メッセージ。 - diary

2007-03-27

# 記号を好きにならないでほしい感じ

Say::So? - 前回切れすぎなので補足いたしますが
 まぁあえていうなら「女性だから欲望する」のはやめてくれ、と思う。「私だから欲望する」のであればまだましなような気がする。私という人間に対して向かう感情ならば。記号に欲望するというのに拒否感があるんだろうな。きっと。

ああ、これ分かる。でも、こういうのを分かってくれる人って、案外いないんだよなぁ……。(たぶんみんな心のどこかでは分かってるんだろうけど、流されてしまってるんじゃないかなぁ。)

「ねぇ、私のどこが好き?」って聞かれたとき、「目が好き」とか、「優しいところが好き」とか言うのは、あまりリアルじゃないような気がする。リアルじゃないというか、本気じゃない。

好きってのはもっと感覚的で、でも深くて、言葉にできないものなんじゃないかな。「目が好き」とか、「優しいところが好き」とかはさ、明日には変わってしまうかもしれないでしょ? 

もしあなたが、明日、「もっと目が綺麗な人を見つけた」とか、「嫌な面も見つけた」とか、そういうことが起こったとしても。ぼくは、あなたにぼくを好きでいてほしいし、自分もあなたを好きでいたい。

それは、もっと深いところにある変わらないものを、大事にするってことだと思うんだよね。雨が降り風が吹いて春が来るように、カンガルーにポケットがあるように*1、深い谷底を風が吹くように、そうありたい。

記号ってのはさ。そういう深い感覚(アナログな感覚)を、捨象してしまう。記号なんて捨ててとは言わないけど、記号以外のなにかも、もうちょっと大事にしてほしい。

 *1 (c)小沢健二「すぐに会えるかな?」
2007-03-27 01:24:31 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 1

2007-03-26

# 試合に勝って勝負に負ける

江川達也さんの漫画『日露戦争物語』が面白くって、あの時代の物語などをいくつか読んでみた。そこで知ったんだけどさ。戦争の勝敗というのは、「相手の戦艦を何隻沈めた」とか、「相手の将兵を何人やっつけた」とか、そういうことではないんだって。

戦争の勝敗で一番大事なのは、いかに有利な講和条件を引き出すかや、いかに世界に、自国の利を認めさせるかにある。たとえば日清戦争でいうと、日本は武力で中国軍を圧倒しながらも、中国側の戦略によって決着を長引かせられ苦しんだ。戦争が長引けば、漁夫の利を狙うイギリスやフランスなどが介入してきて、政治や経済の世界で不利な立場に立たされてしまう。

だから日本軍は、早く戦争を決着させるべきだった。それは、「相手の戦艦を早くたくさん沈めるべきだった」ということではなくて、政治・外交などの手段を使って素早く有利に事を納めるべきだった。子供どうしのけんかでもそうだけど、結局のところ戦争や喧嘩の勝利というのは、いかに相手の戦意を喪失させるかなんだ。「相手の腕をへし折った」とか「相手を泣かせた」とか、そういうことでは全然ない。

ところが、多くの人はそういうことが分かっていない(将校や将軍、政治家にさえそういう人が多い)。彼らの頭は、「戦争や喧嘩に勝つことイコール目の前の相手が泣いて頭を下げること」という理屈に染められていて、目の前の戦いに一生懸命になってしまう。「相手の戦艦を沈めたぞ」と言っては喜び、「相手に意地悪をしてやろう」といっては目をつり上げる(そしてたいしたものを得ることなく戦い終わる)。

これは結局のところ、「試合に勝って勝負に負けた」という状態だ。ぼくが見る限り、パレートの法則じゃないけど8割の人は試合のことばかり気にしていて、勝負や、試合と勝負の関係には気付いていない。……気付いていないというか忘れているというか。

それは。それはそれでいいと思うよ。他人の人生なんだから、ぼくが口出しすることじゃない。だからぼくは、なにも言わない。
2007-03-26 10:35:46 / ふじさわ / Comment: 1 / Trackback: 0

2007-03-25

# 恋のから騒ぎ

個人的には、ホンコンさんにMVPをあげてほしかったなぁ。だってホンコンさん、頑張ってたもん。実際ホンコンさんは面白かったし、最後のほうはそれなりに可愛かった。アマノくんと2人で、すごい笑いのレベルを引っ張りあげてたと思う。綺麗どころは、番組が終わった後も別媒体とかに出てくるときがあるけどさ(小林麻耶ちゃんと麻央ちゃんとか)、お笑い系のキャラはもう見られなくなるから残念だ。ホンコンさんはとても面白かったし、味わいがあったし、頑張ってた。本当に、もう見られなくなるのが残念だと思わせる人だった。
2007-03-25 20:12:48 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-03-23

# 意地悪告白

あのね、ぼくは本当は本当に意地悪だから、こう思うの。もし嫌いな人がいて、どうしようもなく腹が立って、その人のこと滅茶苦茶にしてやりたいって思ったとき、実際にどんなことをしてやればいいか、どうやって報いればいいか。一番いいのはね、「何もしないこと」だと思うんだ。相手に怒ったり、手をあげたりするよりも、何もしないのが一番相手を傷付けることになると思う。それは、無視するとかそういうことじゃなくってね。普通に接する。自分らしさや、自分が本当に思っていることを極力相手に見せない。普通の人が普通はそうやるように接する。不快に感じても相手にそれを伝えないし、そもそもスイッチを切って、不快さを自分の心に生じさせない。それが、「何もしないこと」。何もしないと、相手と一緒にいる時間を極力減らすことができるし、相手のことを記憶にとどめたり考えたりする時間も減らせる。そうすることが、相手を一番傷付けることになると思うんだ。あるいは。日本語には、「傷付く、傷付ける」という言葉の反対語がないのが不便だね。

ぼくにとって、嫌いってそういう感じ。 好きって感じについては、前に書いたよね。あ、これだ。
2007-03-23 22:00:16 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-03-20

# 差別は存在するか?

差別ってさ、「偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。」とあるけどさ、偏見とか先入観って、ありとあらゆる知覚に付随して存在するんだよね。

だってたとえば、「男とは」とか「女とは」って考えたとしても、ぼくもあなたも、すべての男やすべての女を見たわけじゃない。ぼくらが持ってる「男」や「女」という観念は、いままで見た「男」や「女」の傾向でしかない。世界中の男と女すべてを見て解析したわけじゃないから、そこには必ず偏りがある。

しかもこれは、男や女に限らない話で。サラリーマンとは、鳥とは、哺乳類とは、数とは、時間とは、犬とは、空とは、海とは、空気とは、定規とは、定理とは、青とは、光とは、神とは、生とは、うどんとは、モヒカン族とは、iとは、えもんかけとは、ガタンゴトンとは、礼儀とは、ピノ子とは、父とは、地面とは、経済とは、バーバパパとは、金属とは、恐怖とは、目標とは、☆とは、とはとは、とは、は、と。すべてが観測する座標の数だけ存在する。

偏見だけじゃなくて先入観も同じ。「お寿司はうまい」(寿司嫌いの人は?)、「ドーナツには穴が空いている」(食べかけのドーナツは?)、「空は青い」(曇りの日も?)、「ふじさわはこういう人間だ」(100年後も同じと言える?)、「1を0で割ることはできない」(どうして?)、「数学的帰納法で証明できる」(数学的帰納法はどうやって証明するの?)。

この世界はアナログなので、座標の数は無限にあると言える(もちろん、同時にこの世界はアナログじゃないし、座標の数は夢幻にあるかもしれないし、1つかもしれないし、座標というものが定義できるかどうかは分からないし、分からないとはどういう意味かも分かるかどうか分からないかもしれない)。

でもとにかく、偏りがないということはない(あるいはある)。だから言葉(座標)に基づくすべての知覚は区別であり差別であって、それによってしかニンゲンは、あるいは生命は、世界の扱いを変えざるを得ない。それは当然別の座標系から観測したとき、不当でありまた同時に正当でもある(もしくはない)。
2007-03-20 21:25:00 / ふじさわ / Comment: 4 / Trackback: 0
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