メッセージ。 - diary

2008-04-03

# OpenBSD/zaurusのその後

DMA is now enabled for 1-sector devices such as flash drives, providing significant speed improvement.

わお! なんて素敵なんだ、OpenBSD!!!

その後4回インストールし直したのだけど、16GBのCFに換装したZaurusのディスクが、PIO転送でしか動かなくてすっごく遅くて苦労してたんだよね。なんとかならんのかと思ってたら上記のような結果に。OpenBSD4.3は2008年5月1日リリース予定とのこと。すばらしすぎる!!!
2008-04-03 07:48:14 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2008-03-28

# OpenBSD/zaurusのインストール

ちょっと挑戦中。OpenBSD/zaurusのほうがTitchy Linuxよりハードウェアサポートがしっかりしてそうなのに気付いたので、使いたくなったのです。たとえば、OpenBSD/zaurusでは電源スイッチでサスペンドできるらしいとか。細かいことなんだけど、そういうのの積み重ねで使いやすさって変わってくるじゃん? Titchy Linuxはまだ大雑把で、そのレベルまで詰める前の段階のように思う。(というかまぁ、そういう方向ではなくクイックハックなのかもしれないけど)

でまぁOpenBSD/zaurusについて、インストールでちょっと気になったことなど。

・インストールプロセスの完成度は高い。ぼくのZaurusは(何回か書いてるけど)16GBのCFカードに換装してるのだけど、問題なく認識して次のステップに進んでくれた。good!!!

・ただし、つまづいたところもあり。OpenBSD/zaurusは基本的にシャープ純正ROMと共存させて使うことを想定しているようで、インストーラがipkで提供されている。ところが、ぼくのように純正を綺麗さっぱり消してしまった人間にはこれはつらい。といっても、ちょっと考えれば回避策はあって、それはZaurus標準のメンテナンスカーネルを使うこと。

・Zaurusでは、BIOSに近いレベルのところに複数のLinuxカーネルがインストールされている。マスターブートレコードを書き換えたり、壊れたOSのファイルシステムを修復したりしたいときには、標準で用意されている(普段は目に見えないところに隠れている)メンテナンスカーネルが裏方で働いてくれるイメージ。

・メンテナンスカーネルを起動するには、DとBを押しながらバッテリー室のリセットスイッチを押し、電源ボタンを押せばよい。これで、メンテナンスカーネルが起動して小さなLinuxが起動する(昔のミニルートのような環境)。OpenBSD/zaurusのインストールステップを開始するには、この状態にしておいて次のコマンドを実行する:「insmod /mnt/card/zbsdmod.o; cp /mnt/card/bsd.rd /proc/zboot」。あ、前準備としてコマンドを実行する前に、SDカードにzbsdmod.oとbsd.rdをコピーしとく必要あり。このへんから:http://ftp.jp.openbsd.org/pub/OpenBSD/4.2/zaurus/

・あとは画面の指示どおりにやるだけ。BSDはほとんど使ったことがないのだけど、インストールプロセスもデフォルトの設定もかなりリーズナブルな印象を受けた。

・1つつまづきポイント。パーティションの分割で、「スワップ、/ファイルシステム」みたいなパーティションの切り方をすると、OSインストール後のブートに失敗する。「/ファイルシステム、スワップ」という感じにパーティションを切らなければいけない模様。まだ試していないけどたぶん。

以下参考になったリンクなど。

【レビュー】OpenBSD/zaurus - 生粋のBSD環境を掌の上で楽しむ (1) OpenBSD/zaurus | 家電 | マイコミジャーナル <http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/03/20/openbsd/index.html>

OpenBSD/zaurus on SL-C1000 <http://www10.ocn.ne.jp/~a.koba/openbsd/zaurus.html>

http://ftp.jp.openbsd.org/pub/OpenBSD/4.2/zaurus/INSTALL.zaurus
2008-03-28 08:44:19 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2008-03-25

# Titchy Linuxの感想

ここしばらく、Titchy Linuxを使ってみてその感触などちょっと書いてみる。これから書く内容は、Titchyではなく、LinuxカーネルやZaurus SL-C3000のハードウェア、およびおいらのスキルが主要ファクターとなったであろう悪印象が多分に含まれている。

・重い。シャープ純正ROMに比べると、たぶん重い。ふじさわは基本的に、X上でターミナルを1つ起ち上げたら、あとはGUIアプリを一切使わないのだけど、そういう使い方をしている分には十分軽いし実用的だ。ただ、Xを起動したりXアプリを起動したりしようとすると(つまりGUIアプリはすべて)けっこう待たされる。一度Firefoxを起動してみたが、もう二度とやろうとは思わない。

・純正の4GBマイクロドライブをと16GBのCFカードに換装して使うのはあんがい難しい。カーネルを再コンパイルすれば16GBのCF自体は使えるようになるのだけど、いろいろチューニングでつまづく。具体的に、おいらの環境では(1)USBで母艦とつなぐことができなくなった。(2)音を鳴らすことができなくなった。まぁ些細なこととも言える。実際ぼくは、これらに目をつむることでそのほかの大きな恩恵を受けてこの数か月便利に使った。

・カーネルの再コンパイルでつまづいたのは、USBで母艦とつなぐためのパッチが、うまく見つけられなかったことが一因だ。Titchy LinuxではOpenZaurusやAngstromからカーネルをひっぱっているらしく、ぼくもそこからソースコードをダウンロードしてコンパイルを試してみたりした。しかし、USBと母艦をつなぐ部分はなぜかうまく動かなかった。また、コンパイルしてできたカーネルのサイズが、Zaurusの制限(1264KBだったか)ギリギリになり、調整は不可能ではないものの難しそうだと思えた。

・ここで深追いすれば勉強になるし、挑戦するにはちょうどよい大きさとテーマの課題なのだけど、Zaurusはいまぼくのメインマシンなので長い間使えないのはつらいのだよなぁ。ということで、カーネルのコンパイルについては、保留したまま現在に至っている。現状、主に使っているアプリケーションは、Emacsとscreenとw3mとGauche。これらについては、使っていてほとんど不満がない。速度は十分だし、メモリ負荷も許容範囲内。落ちることもない(w3mだけはたまに落ちるけど)。

・それと、当たり前のことながらDebian GNU/Linux(etch)と互換というのはものすごく大きな恩恵だ。毎日apt-get upgradeしているだけでセキュリティは保たれるし、使いたいアプリはたいていなんでもそろってる。基本的にZaurusは、CPU/メモリ/ディスク性能が低いので、頻繁にコンパイルをしたくない。そういう意味でもDebianを使うことでコンパイルの頻度が抑えられ、環境構築のコストは大きく削減できている。
2008-03-25 11:11:15 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2008-03-18

# エゴ?

他人のエゴを避難することはできない。

なぜなら、「それがエゴなんだ」と指摘するぼくの言葉が、すでにエゴだから。

この世界には、エゴでない表現や、エゴを伴わない言葉など存在しない。

自意識の存在とエゴの存在は表裏をなしている。

自意識が存在するところにエゴが存在するし、エゴが存在するところに自意識が存在する。

実際のところ、ぼくはエゴを否定する根拠を持たない。
人間が存在するなら、そこにエゴは存在してもいいと思っている。

ただ、どうせなら、エゴが存在することを、その自意識は認知していてくれたらなぁと思う。

自分がやっていることは、所詮はエゴなんだということを知っていてほしい。

エゴだけどやってるんだとつねに思えるなら、そのほうが面白いし道が開けるんじゃないかという気がする。

 --

あなたはそこにいますか?
その問いに「はい」と答えるなら、それがエゴです。
その問いに「いいえ」と答えるなら、それもエゴです。

 --

エゴが存在することは問題じゃない。
つまり、問題が存在することは問題じゃない。
2008-03-18 11:26:41 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 日記

んー。悩んでいることがあるなら、一応ぼくに言ってみて。
力になれるかどうかは、自信がないけど。
でもどんな変な悩みだとしても、笑ったりはしないから。

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このところカメラ遊びをしていていて、だんだん分かってきたこと:カメラというのは、けっこうコンピュータに似ている。というのも、カメラもコンピュータも融通がきかない。

ぼくは最初、「もっと簡単にいい写真が撮れたらいいのに」と思っていた。目に見える景色が綺麗なら、その綺麗さがシャッターを押すだけで残ってほしい。もっと言うなら、シャッターなんて押さなくてもいい写真が撮れたらいいのにと思う。

でもカメラは、ぜんぜん期待に応えてくれない。暗いところではブレるし、動くものが止まって写る。電線やら看板やら余計なものが写るし、広い世界を、こーんなに小さな四角の中に閉じ込めてしまう。ぼくがいいなと感じるものを、カメラはだいなしにしてしまう。

でもそれでもカメラと付き合っているうちに、だんだん分かってきた。カメラはコンピュータと同じなんだって。悪く言えば、それらは融通がきかない。コンピュータは、ぼくが考えているようには考えないし、カメラは、ぼくが世界を感じるようには見ない。それらは単に、論理回路とかレンズとかの物理特性を、単純に利用しただけの装置なんだ。

だからそれらは、ぼくらが思っているようにはまったく動かない。使いこなすためには懸命な練習が必要で、うまくいけば、ぼくらの目や頭ではできないことをやってのける。でも一方で、ぼくらが簡単にできる仕事さえろくすっぽこなせないことも多い。

それらは奥が深く、勉強すべきことがたくさんある。でも、勉強して知識をたくさん身に着けたとしても、必ずしもいい結果につながらない。どれだけ知識があってもシャッターチャンスにその場所にいなければなんの役にも立たないし、なんのためにそれを使いたいか本人が分かっていないならたいした仕事をしない。

運も必要だし気持ちも必要。バランス感覚や視点も必要。たぶん人との出会いも必要なんだろう。難しいなぁ。まるで人生がうまくいかないのと同じように、それらはうまくいかない……。でもまぁ不思議なことに、カメラの世界にもコンピュータの世界にもたまに素敵な人たちがいたりして、もうちょっと頑張ってみようかと思ったりする。
2008-03-18 09:29:54 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2008-03-14

# 「フック」の補足

「フック」というのはプログラマの用語で、「とっかかりをつかむ」というような意味です。

大きなプログラムでは、機能を追加したりカスタマイズしたりしやすいように、プログラムのそこかしこに「フック」が設けられていることがあるのです。「フック」というのは、「ここで(もし誰かが設定しさえすれば)別のプログラムをちょっと呼び出しますよ」といった構造です。大本の大きなプログラムを作った人が、ほかのプログラマやユーザーの利便性のために、そういった構造を大本のプログラムのそこかしこに仕込むわけですね。

プログラマにとって「フック」のイメージは、たとえばロッククライマーにとって「どの岩に手をかけてどの岩に足をかけるか」を考えるときのイメージに似ています。
2008-03-14 08:17:02 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 日記

 健康志向なのか、全くどうでもいいのかよく判らない食生活

笑っちゃった。微笑ましくって好きです。
雑穀ご飯はおいしいとおいらも思う。でも雑穀ってちょっと高いのだよね。なんでじゃろ。

 --

昔からぼくは友達がほとんどいない。それはひとえにぼくの不徳の致すところだけど、そんなぼくとでもたまーに遊んでくれる人がいて、経験的に、そういう人は(ほぼ)すべて女の人だ。「遊んでくれる」というか、客観的に見ればこっちから「かまってかまって」としているのかもしれないけど。

や、自分はいったいなにを書いてるんだろう。日本語は難しい。んー。なにが言いたいかというと、「なんでかなぁと思って」というか。基本的に、ぼくは女の人に対してはけっこう気を遣っていて(しかも明後日の方向に気を遣っていて)、できるだけ距離を置こうと考えている。そうしているにもかかわらず、どうして自分のまわりに(たまにとはいえ)女の人がいるのかなぁ、というか。ん? こんなこと書いていいんだっけか?

いや、違うなぁ。こういうことが書きたかったわけじゃない。なんだろう。そのー。たとえばぼくは、男の人に声をかけるのが憚られるところがある。世の中には、男どうしで服を買ったりお酒を飲みにいったりする人がいるけど、どうもぼくはそういうことができない。誘えないのだ。「ぼくなんかと服を買いにいって、あるいはお酒を飲みにいって、(彼にとって)なんの意味がある?」というように考えてしまう。

意味はあるのかもしれない。ないのかもしれない。グレーなのかもしれない。でもとにかく、ぼくは男の人とつるむということが、うまくできないように感じてしまう。だからうまく誘えないし、一人で遊ぶことが多い。それは、服とかお酒に限らず、仕事でも趣味でもそうだ。なにをするにしても、ぼくは基本的に一人。ただ、そんなぼくでもたまに友達と遊ぶことがあって、そういうときの「友達」というのが基本的に女の子になる。

どうして女の子とつるんだり遊んだりするかというと、それは基本的に「フックしやすいからだ」と言えるかもしれない。「お酒飲みにいこうよ」とか、そこまでいかなくても何かの折に一声かけるとか、そういうことは、相手の人が異性であるときのほうがやりやすい。だってそこには、誘う理由があるから。ぼくが男で、きみが女なら、それだけで十分の理由になるし、実際のところ一緒に会って時間をすごすとしても、たいていの場合はうまくやれる。
(たまに気の合わない女の人がいてさんざんな目にもあうけど。あとこれはあくまでも「当社比」。向こうが実際のところどう感じているかは知らない。)

それともう1つ。そんな風にして女の子と遊ぶ(ここでの「遊ぶ」にはたまに軽口を叩きあうことを含む)ことがあるけど、実際のところぼくとしては、それほど下心があるわけではないことも多い。や、下心はゼロではない。ただ、ゼロではなくてじゃあいくつぐらいあるかというと、「フックしやすさ分ぐらい」というか。ただ会って、ご飯を食べて、「久しぶりだねー」とか「あれからどうしてたー?」とか、そういう話をすることで十分満足する。それこそが満足というか。あ、駅だ。とりあえずここまで。
2008-03-14 00:52:21 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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