ちょっと面白いなと思っているのは、Tumblrだ。Tumblrには、Twitterと似ている部分があって、それは「他のユーザーをフォローする」という機能だ。この機能を使うことで、気の合うユーザーの発する情報を受け取ることができる。

ただしTumblrは、Twitterと違って情報が一方通行になる。また、投稿できる文字数の制限が(ユーザーが意識する必要がないぐらい)緩く、また別のサイトを見ていて気に入ったテキストや画像などを気軽にスクラップできる。

Tumblrを見ていると、「これはまるで雑誌だ」と感じる。ユーザーがどこかで集めてきた(おうおうにしてレアだったりエキセントリックだったりする)テキストと画像を見ていると、クリエイティビティやエディトリアルの面白さを感じずにいられない。「ああこの人はこんな切り口で世界を見ているんだな」と発見するからだ。

そしてちょっと飛躍するのだけど、ぼくは気付いた。TwitterとTumblrに共通する特徴は、それが「プッシュ型メディアである」ということだ。以前いっとき、「プッシュ型メディア」という標語が流行ったけれど、すぐにすたれてしまった。プッシュ型メディアはメルマガのように機械的に送られてくると、つまらなくて読まれなくなってしまう。

やっぱりコンテンツというのは、クリエイティビティやエディトリアルといった「誰かが発信している」という気配を感じられないと面白くない。発信している人の視線やメッセージが感じられなければ面白くないのだ。その意味で、Tumblrは新しいと感じる。Twitterもまぁ新しいのだけど、「クリエイティビティやエディトリアル」とはちょっと違うかな。チャットに近いような感じがする。

TwitterとTumblrの両者は、「すべてのコンテンツを読む必要がない」という点でも共通している。古いコンテンツは強いて追いかける必要がないのだ。この点も雑誌に似ている。これらのメディアは「楽しむため」により最適化されたフォームをなしている。より効率的に、エディトリアルコンテンツを収集するシステムに近付いているのではないか。そしてきっと、今後もこういったメディアやシステムの参入があるはずだ。

Twitterは、Tumblrとはきっと競合しないと思う。「TwitterがあるからTumblrは見なくていいや」と思う人はほとんどいないだろうし、逆もまた然りだと思う。そしてこれはブログにも言えるだろう。「Twitterがあるからブログはもう書かない」という人は、きっとほとんどいないんじゃないだろうか。

きっとこれからは、人々はいろんなサービスを並列して使っていくんじゃないかという気がする。ブログも使うしTwitterも使う、Flickrだっていいよね。そして何か新しいサービスが出てくればまた使うというように。ぼくの生活は、最近それに近付いてきている。はてなも使うしTwitterも使う。Tumblrも使う。1つにまとめるのは難しい。

RSSそのものは、エディトリアルを選り分けて集めたりコミュニケーションを運ぶといった能力がほとんどゼロなので、今後もTwitterやTumblrのような使われ方をしないだろう。ただし情報流通の共通プラットフォームとして使うことができるため、分断されたサービス間をつなぐ目的で利用できるかもしれない。よく分からんけど。でも一応、RSSもプッシュ的メディアなんだよね。そういう意味では、下位レイヤーとして使う手はあるんではないかな。
2009-09-09 00:18:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2009-09-08

# RSSリーダーを作りました

それより1よ、ちょっと聞いてくれ。RSSリーダーを作ったんですよ。RSSリーダー。

まぁ今さらRSSリーダーかよ、とは自分でも思いますが…。一応ぼくも既成のRSSリーダーを使ってたんですけどね。でもなんか、あまり使っていませんでした。

今まで、「あ、この人面白いな」って思ったブログとかをRSSリーダーに登録したりしてたんですけど、登録はするもののなかなか「読もう」という気にならないんですよね。

通常のRSSリーダーって、アプリを立ち上げたあとで各サイト(フィード)をクリックしないと記事が表示されません(ぼくの使ってたのはそうでした)。でもそれだと、その1クリックが心理的に重かったんです。

hiraさんが言う「見ようとしなければ見えないんじゃ見ない」ってのが、RSSリーダーにも当てはまるんだと思います。馴染みのないブログや意見を、人間の心はなかなか受け容れられないんじゃないでしょうか。

それで今回RSSリーダーを作ってみたんですけど、これは「rssmix」と言います。各サイトのRSSを取得してきて時系列で記事を並べなおしたものです。これだとサイトや書き手が誰かに関係なく目に飛び込んでくるので、使いやすいかな、と。

それと、ちょっと別の話なんですけど、最近Twitterやはてなブックマークを使ってたりしていて、自分の書いたものが分散してしまって嫌だなという感じもありました。Twitterで書いたつぶやきは、別にTwitterにいる人だけに見せたいわけじゃないんですよね。

自分がなにかを書くときは、サイトに関係なく書いているつもりです。「その場所にいる人だけに伝えたい」というような思いでは、文章を書いていないです。その意味で、書いた文章がTwitterやはてなブックマークといったサイトの中に閉じ込められてしまうのは、ちょっと苦しいです。

ということで、各所で書いたものをできるだけ一元化できないかなと考えました。実はrssmixは、そういった機能も備えています。各種RSSを取得した後、それをミックスしてまたRSSを出力しているからです。たとえば、ぼくの更新情報だと ふじさわの更新情報のような感じ。

普通のRSSリーダーとして使う場合、fujisawaのミックス(と、fujisawaのミックス(FAV))のような感じで使えます。(テストということで、エッチな画像等も入ってますのでご注意。ほんとにテストなんだからねっ!) 誰でも自由に登録/退会できるので、もしよかったら使ってみてください。

2009-09-08 13:52:30 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2009-09-04

# 並列プログラミングについて

2009-09-04 19:09:03変更:下記の文章を公開した当初、「チューリングマシン」と「ノイマン型計算機」をごっちゃにして扱っていましたが、これはふじさわの認識の誤りです。「チューリングマシン」と書いてあった部分をすべて「ノイマン型計算機」に置換しました。指摘してくれたalohakunに感謝します。

そうそう。LLTVの「朝から生テレビ」のときに思ったことと、以前から考えていることの一部が重なった。弾さんが「並列プログラミングをもっとラクに組めるようにならないのか」的なことを言ってたとき。

現代主流のプログラミングパラダイムは、要するにノイマン型計算機の「プログラムを記録しておいて逐次実行」というモデルの枠内で規定されている。

「ノイマン型計算機だけが唯一の解か?」という問いに対する答えをぼくは持っていないけれども、ノイマン型計算機は1つの解であって、現時点で、(ほぼ)すべてのプログラマはノイマン型計算機としてしか、プログラムを書けない。

つまり、どれほどCPUが高速になろうが、ダイの上のCPUが増えようが、自己書き換えのプログラムを書こうが、「メモリに記録したプログラムを逐次実行していく1つのプログラムカウンタと、プログラムが記録された1つのメモリ空間だけが、あなたの最重要の持ち物である」ということに変わりがない。

そう。あなたはプログラムカウンタとプログラムが記録されたメモリ空間を、それぞれ1つずつだけ持っている。

それは、あなたが脳を1つだけ持っていることに似ている。「ほかの何人も、あなたの脳の情報を勝手に書き換えない」と保証されていることこそが、あなたのプログラムがあなたの意図したとおりに動くことの(ほぼ)絶対条件である。

あなたの脳の情報は、あなただけが書き換えられるのだ。たとえ誰かの意見であなたの脳の意見を書き換えるとしても、その書き換えはあなたの許可のもとなされるべきであって、実際にそのように運用が可能である、運用されなければならない。…と、近代では人格をこのように基本規定している。

いや、厳密には「そのように運用が可能である」という説は正しくなく、「自己の内容を完全に把握し他者の書き換えを一切許さない」といったことは人間には不可能なのだが、計算機の世界では、この条件が保障されるよう、(ほぼ)すべての計算機の設計がなされている。それがノイマン型計算機である。(ほぼ)すべてのプログラミングはノイマン型計算機の制約を課される。

そしてこの条件は、並列計算機や並列プログラミングにも適用される。CPUとメモリが複数あるという並列計算機の状況は、ノイマン型計算機が複数走るという状況である。もしこれらが完全に非同期に走っているのなら、全体としてノイマン型計算機になっていない(ノイマン型計算機ではなくなる)(はず)。ノイマン型計算機ではないのだから、それを制御しデバッグするのは難しくなる。

並列計算機においても、基本的にプログラマは計算機をノイマン型計算機として扱うしかないだろうし、そのためには結局、(CPU+メモリ)どうしを同期させる必要がある。プログラムを格納した1つの主(CPU+メモリ)と、そこから非同期実行可能な計算の下請けを受け持つ従(CPU+メモリ)に分けることになるだろう。

そのように並列計算機を同期させてしまうと、本来のパフォーマンスを100%活かせなくなるだろうけど、ノイマン型計算機として…
2009-09-04 19:15:37 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2009-09-03

# ちょっとLLTVの感想

先週末、LLTVに行ってきた感想を書いてみる。まとめるの面倒くさいので、徒然に。アンケートが募集されてるので、LLTVに参加した人は答えてみるのもよいと思います。

一言でいうと、んー、LLイベントもちょっと息切れしてるのかな、と感じたかな…。そもそもLLイベントってのは凄い人がいっぱい発表してて、見てると自分もコードを書きたくなってウズウズするような、エキセントリックさが売りだったように思うんだよね。「自分と歳も環境もそう変わらない人が、こんなに凄いことしてる! 楽しそう! 悔やしいけど、自分も頑張りたい」って、ぼくにとって、そもそものLLイベントはそう感じさせるものだった。

ところが今年のイベントは、まぁ去年とかその前とかからそういう予兆はあったような気がしなくもないけど、そういうワクワク感が減ってきてしまったのかもしれないと思った。作り手の側が「ま、こんなもんでいいか」と匙を投げているような。今年のイベントはテレビ番組をもじって構成されていて、そういったフレーム自体は分かりやすさを生んでいた。しかし一方で、テレビ番組をもじっただけで、肝心の内容を煮つめることができていなかったように思う。

たとえば朝から生テレビ。「朝から」、「数人で議論する」といったフォーマットが用意されただけで、実際には激論らしいものはなかったし、「何について語られるセッションか」も明らかではなかった。もっと今だからこそ語るべきテーマ(経済不況とか、海外で働く話とか、中国の台頭とか)を話しあったほうがよかったんじゃないだろうか。また、LLのイベントなんだからもっと深い技術動向とか。

いやまぁ、技術の話については登壇者の技術レベルが高かったので、それなりに面白かったのだけど。でも、漠然としすぎていた。各人がそれぞれ「語りたいテーマ、重要だと思う技術」をぶつけあうという感じが出ていなくって、それがよくなかったんじゃないかと感じた。「これくらいの話をしておけばいいか、こういうネタならウケるかな?」って顔色をうかがいながら牽制している感じ。極論すると「どうでもいい話」をしている(発表者各人が悪いのではなく、ディレクターの意図を発表者が図りきれていなかったり、企画が練りきれていない感じ)。

「LLフィーリングカップル」についてもまぁ同様で、あれを面白いと感じる人もいるのだろうけど、個人的には楽しめなかった。「女性を登壇させて男女関係について話させればウケるでしょ?」的なものを感じてしまって、どうもダメ。LLや技術とは関係ない話がほとんどだったし。もちろん、ああいうトーク企画ってのは、話がどう転ぶか事前に分からないから難しいのは分かる。でもなんか、こう、テーマとかメッセージが、あまりにも曖昧だった。誰に何を伝えたいのか、はっきりさせてほしいというのかな。

今年のLLイベントは「テレビ」を銘打っていたけれども、奇しくも悪い意味でLLイベントがテレビ的になってしまったのかもしれない。つまり、アチラ側とコチラ側に分かれてしまった。悪く言うと、「ま、こんなもんでしょ」って作り手は思ってしまってたんじゃないのかな。映画や演劇やライブイベントなどに存在すべき、会場と作り手のあいだに存在してほしい一体感、共有すべきものが、いくばくか失われてしまったように感じた。

まぁ、とはいえ面白いセッションもあったんだけどね。それは『プロトタイピング 〜「もの作り」の流儀〜』。これは単純に見ててワクワクした。凄いことをやっている人がいて、「こんなことができるのかぁ。あー自分もこんな風にものを作りたいな。自分も頑張りたいな」と思った。このセッションもLLの話はなくって、デザインとかAR(拡張現実)とかに近い話だったんだけどね。でもまぁ、ここ数年でニンテンドーDSやiPhoneのような高機能センサデバイスが普及・コモディティ化しつつあるので、これをうまく使いこなすというのは、エッジにいる技術者にとって大変興味深い。エッジとLLの技術者像はある程度重なるので、そういう意味ではLLじゃないけど良かったように思う。

まーそんな感じっすかね。これ以外にも、ところどころで面白い話、つまらない時間等もあったのだけど、端折ります。
2009-09-03 15:55:21 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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