メッセージ。 - diary
2008-05-15
# サーバー移転作業にともない、しばらく断続的な接続障害が起きる可能性があります
2008年5月15日現在この日記は自宅サーバーで運用しているのですが、今後はレンタルサーバーに移行しようと思っています。ただ、なにぶん廉価なレンタルサーバー(さくらインターネットの共用サーバー)に移行する予定でして、日記とメールにかんして移行作業のあいだつながりにくくなったり、うまく動かなくてアドレス自体を変更させてもらう可能性があります。もし24時間以上の間ずっとつながらないという人がいらしたら、すみませんが yoshiharu.fujisawa at gmail.com までメールをくださいませ。
2008-04-03
# OpenBSD/zaurusのその後
DMA is now enabled for 1-sector devices such as flash drives, providing significant speed improvement.
わお! なんて素敵なんだ、OpenBSD!!!
その後4回インストールし直したのだけど、16GBのCFに換装したZaurusのディスクが、PIO転送でしか動かなくてすっごく遅くて苦労してたんだよね。なんとかならんのかと思ってたら上記のような結果に。OpenBSD4.3は2008年5月1日リリース予定とのこと。すばらしすぎる!!!
2008-03-28
# OpenBSD/zaurusのインストール
ちょっと挑戦中。OpenBSD/zaurusのほうがTitchy Linuxよりハードウェアサポートがしっかりしてそうなのに気付いたので、使いたくなったのです。たとえば、OpenBSD/zaurusでは電源スイッチでサスペンドできるらしいとか。細かいことなんだけど、そういうのの積み重ねで使いやすさって変わってくるじゃん? Titchy Linuxはまだ大雑把で、そのレベルまで詰める前の段階のように思う。(というかまぁ、そういう方向ではなくクイックハックなのかもしれないけど)
でまぁOpenBSD/zaurusについて、インストールでちょっと気になったことなど。
・インストールプロセスの完成度は高い。ぼくのZaurusは(何回か書いてるけど)16GBのCFカードに換装してるのだけど、問題なく認識して次のステップに進んでくれた。good!!!
・ただし、つまづいたところもあり。OpenBSD/zaurusは基本的にシャープ純正ROMと共存させて使うことを想定しているようで、インストーラがipkで提供されている。ところが、ぼくのように純正を綺麗さっぱり消してしまった人間にはこれはつらい。といっても、ちょっと考えれば回避策はあって、それはZaurus標準のメンテナンスカーネルを使うこと。
・Zaurusでは、BIOSに近いレベルのところに複数のLinuxカーネルがインストールされている。マスターブートレコードを書き換えたり、壊れたOSのファイルシステムを修復したりしたいときには、標準で用意されている(普段は目に見えないところに隠れている)メンテナンスカーネルが裏方で働いてくれるイメージ。
・メンテナンスカーネルを起動するには、DとBを押しながらバッテリー室のリセットスイッチを押し、電源ボタンを押せばよい。これで、メンテナンスカーネルが起動して小さなLinuxが起動する(昔のミニルートのような環境)。OpenBSD/zaurusのインストールステップを開始するには、この状態にしておいて次のコマンドを実行する:「insmod /mnt/card/zbsdmod.o; cp /mnt/card/bsd.rd /proc/zboot」。あ、前準備としてコマンドを実行する前に、SDカードにzbsdmod.oとbsd.rdをコピーしとく必要あり。このへんから:http://ftp.jp.openbsd.org/pub/OpenBSD/4.2/zaurus/
・あとは画面の指示どおりにやるだけ。BSDはほとんど使ったことがないのだけど、インストールプロセスもデフォルトの設定もかなりリーズナブルな印象を受けた。
・1つつまづきポイント。パーティションの分割で、「スワップ、/ファイルシステム」みたいなパーティションの切り方をすると、OSインストール後のブートに失敗する。「/ファイルシステム、スワップ」という感じにパーティションを切らなければいけない模様。まだ試していないけどたぶん。
以下参考になったリンクなど。
【レビュー】OpenBSD/zaurus - 生粋のBSD環境を掌の上で楽しむ (1) OpenBSD/zaurus | 家電 | マイコミジャーナル <http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/03/20/openbsd/index.html>
OpenBSD/zaurus on SL-C1000 <http://www10.ocn.ne.jp/~a.koba/openbsd/zaurus.html>
http://ftp.jp.openbsd.org/pub/OpenBSD/4.2/zaurus/INSTALL.zaurus
でまぁOpenBSD/zaurusについて、インストールでちょっと気になったことなど。
・インストールプロセスの完成度は高い。ぼくのZaurusは(何回か書いてるけど)16GBのCFカードに換装してるのだけど、問題なく認識して次のステップに進んでくれた。good!!!
・ただし、つまづいたところもあり。OpenBSD/zaurusは基本的にシャープ純正ROMと共存させて使うことを想定しているようで、インストーラがipkで提供されている。ところが、ぼくのように純正を綺麗さっぱり消してしまった人間にはこれはつらい。といっても、ちょっと考えれば回避策はあって、それはZaurus標準のメンテナンスカーネルを使うこと。
・Zaurusでは、BIOSに近いレベルのところに複数のLinuxカーネルがインストールされている。マスターブートレコードを書き換えたり、壊れたOSのファイルシステムを修復したりしたいときには、標準で用意されている(普段は目に見えないところに隠れている)メンテナンスカーネルが裏方で働いてくれるイメージ。
・メンテナンスカーネルを起動するには、DとBを押しながらバッテリー室のリセットスイッチを押し、電源ボタンを押せばよい。これで、メンテナンスカーネルが起動して小さなLinuxが起動する(昔のミニルートのような環境)。OpenBSD/zaurusのインストールステップを開始するには、この状態にしておいて次のコマンドを実行する:「insmod /mnt/card/zbsdmod.o; cp /mnt/card/bsd.rd /proc/zboot」。あ、前準備としてコマンドを実行する前に、SDカードにzbsdmod.oとbsd.rdをコピーしとく必要あり。このへんから:http://ftp.jp.openbsd.org/pub/OpenBSD/4.2/zaurus/
・あとは画面の指示どおりにやるだけ。BSDはほとんど使ったことがないのだけど、インストールプロセスもデフォルトの設定もかなりリーズナブルな印象を受けた。
・1つつまづきポイント。パーティションの分割で、「スワップ、/ファイルシステム」みたいなパーティションの切り方をすると、OSインストール後のブートに失敗する。「/ファイルシステム、スワップ」という感じにパーティションを切らなければいけない模様。まだ試していないけどたぶん。
以下参考になったリンクなど。
【レビュー】OpenBSD/zaurus - 生粋のBSD環境を掌の上で楽しむ (1) OpenBSD/zaurus | 家電 | マイコミジャーナル <http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/03/20/openbsd/index.html>
OpenBSD/zaurus on SL-C1000 <http://www10.ocn.ne.jp/~a.koba/openbsd/zaurus.html>
http://ftp.jp.openbsd.org/pub/OpenBSD/4.2/zaurus/INSTALL.zaurus
2008-03-25
# Titchy Linuxの感想
ここしばらく、Titchy Linuxを使ってみてその感触などちょっと書いてみる。これから書く内容は、Titchyではなく、LinuxカーネルやZaurus SL-C3000のハードウェア、およびおいらのスキルが主要ファクターとなったであろう悪印象が多分に含まれている。
・重い。シャープ純正ROMに比べると、たぶん重い。ふじさわは基本的に、X上でターミナルを1つ起ち上げたら、あとはGUIアプリを一切使わないのだけど、そういう使い方をしている分には十分軽いし実用的だ。ただ、Xを起動したりXアプリを起動したりしようとすると(つまりGUIアプリはすべて)けっこう待たされる。一度Firefoxを起動してみたが、もう二度とやろうとは思わない。
・純正の4GBマイクロドライブをと16GBのCFカードに換装して使うのはあんがい難しい。カーネルを再コンパイルすれば16GBのCF自体は使えるようになるのだけど、いろいろチューニングでつまづく。具体的に、おいらの環境では(1)USBで母艦とつなぐことができなくなった。(2)音を鳴らすことができなくなった。まぁ些細なこととも言える。実際ぼくは、これらに目をつむることでそのほかの大きな恩恵を受けてこの数か月便利に使った。
・カーネルの再コンパイルでつまづいたのは、USBで母艦とつなぐためのパッチが、うまく見つけられなかったことが一因だ。Titchy LinuxではOpenZaurusやAngstromからカーネルをひっぱっているらしく、ぼくもそこからソースコードをダウンロードしてコンパイルを試してみたりした。しかし、USBと母艦をつなぐ部分はなぜかうまく動かなかった。また、コンパイルしてできたカーネルのサイズが、Zaurusの制限(1264KBだったか)ギリギリになり、調整は不可能ではないものの難しそうだと思えた。
・ここで深追いすれば勉強になるし、挑戦するにはちょうどよい大きさとテーマの課題なのだけど、Zaurusはいまぼくのメインマシンなので長い間使えないのはつらいのだよなぁ。ということで、カーネルのコンパイルについては、保留したまま現在に至っている。現状、主に使っているアプリケーションは、Emacsとscreenとw3mとGauche。これらについては、使っていてほとんど不満がない。速度は十分だし、メモリ負荷も許容範囲内。落ちることもない(w3mだけはたまに落ちるけど)。
・それと、当たり前のことながらDebian GNU/Linux(etch)と互換というのはものすごく大きな恩恵だ。毎日apt-get upgradeしているだけでセキュリティは保たれるし、使いたいアプリはたいていなんでもそろってる。基本的にZaurusは、CPU/メモリ/ディスク性能が低いので、頻繁にコンパイルをしたくない。そういう意味でもDebianを使うことでコンパイルの頻度が抑えられ、環境構築のコストは大きく削減できている。
・重い。シャープ純正ROMに比べると、たぶん重い。ふじさわは基本的に、X上でターミナルを1つ起ち上げたら、あとはGUIアプリを一切使わないのだけど、そういう使い方をしている分には十分軽いし実用的だ。ただ、Xを起動したりXアプリを起動したりしようとすると(つまりGUIアプリはすべて)けっこう待たされる。一度Firefoxを起動してみたが、もう二度とやろうとは思わない。
・純正の4GBマイクロドライブをと16GBのCFカードに換装して使うのはあんがい難しい。カーネルを再コンパイルすれば16GBのCF自体は使えるようになるのだけど、いろいろチューニングでつまづく。具体的に、おいらの環境では(1)USBで母艦とつなぐことができなくなった。(2)音を鳴らすことができなくなった。まぁ些細なこととも言える。実際ぼくは、これらに目をつむることでそのほかの大きな恩恵を受けてこの数か月便利に使った。
・カーネルの再コンパイルでつまづいたのは、USBで母艦とつなぐためのパッチが、うまく見つけられなかったことが一因だ。Titchy LinuxではOpenZaurusやAngstromからカーネルをひっぱっているらしく、ぼくもそこからソースコードをダウンロードしてコンパイルを試してみたりした。しかし、USBと母艦をつなぐ部分はなぜかうまく動かなかった。また、コンパイルしてできたカーネルのサイズが、Zaurusの制限(1264KBだったか)ギリギリになり、調整は不可能ではないものの難しそうだと思えた。
・ここで深追いすれば勉強になるし、挑戦するにはちょうどよい大きさとテーマの課題なのだけど、Zaurusはいまぼくのメインマシンなので長い間使えないのはつらいのだよなぁ。ということで、カーネルのコンパイルについては、保留したまま現在に至っている。現状、主に使っているアプリケーションは、Emacsとscreenとw3mとGauche。これらについては、使っていてほとんど不満がない。速度は十分だし、メモリ負荷も許容範囲内。落ちることもない(w3mだけはたまに落ちるけど)。
・それと、当たり前のことながらDebian GNU/Linux(etch)と互換というのはものすごく大きな恩恵だ。毎日apt-get upgradeしているだけでセキュリティは保たれるし、使いたいアプリはたいていなんでもそろってる。基本的にZaurusは、CPU/メモリ/ディスク性能が低いので、頻繁にコンパイルをしたくない。そういう意味でもDebianを使うことでコンパイルの頻度が抑えられ、環境構築のコストは大きく削減できている。
2008-03-18
# エゴ?
他人のエゴを避難することはできない。
なぜなら、「それがエゴなんだ」と指摘するぼくの言葉が、すでにエゴだから。
この世界には、エゴでない表現や、エゴを伴わない言葉など存在しない。
自意識の存在とエゴの存在は表裏をなしている。
自意識が存在するところにエゴが存在するし、エゴが存在するところに自意識が存在する。
実際のところ、ぼくはエゴを否定する根拠を持たない。
人間が存在するなら、そこにエゴは存在してもいいと思っている。
ただ、どうせなら、エゴが存在することを、その自意識は認知していてくれたらなぁと思う。
自分がやっていることは、所詮はエゴなんだということを知っていてほしい。
エゴだけどやってるんだとつねに思えるなら、そのほうが面白いし道が開けるんじゃないかという気がする。
--
あなたはそこにいますか?
その問いに「はい」と答えるなら、それがエゴです。
その問いに「いいえ」と答えるなら、それもエゴです。
--
エゴが存在することは問題じゃない。
つまり、問題が存在することは問題じゃない。
なぜなら、「それがエゴなんだ」と指摘するぼくの言葉が、すでにエゴだから。
この世界には、エゴでない表現や、エゴを伴わない言葉など存在しない。
自意識の存在とエゴの存在は表裏をなしている。
自意識が存在するところにエゴが存在するし、エゴが存在するところに自意識が存在する。
実際のところ、ぼくはエゴを否定する根拠を持たない。
人間が存在するなら、そこにエゴは存在してもいいと思っている。
ただ、どうせなら、エゴが存在することを、その自意識は認知していてくれたらなぁと思う。
自分がやっていることは、所詮はエゴなんだということを知っていてほしい。
エゴだけどやってるんだとつねに思えるなら、そのほうが面白いし道が開けるんじゃないかという気がする。
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あなたはそこにいますか?
その問いに「はい」と答えるなら、それがエゴです。
その問いに「いいえ」と答えるなら、それもエゴです。
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エゴが存在することは問題じゃない。
つまり、問題が存在することは問題じゃない。
# 日記
んー。悩んでいることがあるなら、一応ぼくに言ってみて。
力になれるかどうかは、自信がないけど。
でもどんな変な悩みだとしても、笑ったりはしないから。
--
このところカメラ遊びをしていていて、だんだん分かってきたこと:カメラというのは、けっこうコンピュータに似ている。というのも、カメラもコンピュータも融通がきかない。
ぼくは最初、「もっと簡単にいい写真が撮れたらいいのに」と思っていた。目に見える景色が綺麗なら、その綺麗さがシャッターを押すだけで残ってほしい。もっと言うなら、シャッターなんて押さなくてもいい写真が撮れたらいいのにと思う。
でもカメラは、ぜんぜん期待に応えてくれない。暗いところではブレるし、動くものが止まって写る。電線やら看板やら余計なものが写るし、広い世界を、こーんなに小さな四角の中に閉じ込めてしまう。ぼくがいいなと感じるものを、カメラはだいなしにしてしまう。
でもそれでもカメラと付き合っているうちに、だんだん分かってきた。カメラはコンピュータと同じなんだって。悪く言えば、それらは融通がきかない。コンピュータは、ぼくが考えているようには考えないし、カメラは、ぼくが世界を感じるようには見ない。それらは単に、論理回路とかレンズとかの物理特性を、単純に利用しただけの装置なんだ。
だからそれらは、ぼくらが思っているようにはまったく動かない。使いこなすためには懸命な練習が必要で、うまくいけば、ぼくらの目や頭ではできないことをやってのける。でも一方で、ぼくらが簡単にできる仕事さえろくすっぽこなせないことも多い。
それらは奥が深く、勉強すべきことがたくさんある。でも、勉強して知識をたくさん身に着けたとしても、必ずしもいい結果につながらない。どれだけ知識があってもシャッターチャンスにその場所にいなければなんの役にも立たないし、なんのためにそれを使いたいか本人が分かっていないならたいした仕事をしない。
運も必要だし気持ちも必要。バランス感覚や視点も必要。たぶん人との出会いも必要なんだろう。難しいなぁ。まるで人生がうまくいかないのと同じように、それらはうまくいかない……。でもまぁ不思議なことに、カメラの世界にもコンピュータの世界にもたまに素敵な人たちがいたりして、もうちょっと頑張ってみようかと思ったりする。
力になれるかどうかは、自信がないけど。
でもどんな変な悩みだとしても、笑ったりはしないから。
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このところカメラ遊びをしていていて、だんだん分かってきたこと:カメラというのは、けっこうコンピュータに似ている。というのも、カメラもコンピュータも融通がきかない。
ぼくは最初、「もっと簡単にいい写真が撮れたらいいのに」と思っていた。目に見える景色が綺麗なら、その綺麗さがシャッターを押すだけで残ってほしい。もっと言うなら、シャッターなんて押さなくてもいい写真が撮れたらいいのにと思う。
でもカメラは、ぜんぜん期待に応えてくれない。暗いところではブレるし、動くものが止まって写る。電線やら看板やら余計なものが写るし、広い世界を、こーんなに小さな四角の中に閉じ込めてしまう。ぼくがいいなと感じるものを、カメラはだいなしにしてしまう。
でもそれでもカメラと付き合っているうちに、だんだん分かってきた。カメラはコンピュータと同じなんだって。悪く言えば、それらは融通がきかない。コンピュータは、ぼくが考えているようには考えないし、カメラは、ぼくが世界を感じるようには見ない。それらは単に、論理回路とかレンズとかの物理特性を、単純に利用しただけの装置なんだ。
だからそれらは、ぼくらが思っているようにはまったく動かない。使いこなすためには懸命な練習が必要で、うまくいけば、ぼくらの目や頭ではできないことをやってのける。でも一方で、ぼくらが簡単にできる仕事さえろくすっぽこなせないことも多い。
それらは奥が深く、勉強すべきことがたくさんある。でも、勉強して知識をたくさん身に着けたとしても、必ずしもいい結果につながらない。どれだけ知識があってもシャッターチャンスにその場所にいなければなんの役にも立たないし、なんのためにそれを使いたいか本人が分かっていないならたいした仕事をしない。
運も必要だし気持ちも必要。バランス感覚や視点も必要。たぶん人との出会いも必要なんだろう。難しいなぁ。まるで人生がうまくいかないのと同じように、それらはうまくいかない……。でもまぁ不思議なことに、カメラの世界にもコンピュータの世界にもたまに素敵な人たちがいたりして、もうちょっと頑張ってみようかと思ったりする。