メッセージ。 - diary

2007-02-26

# 日本の経済競争力についての印象

http://pikapika.to/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=2142#Commentへのお返事です。書いていたら長くなっちゃったので独立した文章にします。あと、書いてたらちょっと反論っぽくなってしまったのだけど、ぼくが書いたもとの文章があまりに情報量不足なので、反論もなにも、議論の土台があやふやすぎる状態だったと考えています。それは、ぼくの元文章がいい加減だったからで、申し訳なかったです。

ということで、この文章は元のエントリのその補足的意味合いで捉えていただけると助かります。

さて、まずは「お米もお肉も、もっと自分ちの庭で作ればいいんだよ」と書いた件についてです。

これは……書き方がまずかったですね。あの文章でぼくが本当に書きたかったのは、「日本に住む個人は、自分の家の庭で米や肉を作れば良いのではないか」という文字通りの意味ではなくて、どちらかといえば「国としてもう少し食料自給率を上げるほうが良いのではないか」という意味でした。

データがないので印象論になってしまいますが、最近では中国や韓国が進出してきて、日本の技術が売れにくくなっていますよね。車はまだ利益を上げることができているけど、家電業界とか、造船業界とか、金属加工とか繊維業界などは、一時期にくらべてだいぶ苦しいんじゃないかと。日本は最近まで技術で食べていられたけれども、技術の(経済的)価値が下がってきているとぼくは考えています*1。

で、(この想像が事実だとすれば)どうすればいいか。ここを考えたい。

そこに対する提案の1つとして、食料自給率を上げることを考えています。要するに、工業製品を製造・販売することで収入される外貨が減っているわけだから、減ったものはしょうがないとして、支出を節約しようというのが主たる考え方です。

というのも、現在の日本は食料の多くを輸入に頼っていますよね。たとえばぼくが小学生のとき、加工貿易とセットになって「減反政策」というのを習いました。日本が現在のように食料を輸入に頼っているのは、貿易不均衡を是正するためのバーター取引としての意味合いが強かったはずなんじゃないでしょうか。

でも、実際には2007年の現在、加工貿易は20年前ほどうまくいっていません。貿易摩擦もほとんどないほど輸出が減っているのに、一方で食料の輸入は昔と変わらず続いている状態なんじゃないかなぁと(念のため、具体的なデータは何もなく想像で言ってるのでご注意を)。

もし上記が正しいとすれば、日本という国は今、収入が減っているのに支出は昔のままという状況だと思うんですよね。とすればとるべき道は2つ。収入を増やすか、それとも支出を抑えるか。

支出を抑える、つまり食料自給率を上げるというのは、理想論というほど難しくないんじゃないかなぁと思っているんですよね。というのも、江戸時代までは国内生産だけで食料を自給できていた実績があるわけですし、最近などは減反政策まで施して生産量を抑えていたわけですから*2。

それに、食料自給率を上げるというのは、地方の活性化につながると思うんです。これも印象論ですが、ぼくから見れば現在、地方というのが主立った生産をしていない。あるいは、地方での仕事(農業や漁業を含む)というものが、どうも軽んじられているように感じます。たとえば若者は、地方での仕事に誇りや希望を持てているのだろうかと。

もし国として「食料自給率を上げなければならない」という目標を立てるなら、地方での仕事に、もっと若い人が誇りや希望を持てると思うんですよね。「自分が必要とされている」という実感を持たせてあげることができる。それはまた、国全体として創造性を高めることにもつながると思うんです。

優秀な才能を持っている者が雑事に手を取られるのは好ましくない、という面は確かにあります。でも創造的な仕事って、机に向かってガリガリやっていれば生産性が上がるというわけでもないと思うんですよね。たとえば息抜きに料理をしてみたり、町を歩いてみたり、子供と話してみたりすることでふとアイデアが浮かぶことってあるでしょう。

本当に理想主義的なんですけど、日常とか暮らしというものは、創造に対してかなり良い影響を持っているとぼくは考えているんですね。たとえば、自然言語処理の研究者である新山さんという人は、「自分で食べるものを自分で料理しない人間を信用しない」と言っています。

そういう感覚って、研究とか創造的な仕事にとっては、けっこう重要じゃないかと思うんですよね。てなところで、ぼくは日常とか暮らしというものを、もっと身近に置くというのは、創造的な仕事にとって悪いアイデアではないと思っとります。

まーそんな感じっすかね。思い込みの強い意見ですし、間違ってるところも多いかとは思いますが、何かの参考になれば幸いです。また、ご意見など聞かせてもらえるとうれしいです。

 *1 ただし、中国などが追い上げてきたことが、すなわち日本の技術の経済的価値を落とすものであることにつながるかは、議論の余地があると最近は思っています。というのも、もともと「世界の工場」の役割を担う者としては、ドイツ、日本が圧倒的に強く、工業生産の得手不得手と国民性を切り離して考えないほうが良いかもしれないと思うからです。ということで、長期的なスパンに立つなら、日本の工業生産・技術というのは捨てたものでもないはずだろうと思います。

 *2 逆に、食料自給率を上げないのだとしたら、何か収入を増やす手段を考えないといけないはず。国は、漫画などのコンテンツを次代競争力として考えているようですが、なかなか難しいですよね……。
2007-02-26 01:41:01 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2007-02-24

# つらつらと

池田信夫 blog 日本のソフトウェアはなぜだめなのか
 私は、1980年代にゲームソフトの番組をつくったことがある。「スーパーマリオ」の宮本茂さんと「ゼビウス」の遠藤雅伸さんが登場し、「ポートピア殺人事件」の堀井雄二さん(のちの「ドラゴンクエスト」の作者)のインタビューを没にした、いま思えば贅沢な番組だった。
 
 彼らの印象は、日本社会の本流からはずれた人たちだということだった。有名大学出身の人はまずいないし、大学を中退した人や電機メーカーをやめた人など、どこか傷ついた人が多かった。遠藤さんは自分で「落ちこぼれ」だといっていたし、堀井さんは「ボクは大きくなったら何になるんでしょうね・・・」とつぶやいていた。彼らの話はとりとめなくて編集がむずかしかったが、三度の飯よりゲームが好きだということだけは強烈に感じられた。

ふぅん。そうなのか……。この段については知らなかったなぁ。

あとやっぱり、ゼネコン構造は駄目だよね。ここでもずっと書いてるけど。
その程度のことが、日本の偉い人には分からんのですよ。
日本では、優秀でやりたいことを持っている人が、傍流になってしまう。

それが問題といえば問題。
だけどまぁ、ゲームも漫画もちゃんと世界では評価され広まってるから
ええんちゃう?と思う。どうせ、偉い人にはそれをうまく扱えない。

あと、日本は加工貿易に替わる新しい産業を探しているみたいだけど、
それは必要ないと、ぼくは考えてる。

加工貿易というのは、要するにテレビを売って得たお金で、お米やお肉を買うということ。
それが最近は、テレビが売れなくなってきたので困ってる。
「お米やお肉を買うお金がないよー」って。

でも、お米もお肉も、もっと自分ちの庭で作ればいいんだよ。
昔はそうやって暮らしてたんだから。

確かに、お米やお肉を自分ちの庭で作るようになったら、
いまよりは多少質素な暮らしにはなるかもしれない。
けど、不幸ということはないと思うんだ。
自分が食べるものを自分で作るというのは、けっこういいもんだよ。

日本の悪いところの1つは、分業が進みすぎてしまうことだ。
自分が食べる野菜や肉を、自分で育てて自分で捌くということをしない。
家の中で料理する人が決まってしまって、ほかの人は食べるだけになってしまう。
でも、そんなことをしていると、食べることの意味を忘れてしまう。
みんながみんな、「料理する機械」や「食べる機械」になってしまう。

そんなのはつまらないよね。
たとえば、家のお母さんに聞いてみれば分かる。
「たまにお父さんや子供がご飯を作ってくれたらどう感じますか?」って。
あるいは、お父さんや子供にも聞いてみればいい。
「奥さんやお母さんが病気のときとか、ご飯を作ってあげるのはどんな感じですか?」って。

「ご飯を作るのってこういう気持ちなのか」とか、
「ご飯を食べさせてもらうってこんな感じなんだ」って、
みんなが理解しているほうがきっと楽しいと思うな。
2007-02-24 20:09:00 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

2007-02-23

# つらつらと

苦しい。ちょっとフォーマットを変えてつらつらと書いてみる。毒を吐きますので、ここから先よい子は見ちゃだめ。

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キャバクラねぇ……。あまり好きじゃないな。「お金を払わない自分は、女の子に喋ってさえ貰う資格がない」という身分に自分が落ちるみたいに感じてしまうから。

ぼくは夜の街のことをよく知らないけど、たまに街で呼び込みしている人たちを見ると、男も女も若くて、着ている服の造作が大きくて、まるで子供のように見える。その彼らが、粋がってお酒を酌み交わしたり、独自のマナーや美学の世界で暮らしていることを思うと、どうも自分がそこに入っていく気は起きない。

彼らを否定するつもりはなくて、(……いや、本当のことを言えば彼らを否定したい気持ちが自分の中にはあるような気がするけど、ただ、うまく言うならば)自分はそこに快楽を見出せないだろうなと感じる。

だからキャバクラから何か学ぶべきことがあるとしても、なかなかそうする気にはなれない。

認めたくないことだれども、この感じを一言で告白するならば、「嫌悪感」になる。そして、嫌悪の感情が自分の中にあることを見るのはつらい。夜の世界に何が存在するかを、自分は本当には知らないからだ。知らないことを否定し嫌うというのは、自分の心に対して禁じてきたはずのことでもあるし、ドロドロした感情に自分が支配されるのも不快だ。

んー。なんか不快な感じでごめんなさい。消すかも。でもそんな風に、キャバクラとか、夜のお酒の世界というのは好きじゃないのです。ああいうのが「おもてなし」だという価値観を、あまり見たくない。いや、自分だってもてなしとは何かなんて分かっていないんだけど。しんどく感じちゃったのです。
2007-02-23 12:51:03 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 格言

女の敵は女だ。

自分が馬鹿だと分かっている馬鹿は馬鹿じゃない。
2007-02-23 10:31:54 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-02-22

# 上司に期待すること

部下がアウトプットを出してきたときの話。

部下がアウトプットを出してきたとき、悪いところがあるなら、どんどん指摘すればいい。でも、悪いところを指摘したあとで、自分ならどうアウトプットするか、どうしたいかを表明してほしい。だって、部下は勇気を出してアウトプットしてきたんだから。

悪いところを指摘するだけ指摘して、じゃあどうすれば良かったか、どういう方向に自分たちが進んでいくべきか、そこを指し示さないのなら、みんなが迷走してしまう。あそこが悪い、ここが悪いと指摘するだけでは、どうすれば良いか分からない。

悪いところだけ指摘するんじゃなくて、1つでいいから良いところも指摘してほしい。だって、悪いところを指摘するのは簡単なんだもの。この道は狭いとか、あの道は薄暗いとか、そんなことを言っているだけでは前へ進まない。すべての道が悪く見えたとしても、どれかを選ぼうよ。そうでないと、進めない。

部下は勇気を出してアウトプットしてきた。それに対して、上司もアウトプットしようよ。そうでなければ、部下は勇気を削がれてしまう。上司にとって、アウトプットとは行き先を決めることだ。決めるのが怖いという気持ちは分かる。だけど、上司がアウトプットを出せないなら、部下もアウトプットを出せない。立ち行かなくなってしまう。

上司のアウトプットが間違ってても、ぼくはいいと思ってる。たとえ間違っていたとしても、上司がアウトプットを出してくれるなら、部下だって頑張ってアウトプットを出す。フォローする。そうやってみんなでアウトプットを出していけば、いつかきっと見晴しの良い道に出るはずだ。
2007-02-22 22:03:29 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2007-02-21

# うれしい報せ

某書籍、もう3刷まで行ってるのかぁ……。
自分の手を離れているので全然知らなかったけど、買ってくれた人から誤植について指摘があって、ドンブラコドンブラコとぼくの手元にまで報せがやってきた。

「実用上問題ないです。次の版が出るときにでも修正してください」とのこと。
優しい人がいるなぁ。ちょっと泣けてくる。

自分としては、あの仕事は全然納得がいっていなかったのだけど、不思議なことに案外評価してくださっている方がいらっしゃるようなんだよなぁ。
怖くもあり、うれしくもあり。お腹の底がギュッとなる。
本当にありがたいことだと思います。ありがとうございます。
2007-02-21 19:51:36 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 政治的メッセージが強すぎる

無理にオチをつける必要はないし、面白くすることが必須でもない。
誰かに語りかけるのもいいけど、そればっかりじゃあ書くほうも読むほうも気が重くなる。
誰にも分からないような独り言を連ね、善くもなく悪くもなく、息をするように文字を書き、空を見やるようにそこに文章を置きたい。
2007-02-21 12:07:07 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 朝の風景

今日駅前のターミナルを横切ろうとしたら、フリーペーパーを配るお姉さんがたくさんいた。
「無料の雑誌です。どうぞお読みください。どうぞお読みください」という言葉が、青空のした小鳥が歌うように反響していた。

ぼくは表紙を一瞥して、(もともともらうつもりもないのだが)その横を、足を早めて通り過ぎる。
「どうぞお読みください」、か……。

ふと思うことには、それは、「読んでください」じゃないのだなぁ。
そこには、「どうぞお金ください」とか、「どうぞ遊びましょう」といったニュアンスはない。

無料で(この)雑誌が読めるということは、
「あなたにとって」得することであり損ではないでしょうということだろう。

だけどどうかな……。
そういえば最近、小鳥のさえずりを聞いていない。本物の小鳥は、どんな気持ちで歌っているんだろう。
2007-02-21 10:06:55 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# どうでもいいけど

新山さんには元気になってもらいたいものだ。
2007-02-21 09:14:53 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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