メッセージ。 - diary
2007-07-05
# 日々
価値の源泉を我々は持っている。そこから湧き出る水を、みんなに配ればいい。
そして、どんどん配った水がみんなを潤していれば、誰かは自然にお返しをしてくれるようになる。
いくばくかの物が返ってくる。
そして泉は、そう簡単に枯渇しなくって。だから心配はいらないんです。
自分の取り分を最初に考えて、「取り分が欲しい」、「取り分が欲しい」とばっかり言っていて、
どうしようというのか。価値を提供してこそ、取り分がもらえるわけでしょう?
だから我々は、まず、その価値とは何なのかを考えなきゃいけない。そうしないと、取り分ももらえない。
なのに、会議室で話されているのはその反対。
「提供できる価値が何で、どれくらいあるか」ではなくて、
「どうすれば取り分がもらえるか」、「どれだけ取り分がもらえるか」ばっかり。
価値を提供しないで取り分がもらえるわけないじゃん。ばっかみたい。
本当にね。本当に我々は、価値の源泉を持ってるんですよ。だから大丈夫。
みんなが「面白い」と言って喜んでくれるだけのものを、我々はたくさん、
これからもずっと、この泉から汲み出すことができる。ずっとずっとそれは尽きない。
だからどんどんそれを配ればいい。それが我々のやるべき仕事です。
そして、どんどん配った水がみんなを潤していれば、誰かは自然にお返しをしてくれるようになる。
いくばくかの物が返ってくる。
そして泉は、そう簡単に枯渇しなくって。だから心配はいらないんです。
自分の取り分を最初に考えて、「取り分が欲しい」、「取り分が欲しい」とばっかり言っていて、
どうしようというのか。価値を提供してこそ、取り分がもらえるわけでしょう?
だから我々は、まず、その価値とは何なのかを考えなきゃいけない。そうしないと、取り分ももらえない。
なのに、会議室で話されているのはその反対。
「提供できる価値が何で、どれくらいあるか」ではなくて、
「どうすれば取り分がもらえるか」、「どれだけ取り分がもらえるか」ばっかり。
価値を提供しないで取り分がもらえるわけないじゃん。ばっかみたい。
本当にね。本当に我々は、価値の源泉を持ってるんですよ。だから大丈夫。
みんなが「面白い」と言って喜んでくれるだけのものを、我々はたくさん、
これからもずっと、この泉から汲み出すことができる。ずっとずっとそれは尽きない。
だからどんどんそれを配ればいい。それが我々のやるべき仕事です。
# 日記
http://d.hatena.ne.jp/laddertothemoon/20070702/p1
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ちなみにぼくは、「なりたい自分に、なれると思う派」。
やりたいことや、好きなことをやってれば、なりたい自分にはなれると思う。
とはいえぼくだって、「好きなことをやれって言われても、
あんなことやこんなことをしたら、あの人に迷惑だろうか」って思ってしまうし、
「自分はわがままなんじゃないか」って、ついつい弱気になってしまうけど。
でもね。そういうときは、たとえばお父さんやお母さんのことを思い出して
みると、いいように思う。
「自分が好きなことややりたいことをやって、お父さんやお母さんは、
迷惑に感じるだろうか」、「わがままだって怒られるだろうか」。
たぶん彼らは、「迷惑だ」とか「わがままだ」とか「傷付いた」と言わないし、そう感じない。
そりゃあ少しは、戸惑ったり怒ったりするかもしれないけど。
でも、あなたがやりたいことをやって、幸せで笑っているのなら、
彼らはきっと、最後には「それでいい」って言ってくれると思う。
だから逆にね。あなたは、あなたのやりたいことを、やってみたらどうかな?
それが誰かを傷付けるとしても、あなたのお父さんやお母さんを
傷付けることになったとしても、それでいいって、彼らは言ってくれるんじゃないかな。
それが、あなたのことを好きだってこと。
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ちなみにぼくは、「なりたい自分に、なれると思う派」。
やりたいことや、好きなことをやってれば、なりたい自分にはなれると思う。
とはいえぼくだって、「好きなことをやれって言われても、
あんなことやこんなことをしたら、あの人に迷惑だろうか」って思ってしまうし、
「自分はわがままなんじゃないか」って、ついつい弱気になってしまうけど。
でもね。そういうときは、たとえばお父さんやお母さんのことを思い出して
みると、いいように思う。
「自分が好きなことややりたいことをやって、お父さんやお母さんは、
迷惑に感じるだろうか」、「わがままだって怒られるだろうか」。
たぶん彼らは、「迷惑だ」とか「わがままだ」とか「傷付いた」と言わないし、そう感じない。
そりゃあ少しは、戸惑ったり怒ったりするかもしれないけど。
でも、あなたがやりたいことをやって、幸せで笑っているのなら、
彼らはきっと、最後には「それでいい」って言ってくれると思う。
だから逆にね。あなたは、あなたのやりたいことを、やってみたらどうかな?
それが誰かを傷付けるとしても、あなたのお父さんやお母さんを
傷付けることになったとしても、それでいいって、彼らは言ってくれるんじゃないかな。
それが、あなたのことを好きだってこと。
2007-06-29
# メモ
ニキビとビキニって、似てるね。
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自分にとって楽しいこと、うれしいことをやっていたら、
いつの間にかそれがほかの人も楽しませていた、役に立っていた、
というのが理想です。できればそういうものを作りたいですね。
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「デジカメは便利だけど、でもそれで、いい写真が撮れるようになったかは、よく分からない。」
「そうですね。たとえば昔のテレビCMは、素朴だったけど工夫もあって、驚かされたり、
キャッチコピーを口ずさんだりさせられたりしたものです。でも最近のCMでは、驚くべきような映像で
あっても贋作を見ているような、つまらなさがあるかもしれません。気が置けないの反対というか、
『どうせ作りものだから』と思ってしまいますよね。受け手も作り手も。
そこには、奇妙な緊張感というか、ざらざらした感じがあるような気がします。
要するに、微妙な距離感があるんですよね。素直に感動できない、うまく共感できない。
作り手と受け手の間に、暗くてよく分からないデジタルの溝ができてしまっている。
時代性を感じられない時代というか。まぁよく言えば混沌、ですかね。
でも、そんな中でも光明のようなものはあって、ネットやデジタルだって案外悪いものじゃない、というかね。そういうものも見え隠れしていますよね。」
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「ダイ・ハード4.0」かぁ……。原題はどうなってるんだろう。
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自分にとって楽しいこと、うれしいことをやっていたら、
いつの間にかそれがほかの人も楽しませていた、役に立っていた、
というのが理想です。できればそういうものを作りたいですね。
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「デジカメは便利だけど、でもそれで、いい写真が撮れるようになったかは、よく分からない。」
「そうですね。たとえば昔のテレビCMは、素朴だったけど工夫もあって、驚かされたり、
キャッチコピーを口ずさんだりさせられたりしたものです。でも最近のCMでは、驚くべきような映像で
あっても贋作を見ているような、つまらなさがあるかもしれません。気が置けないの反対というか、
『どうせ作りものだから』と思ってしまいますよね。受け手も作り手も。
そこには、奇妙な緊張感というか、ざらざらした感じがあるような気がします。
要するに、微妙な距離感があるんですよね。素直に感動できない、うまく共感できない。
作り手と受け手の間に、暗くてよく分からないデジタルの溝ができてしまっている。
時代性を感じられない時代というか。まぁよく言えば混沌、ですかね。
でも、そんな中でも光明のようなものはあって、ネットやデジタルだって案外悪いものじゃない、というかね。そういうものも見え隠れしていますよね。」
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「ダイ・ハード4.0」かぁ……。原題はどうなってるんだろう。
2007-06-28
# 日々
ねぇ。ぼくはこう思うんだ。
ぼくは男だし、もういい歳だし、……そうだなぁ、ずいぶん
目が悪かったり、最近はおなかがポッコリだったり、頭が
薄くなるんじゃないかと危惧されいたりするけど、その部分を
根拠に、他人から何かをしてもらっても、全然うれしくない。
たとえば、ぼくの目が悪いという理由で、授業や映画館で
前の席に座らせてもらうことができても、ぼくはそれを
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。
また別の例でいうと、ぼくがもういい歳だからという理由で、
若い人より平均的によい給料をくれたり、上座に座らせて
もらったりしても、「嬉しい」とは思わないし、「優しくして
もらった」とも思わない。
またたとえば、ぼくが仮にキムタクのように恰好のいい人
だったとして、女性からモテたり、楽できらびやかな仕事を
もらえたり、何かいろいろとトクをすることができたとしても、
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。
そんなことは、単に制度の都合か、「そういうものだ」と
いう集合意識の惰性に過ぎない。つまり、そこには感動がないし、
発見がないし、本当のことがない。
満たされない。そんなことでは、自分が満たされない。
どうせなら。ずっとずっと後になって、「ああ、あのとき
あの人は、こんなこと言ったよな……」とか、「あのとき、
一緒に街中歩きまわったよな……」とか、思い出せるような
記憶が欲しい。あの人と一緒の時代を過ごせた喜びとか、
交わした一言をずっとずっと覚えてるとか、そういうものを
感じたい。
それがぼくにとって優しさだ。単に「○○してもらった」とか、
男だからとかキムタクだからとか、おなかがぽっこりだからとか、
目がいいからとか、そういうものは、単なる現象、事実、
シンタックスであって、セマンティクスではない。
ぼくはね、そう思うんだよ。……で、きみはどう思うの?って
話なんだけどさ。自分が男であるとか、女であるとか、
貧乏であるとか、ソンをしているとか、そういうことは事象と
して厳然と存在しているとは、思う。でも、そんなのに
振り回されるのって、つまらなくない? 自分が女であるとか、
人間であるとか、そんなこと! 本当は、どーーーーーーだって良くない?
もっと面白い遊びをしたいよ。きみとは。
ぼくは男だし、もういい歳だし、……そうだなぁ、ずいぶん
目が悪かったり、最近はおなかがポッコリだったり、頭が
薄くなるんじゃないかと危惧されいたりするけど、その部分を
根拠に、他人から何かをしてもらっても、全然うれしくない。
たとえば、ぼくの目が悪いという理由で、授業や映画館で
前の席に座らせてもらうことができても、ぼくはそれを
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。
また別の例でいうと、ぼくがもういい歳だからという理由で、
若い人より平均的によい給料をくれたり、上座に座らせて
もらったりしても、「嬉しい」とは思わないし、「優しくして
もらった」とも思わない。
またたとえば、ぼくが仮にキムタクのように恰好のいい人
だったとして、女性からモテたり、楽できらびやかな仕事を
もらえたり、何かいろいろとトクをすることができたとしても、
「嬉しい」とは思わないし、「優しくしてもらった」とも
思わない。
そんなことは、単に制度の都合か、「そういうものだ」と
いう集合意識の惰性に過ぎない。つまり、そこには感動がないし、
発見がないし、本当のことがない。
満たされない。そんなことでは、自分が満たされない。
どうせなら。ずっとずっと後になって、「ああ、あのとき
あの人は、こんなこと言ったよな……」とか、「あのとき、
一緒に街中歩きまわったよな……」とか、思い出せるような
記憶が欲しい。あの人と一緒の時代を過ごせた喜びとか、
交わした一言をずっとずっと覚えてるとか、そういうものを
感じたい。
それがぼくにとって優しさだ。単に「○○してもらった」とか、
男だからとかキムタクだからとか、おなかがぽっこりだからとか、
目がいいからとか、そういうものは、単なる現象、事実、
シンタックスであって、セマンティクスではない。
ぼくはね、そう思うんだよ。……で、きみはどう思うの?って
話なんだけどさ。自分が男であるとか、女であるとか、
貧乏であるとか、ソンをしているとか、そういうことは事象と
して厳然と存在しているとは、思う。でも、そんなのに
振り回されるのって、つまらなくない? 自分が女であるとか、
人間であるとか、そんなこと! 本当は、どーーーーーーだって良くない?
もっと面白い遊びをしたいよ。きみとは。
2007-06-27
# 私信というか
# 「傷つく」って、どういうことか
wHite_caKe - 「傷ついた」、「傷つけたくない」、「傷つかずに生きられる人間はいない」、「傷つけることを恐れるな」等の言葉を聞く度に思い出すのは
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070623/1182569849
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070625/1182770910
そうなんだよなぁ〜。
こういうところを分かってくれるから、シロイさんは好きだ。
(でも、分かってるくせに、たまにメソメソしているからなぁ、とも思う。
あれ? 今思えば、メソメソしてるってのは単なるレトリックかなぁ)
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070623/1182569849
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20070625/1182770910
そうなんだよなぁ〜。
こういうところを分かってくれるから、シロイさんは好きだ。
(でも、分かってるくせに、たまにメソメソしているからなぁ、とも思う。
あれ? 今思えば、メソメソしてるってのは単なるレトリックかなぁ)