メッセージ。 - diary

2009-09-17

# 民主党はなぜ勝利したのか?

民主党の首脳陣は、廃れつつあるものと、勃興しつつあるものを、見間違えてはなりません。そのことを、自民党の壊滅から学んだのではありませんでしたか。学んでいないのなら、面白いことになりますよ。

先日、テレビ東京の『ルビコンの決断』で、民主党が先の総選挙でどのような選挙対策を行っていたのかを放送していた。民主党というか、小沢一郎さんの選挙戦術という紹介の仕方だったけど。

番組によると、今回たくさん当選した民主党の新人議員たちは、小沢一郎さんのバックアップにより選挙活動を行い、当選できたのだそうだ。番組内では彼らのことを「小沢チルドレン」と呼んでいた。紹介されていた選挙戦術は主に次の3点。

  • 川上作戦
  • 1日に50回以上を目標に、街頭演説をすること
  • 小沢さんの顔を使用した選挙区引き締め

川上作戦というのは、文字どおり選挙区内で川の上流にあたる地域から、各家を個別訪問するという選挙活動。小沢チルドレンたちは、今回の選挙の実に1年以上前から、川上作戦と称して田舎の川上の家を毎日回っていたそうだ。

これにはどういう効果があるかというと、「こんな田舎にも民主党の議員さんは目をかけてくれているんだ」という好印象を与えるということらしい。ただし、無名の新人さんが行ったところで効果は薄いかもしれないので、実際には彼らとは別に、「小沢議員の秘書」という肩書を持った人たちも、別途各地方を回っていたとのこと。「小沢さんもこの地域を気にかけていくれている」という好印象を与えていた。

実際、小沢さんというのは、秘書をたくさん持っているらしい。自宅にはたくさんの門下生を住まわせていて、昔でいうところの書生さんをたくさん世話しているのだと言っていた。その書生さんたちが秘書となって全国に散らばり、各候補者の選挙を暗に陽にバックアップしている。

川上作戦というのはこういう意味がある。つまり、川の上流にあるような地域は要するに田舎で、お年寄りが住んでいる。そういった人たちの印象を良くすれば、評判は口コミで川下にいる彼らの子供や孫など若い人たちに自然に伝わっていく。川下に住む人たちにとって、政治家が来ることなどたいした意味がないとしても、川上に住む人たちにとっては大事件なのだ。

候補者たちは、人がほとんど通らない村の辻であっても、少しずつ場所を変えて1日50回の街頭演説を行う。そうやって川上から順に顔を売っていくのだ。

この番組はけっこう面白かった。選挙運動ってこんなことやってるんだって知らなかったし、1年も前からそういう活動をやってることもはじめて知った。選挙運動は公職選挙法で細かく規制されているので、ぼくにとっては何が違法でなにが合法なのか分からない。上記の説明で書いた文章も、記憶を頼りに書いているので文言や言葉の定義などがかなり曖昧だ。たぶん間違っている箇所がいくつもあるだろう。でもまぁ、実際に小沢さん陣営がそのように活動し、テレビで放送するぐらいだから、上記のような活動は合法なのだろう。

そして思ったことは、「やっぱり選挙というのは政策や政治内容ではなく、印象を操作することでなされるのだ」と。「なにをする人か」ではなく、「誰が味方か」を判断して、人は投票行為を行うのではないか。選挙前のネットでは、民主党の評判はそんなに良くなかった。ネットの評判は極端な傾向があるので、一般とはある程度開きがあるだろうとは思っている。

ただ、かといってテレビや新聞が一般の評判を反映しているかというと、ちょっと疑問に感じるところがある。テレビも新聞も、麻生さんのことを揚げ足取りして悪く言いすぎだと思うし、民主党の言う「まず、政権交代」とかいうロジックもそう説得力があるように思えない。では、誰が民主党に投票したのか? なぜ選挙直前、民主党の支持率があれほど高かったのか? ネット世論からはそれほど自民党支持のエネルギーを感じなかったけど、かといって「民主党がいいんだ」というエネルギーもそれほど感じなかった。

しかし、件の番組の内容をある程度重く見るなら納得がいく。年配の人を中心に、地方にいる人たちが民主党に投票したのだ。だからネットを見ていたり、比較的若く都市に住むような人たちを見ていても、民主支持の手応えを感じないのではないか。都市に住む若い人たちの中にも民主党に投票した人がいるだろうが、それに加えて比較的多くの地方にいる年配の人が、民主党に投票したんじゃないかと。そしてそのような投票を引き起こしたのは、小沢さん流の選挙活動、つまりそもそも田中角栄さんから連なる、まさしく自民党的な手法に依るのではないかと。

国民は、政策ではなく、政治の方向性でもなく、「誰が味方か」を頼りに今回の結論を出した。だとするなら、国民のなかには「廃れつつあるものと、勃興しつつあるもの」といったものは存在しないのではないか。まったく新しい新種の風が吹いたというよりは、同じ風が単にその風向きを変えただけに過ぎないのではないかと思う。
2009-09-17 14:26:35 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# Haskellでのデータベースの話の続き

昨日の話の続き。昨日書いたように、HDBCでMySQLを使おうとすると、UTF8の文字列が化けるので使うのは諦めた。それで、今日はHDBC-PostgreSQLが使えないか試し中。HDBC-PostgreSQLを叩く簡単なドライバを作ったことで、UTF8が文字化けしないと確認できた。そのため、rssmixはHDBC-PostgreSQLに対応させることにした。rssmix自体のHDBC-PostgreSQL対応はほぼ完了し、本番サーバのデータをテスト用サーバにインポートしてテストしてみてるのだけど…。

すごいよPostgreSQL!!!!! ちょう速い!!!!! 非力なテスト用サーバーでも、本番のデータでサクサク動いてる。SQLiteで遅かったのは何だったんだろうか。rssmix内に埋め込まれているSQL文じたいは何も変わってないのに。まぁ、ファイルベースのDBMSは、性能面で非常に不利だというのは理解するけど。とにかくすばらしいぞ-、PostgreSQL!!! …ということで、ひととおりテストが終わったら、本番サーバーのrssmixもPostgreSQL版に移行します。
2009-09-17 00:19:40 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2009-09-15

# Haskellでのデータベース(ストレージIO)

rssmixで、たくさんサイトを登録しているユーザーのページ表示が非常に重い。数日前から調べているのだけど、どうやらDBとして使っているSQLiteが重い模様。データ量はせいぜい2~3万件なのだけど、この程度がスケールしないのかなぁ。DBのチューニングも試してみたけど、うまくいかない。

それで、SQLiteの代わりにMySQLを使えないか試してみた。rssmixはHaskellで組んでいて、DBとの接続にはHDBC(SQLiteとの接続はHDBC-SQLiteモジュール)を使っている。これを差し替えてHDBC-MySQLにすれば、上物のコードはほとんど変えずに、DBMSだけ替えることができるはずだ。

で、やってみたところ失敗。MySQLには接続できるのだけど、日本語が「?」に文字化けしてしまうのだ。どうしたらいいのかなぁ。HDBC-MySQLのコードを修正すればよさそうけど、いまのぼくのスキルではちょっと重い。ほかにもいろいろやりたいことがあるので、この案件にあまり時間をかけたくなくて焦っている。

そうだ、関連で調べたこと。DBMSではなくてもっとシンプルなDBM系を使うことも検討してみてるのだけど、Hackageには適当なライブラリが公開されていない。具体的にはGDBMを使いたいのだけど、GDBMを使うライブラリはなかった。それ以外に使えそうなのが数個あるにはあったが、たとえばTokyo Cabinetのライブラリをコンパイルしようとしたらエラーが出てうまくいかない。結局、Haskellでうまく使えるストレージIOライブラリが見つからない。うぐぐぐ。


2009-09-17 追記。その後、PostgreSQLがうまく使えそうだと分かったので、rssmixではPostgreSQLを使うことになりそうです。→その後の話
2009-09-17 00:24:19 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2009-09-14

# 先入観と内省、コミュニケーション

昨日だったか、一昨日だったか、『cool japan』という番組を見ていて面白いシーンがあった。この番組は、日本に住んでいる外国人のコメンテーター10人程度をスタジオに集め、日本での生活や日本の習慣について感想を話してもらうというもの。NHKが放送している。

先日の回でのテーマは、「プライバシー」。44分の放送中、いろんな話がなされたのだけど、そのなかで「子供と一緒に寝る日本の習慣は変だ」という話になった。番組中の日本人へのインタビューでは、多くの日本人は子供がある程度大きく(10歳ぐらい?に)なるまで一緒に寝ているということだった。

外国人たちは(この回ではなぜかヨーロッパ系の人がほとんどだったが)、この習慣は変でno goodだと言った。彼らの国では、1歳とか2~3歳ぐらいで子供は一人で寝かされるという。彼らは言った。「子供にもプライバシーは必要だ」、「人間というのは自分の空間が必要なものなんだ」、「子供と一緒に寝ていたら、夫婦の時間が持てない」と。

でも、というか「そして」というか、少し話が進んでみると、キャスターの日本人が1つの事実に気付いた。彼ら外国人が言う「自分の空間が必要」というのは、「子供自身の空間」ではなくて「大人の空間」という意味で使われていたのだ。キャスターは尋ねた。「子供を一人で寝かせるのは子供のためではなくて、子供がいると夜の営みが持てないという大人自身の都合のためですか?」と。

外国人たちは苦笑いしながら、「そうです」と答えていた。外国人の一人は、「子供たちには兄弟姉妹がいたほうがいい。だから子供が一人で寝るのは、彼ら子供たち自身のためなんだ」と笑いながら言い訳さえしていた。

ぼくは彼らをあげつらうつもりはないし、人間が間違いを犯すのは仕方がないと思っている。ただこれを見た瞬間は、欺瞞を感じたような気がした。彼らは日本人の習慣を良いか悪いかの観点で論じているフリをして、いや彼ら自身がそのつもりでいたのに、実際は良いか悪いかを公平な視点から論じることなどできていなかったのだ。彼らはただ単に、「自分たちが習慣が正しい」と言っていたにすぎない。

これは、彼らの悪い癖だ。彼らは歴史的に見て、何度も同じことをやってきた。公平な視点を持っているフリをして、公平なつもりになっている一方で、その実は全然公平なんかではない。番組のなかで、彼らはその間違いに気付いた。その間違いに気付いたことで良心の呵責を感じてくれるなら、よいのだ。自分が必ずしも正しいわけではないことを心に刻み、他者の文化や精神に敬意をもって接してくれるならそれでいい。

でも番組での彼らの態度は曖昧で、彼らの心に少しでも反省の気持ちが芽生えたのかどうか、定かではなかった。ぼくは彼らに、知的であってほしいと思う。彼らは、自分の誤ちに気付き、それを認めることができるぐらい知的なのだ。彼らは知的であり、知的であることを自認さえしている。ならば、その知性をもって内省をしてほしい。そうでなければ話ができない。「じゃあどうやって子供を育てるのが理想的なのか」、頭ごなしに変な先入観をぶつけあうだけでは、コミュニケーションをする意味に乏しいのではないかと思う。
2009-09-14 16:09:42 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2009-09-11

# RSSは本当に死んだのか?

ここ数日、「RSSは本当に死んだのか?」を考えている。そして気付いた。それは、「たしかに死んでいるRSSもある」、「RSSはブログとセットで考えるべきではないか?」ということだ。まず1つ目の「たしかに死んでいるRSSもある」。たとえば、asahi.comが出力しているRSSは次のようになる。


神奈川歯科大の元理事ら3人逮捕 詐欺などの疑い
(2009-09-10T13:03:29+09:00)
 
二審も無期判決「矯正の可能性」 江東・女性殺害事件
(2009-09-10T12:57:05+09:00)

差し押さえたお宝ワイン、オークションに 大阪国税局
(2009-09-10T12:22:55+09:00)

被告に無期を求刑 八王子駅ビルの無差別殺傷事件
(2009-09-10T11:40:31+09:00)

酒井法子被告を追送検 奄美大島での覚せい剤使用容疑
(2009-09-10T11:20:42+09:00)

見出しだけ羅列されていて、ちょっと読む気が起こらない。東洋経済のRSSは次のようになっているが、こちらは見出し以外にも記事の冒頭が200文字抜粋されている。これはasahi.comに比べてだいぶ良い。けれどもちょっと、「続きを読む気にさせる」にはまだ少し足りないように思った。


アマゾンの市場内部に競争環境をつくりたい――ジャスパー・チャン アマゾンジャパン社長
投稿日:2009-09-10 12:30

 日本でのビジネス開始直後にアマゾンジャパン社長に就任。売り上げ拡大、カテゴリーの強化を牽引してきたチャン社長に、これまでの歩みと今後の展望を聞いた。――日本上陸から9年。アマゾンジャパンは今、どういうステージにありますか。 まだ、ほんのデイワン(第1日目)。始まったばかりだと思いますよ。当社はミッションステートメントとして「地球上で最も豊富な品ぞろえをする」と「地球上で最も顧客を大切にする会社に...


世界の自動車メーカーは転換期に、各国の政府支援もかえってアダに《S&Pの業界展望》
投稿日:2009-09-09 17:30

GMとクライスラーの米国大手2社の経営破綻を経て、業界再編の波が起こりつつある世界の自動車業界は、転換期を迎えている。昨年来、大きく落ち込んでいる自動車需要は、政府による購入者向けの補助金制度や減税措置のおかげで...

なにが足りないのかというと、キャッチーさが足りないのだ。「続きを読みたい」と思わせるに足る面白い要素があれば、きっと続きを読みたくなるだろう。スポーツ新聞が1面トップ記事の見出しで客を釣るように、ブログやニュースサイトは、記事のリード文でユーザーの気を引かねばらならない[1]。RSS記事のdescriptionは、記事でいうとリード部分だ。その部分は、面白い記事を予感させる要約であることが(売れるためには)理想的な姿だ。

だからdescriptionがないのは良いことではないし、descriptionが「冒頭200文字を切り出したもの」といった風に味気ないのも良いことではない。要するにRSSというのは、ブログが編み出した「続きを読む」機能をばら撒くことを念頭に置いて開発されたのではないか。「続きを読む」の発見と実装は、ブログというものが従来のWeb日記と一線を画すにいたった発明である。そう考えると、しっくりくる。

…と、書いてみて思ったのだけど、これって当たり前のような気もするな。どうして自分は、「発見した」気になってるのだろう。しかし、この感覚は確かに「発見」のそれだった。 TumblrやはてなブックマークやTwitterが面白いのは、「続きを読みたくなる」記事のピックアップにあるように思う。Tumblrは「面白い箇所がクオート・引用されることで」、はてなブックマークやTwitterは「誰かの感想が一緒に読め、その話題で会話できることで」、記事の続きを読む気にさせている。

その意味で、TwitterがRSSと同じ文脈で比較されるのも不思議ではなくなる。そしてまた、メディア企業がTwitterやRSSに対してどう付き合うべきかのヒントにもなるかな。
[1]「ならない」ということはないけど、レゾンデートルの話に踏み込むと話がややこしくなるので省略する
2009-09-11 13:05:26 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2009-09-09

# rssmixのFAQを作り始めました

rssmixについて、はてなダイアリーでFAQを作りはじめました。→ http://d.hatena.ne.jp/yfujisawa/20090909
rssmixのトップからも辿れるようになっています。
2009-09-09 13:12:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# RSSの死

Fastladderを見る時間は日に日に短かくなって、今週なんかはたぶん合計で1時間も使っていない。Userlandが最初に作ったRSSは本当にもう死んだと思う。かわりにみんなtwitterを見てしtwitterに書いてるし、今後しばらくはtwitterに対して読み書きするプログラムの方がずっと増えてくると思う。

うん。まぁ、そうなんだよね。「今さらRSSかよ」とは、ぼくも思う。ただ、だからといって「じゃあTwitterに引越ししよう」という気は起きない。なぜかというと、Twitterはまた別のものだと感じるからだ。

Twitterは、リアルタイムに何が起きているのかを感じるのには良い。リアルタイムに会話するのにも良いだろう。ただ140文字というのは文章を書くには短かすぎるし、会話よりまとまった文章を書くのにTwitterは適さないと感じる。

要するにTwitterは、チャットに近い。チャットがブログの代わりにならないように、Twitterはブログの代わりにならない。ただし、もしあなたが、ネットの今を知るためにRSSを使っていたのだとしたら、TwitterはRSSの代わりになるかもしれない。

ぼくが最近、ちょっと面白いなと思っているのは、Tumblrだ。Tumblrには、Twitterと似ている部分があって、それは「他のユーザーをフォローする」という機能だ。この機能を使うことで、気の合うユーザーの発する情報を受け取ることができる。

ただしTumblrは、Twitterと違って情報が一方通行になる。また、投稿できる文字数の制限が(ユーザーが意識する必要がないぐらい)緩く、また別のサイトを見ていて気に入ったテキストや画像などを気軽にスクラップできる。

Tumblrを見ていると、「これはまるで雑誌だ」と感じる。ユーザーがどこかで集めてきた(おうおうにしてレアだったりエキセントリックだったりする)テキストと画像を見ていると、クリエイティビティやエディトリアルの面白さを感じずにいられない。「ああこの人はこんな切り口で世界を見ているんだな」と発見するからだ。

そしてちょっと飛躍するのだけど、ぼくは気付いた。TwitterとTumblrに共通する特徴は、それが「プッシュ型メディアである」ということだ。以前いっとき、「プッシュ型メディア」という標語が流行ったけれど、すぐにすたれてしまった。プッシュ型メディアはメルマガのように機械的に送られてくると、つまらなくて読まれなくなってしまう。

やっぱりコンテンツというのは、クリエイティビティやエディトリアルといった「誰かが発信している」という気配を感じられないと面白くない。発信している人の視線やメッセージが感じられなければ面白くないのだ。その意味で、Tumblrは新しいと感じる。Twitterもまぁ新しいのだけど、「クリエイティビティやエディトリアル」とはちょっと違うかな。チャットに近いような感じがする。

TwitterとTumblrの両者は、「すべてのコンテンツを読む必要がない」という点でも共通している。古いコンテンツは強いて追いかける必要がないのだ。この点も雑誌に似ている。これらのメディアは「楽しむため」により最適化されたフォームをなしている。より効率的に、エディトリアルコンテンツを収集するシステムに近付いているのではないか。そしてきっと、今後もこういったメディアやシステムの参入があるはずだ。

Twitterは、Tumblrとはきっと競合しないと思う。「TwitterがあるからTumblrは見なくていいや」と思う人はほとんどいないだろうし、逆もまた然りだと思う。そしてこれはブログにも言えるだろう。「Twitterがあるからブログはもう書かない」という人は、きっとほとんどいないんじゃないだろうか。

きっとこれからは、人々はいろんなサービスを並列して使っていくんじゃないかという気がする。ブログも使うしTwitterも使う、Flickrだっていいよね。そして何か新しいサービスが出てくればまた使うというように。ぼくの生活は、最近それに近付いてきている。はてなも使うしTwitterも使う。Tumblrも使う。1つにまとめるのは難しい。

RSSそのものは、エディトリアルを選り分けて集めたりコミュニケーションを運ぶといった能力がほとんどゼロなので、今後もTwitterやTumblrのような使われ方をしないだろう。ただし情報流通の共通プラットフォームとして使うことができるため、分断されたサービス間をつなぐ目的で利用できるかもしれない。よく分からんけど。でも一応、RSSもプッシュ的メディアなんだよね。そういう意味では、下位レイヤーとして使う手はあるんではないかな。
2009-09-09 00:18:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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