メッセージ。 - diary
2007-02-08
# 傷付くこと、表現すること
あのね。こう思うんだ。
文章を書いて誰かに見せたり、何かを言ったりするというのは、
相手の人やその何かが好きだからじゃないかなって。
好きな人に読んでもらいたいとか、好きな人に教えてあげたいと思って、
人は何かを表現するものだと思うんだ。
きっと誰だって、誰かを好きだし、何かを好きだ。
でもね。世の中にはあなたのことを好きじゃない人がいる。
あるいは、あなたが伝えたいと思っている相手の人を、好きじゃないかもしれない。
そういった人にとっては、あなたの言葉は傷の元なんだよね。
それか、あなたのつづった言葉を気に入らないケースもある。
「青空がすごく綺麗だった」とか、「ごはんがおいしかった」という言葉さえ、
目の見えない人には傷付くかもしれない。今日の食べ物に飢えている人たちを傷付けるかもしれない。
どんな言葉だって誰かを傷付け得る。
でもね。だからといって、「じゃあ何も表現しないことが良いことだ」とは、ぼくは思わない。
だって、誰も何も表現しなかったら、つまらないじゃん。
誰かに「何かを表現するな」と言うと、自分にも返ってくる。
自分も何も、表現できなくなる。
それはつまらない。間違っていたとしても、何かを表現することは楽しいし善いことだ。
だって、何かを表現したくなるというのは、誰かや何かを好きってことだから。
表現が存在するのは、「好き」っていう気持ちが存在するから。
誰かや何かを好きだっていう気持ちが存在するのは、悪ではない。
それが悪だと言うならば、きっと生きていることが悪だし、この世界そのものが悪だ。
だからぼくは、少なくともぼくは、あなたに「表現をするな」とは言わない。
あなたの表現したものが間違ってたり、あるいはそれが誰かを傷付けるものであったり、
ぼくを否定するものであったとしても、あなたに表現をしてほしいと思ってる。
あなたが感じたことを聞かせてほしい。
きっとあなたの身の回りの人も、そう思ってるんじゃないかな。
文章を書いて誰かに見せたり、何かを言ったりするというのは、
相手の人やその何かが好きだからじゃないかなって。
好きな人に読んでもらいたいとか、好きな人に教えてあげたいと思って、
人は何かを表現するものだと思うんだ。
きっと誰だって、誰かを好きだし、何かを好きだ。
でもね。世の中にはあなたのことを好きじゃない人がいる。
あるいは、あなたが伝えたいと思っている相手の人を、好きじゃないかもしれない。
そういった人にとっては、あなたの言葉は傷の元なんだよね。
それか、あなたのつづった言葉を気に入らないケースもある。
「青空がすごく綺麗だった」とか、「ごはんがおいしかった」という言葉さえ、
目の見えない人には傷付くかもしれない。今日の食べ物に飢えている人たちを傷付けるかもしれない。
どんな言葉だって誰かを傷付け得る。
でもね。だからといって、「じゃあ何も表現しないことが良いことだ」とは、ぼくは思わない。
だって、誰も何も表現しなかったら、つまらないじゃん。
誰かに「何かを表現するな」と言うと、自分にも返ってくる。
自分も何も、表現できなくなる。
それはつまらない。間違っていたとしても、何かを表現することは楽しいし善いことだ。
だって、何かを表現したくなるというのは、誰かや何かを好きってことだから。
表現が存在するのは、「好き」っていう気持ちが存在するから。
誰かや何かを好きだっていう気持ちが存在するのは、悪ではない。
それが悪だと言うならば、きっと生きていることが悪だし、この世界そのものが悪だ。
だからぼくは、少なくともぼくは、あなたに「表現をするな」とは言わない。
あなたの表現したものが間違ってたり、あるいはそれが誰かを傷付けるものであったり、
ぼくを否定するものであったとしても、あなたに表現をしてほしいと思ってる。
あなたが感じたことを聞かせてほしい。
きっとあなたの身の回りの人も、そう思ってるんじゃないかな。
2007-02-07
# 書くこと、傷付けること
Ladder to the Moon - 自分の書いた文章に責任を持つということ
ふむ。好きな感じだなぁ。ええと、ぼくの基本的な考え方としては、メッセージ。 - 傷付くこと自体は悪ではない気がするという感じなんだけど。結論を簡単に言ってしまうと、傷付くことは生きることだと思ってる。
すべての生き物は、日々傷付くことなしに生きることが不可能だし、誰かを傷付けず生きることもできない。すべての生き物が他者の傷のうえに成り立っているし、傷付けられることで他者を生かしている。傷付くのも傷付けられるのも、生きること。
傷のない世界がいいと、ぼくは思わない。いったん生まれてしまった我々は、つきつめれば何もできない。ひたすら、それを受け容れるだけだ。ただそれは、悪いものじゃない。きっと悪いものじゃないとぼくは思ってる。だから今日も、誰かを傷付けるし、誰かに傷付けられる。
一緒にいたら、必ず傷付くんだ。傷付くのは、みんなが生きて一緒にいるから。生きていることも、一緒にいることも、そう悪くない。
「自分の書いた文章の責任をとること」とは、ぼくにとって自分が生きた責任を取ることに等しい。だから、ごまかさずに生きるだけだ。責任が取れるとしたら、そういう方法しかないと思ってる。謝ることはしない。どんな生き方であれ、それは謝るに値しない。
自分が、今、ここでブログを書くうえで、できることといえば、自分の書いた文章で、・ 他者を傷つけることがあること・ 自分も傷つくことがあることこの2つを覚悟して、受け入れること。ただ、これだけである。「責任」なんて大層な言葉を使うまでもなく、結局のところ、自分には具体的に何をできるわけでもないのだ。
ふむ。好きな感じだなぁ。ええと、ぼくの基本的な考え方としては、メッセージ。 - 傷付くこと自体は悪ではない気がするという感じなんだけど。結論を簡単に言ってしまうと、傷付くことは生きることだと思ってる。
すべての生き物は、日々傷付くことなしに生きることが不可能だし、誰かを傷付けず生きることもできない。すべての生き物が他者の傷のうえに成り立っているし、傷付けられることで他者を生かしている。傷付くのも傷付けられるのも、生きること。
傷のない世界がいいと、ぼくは思わない。いったん生まれてしまった我々は、つきつめれば何もできない。ひたすら、それを受け容れるだけだ。ただそれは、悪いものじゃない。きっと悪いものじゃないとぼくは思ってる。だから今日も、誰かを傷付けるし、誰かに傷付けられる。
一緒にいたら、必ず傷付くんだ。傷付くのは、みんなが生きて一緒にいるから。生きていることも、一緒にいることも、そう悪くない。
「自分の書いた文章の責任をとること」とは、ぼくにとって自分が生きた責任を取ることに等しい。だから、ごまかさずに生きるだけだ。責任が取れるとしたら、そういう方法しかないと思ってる。謝ることはしない。どんな生き方であれ、それは謝るに値しない。
2007-02-06
# 1円の本の話
2007-01-30
# ...
http://tabesugi.net/memo/2007/20.html#282038
(20:38)またへれんと世間話をしていてふと気づいた。彼女は自分は言語処理の研究者になるしかない、ほかに選択肢はないというのだが、じつは彼女にとって (もちろん新山にとっても、その他多勢の人々にとっても!) 選択肢は山のようにある。ただこの人には (プライドのために) それが見えてないだけなのだ。そういう人は沢山いる。