メッセージ。 - diary
2006-12-26
# 電飾
最近は、クリスマスのイルミネーションにもたいして感動しないなぁ。なんつーか重みがないというか、どこでもやっているので、「このデパートは頑張ってるね」とか「センスがいいね」ぐらいにしか感じなくなってしまっている。宗教的な重みとかがあればいいのかなぁ。あるいはそこに意味とか物語性みたいなものがあってほしいかもしれない。
昔の人はなぜ、クリスマスのイルミネーションを欲したのだろう。なんとなくだけど、昔のそれはもっと珍しいものであったと思うし、誰でもができるレベルのコストでは実現していなかったように思う。数珠繋ぎにする電球を集めるだけでもお金がかかったし、それを綺麗に飾り付けるだけのノウハウやモチベーションもなかった。いや、そもそも、自宅をそんな風に飾り付けるという発想がなかった。
最近では、ルミナリエやらなんやら、いろんなところで電飾のイベントがある。ちょっと大きな列車の駅前は必ず綺麗な飾り付けがなされている。そういった状況の中で、何を感じていいか分からなくなっているように思う。電飾に飾り付けられたツリーも街並みも、綺麗だとは感じられない。表面上は綺麗だとしても、その裏にある経済合理性や惰性に裏打ちされた審美眼のようなものがあるのだと思ったら、心動かすことを躊躇われてしまう。
電飾のためのコストなんて現代では高が知れていて、しかも「それをやろう」という発想や思想性みたいなものが、あまりに安売りされてしまっているのではないか。希少であることが価値だとは言わない。ただ、本質的であるかどうかが知りたいのだ。なぜだかしらないが、本質的でないものに心動かされることを、ぼくはとても怖れている。その一方で、本質的でないものが抗いようのない波のように押し寄せている。
ハレとケの問題なのだろうか。電飾の街並みは、足跡と泥にまみれた雪の感じに近いかもしれない。それを単に嫌悪するつもりはない。いずれにせよ、足跡をつけねば我々は前に進めないのだから。ただなんとなく、なんとなく。
昔の人はなぜ、クリスマスのイルミネーションを欲したのだろう。なんとなくだけど、昔のそれはもっと珍しいものであったと思うし、誰でもができるレベルのコストでは実現していなかったように思う。数珠繋ぎにする電球を集めるだけでもお金がかかったし、それを綺麗に飾り付けるだけのノウハウやモチベーションもなかった。いや、そもそも、自宅をそんな風に飾り付けるという発想がなかった。
最近では、ルミナリエやらなんやら、いろんなところで電飾のイベントがある。ちょっと大きな列車の駅前は必ず綺麗な飾り付けがなされている。そういった状況の中で、何を感じていいか分からなくなっているように思う。電飾に飾り付けられたツリーも街並みも、綺麗だとは感じられない。表面上は綺麗だとしても、その裏にある経済合理性や惰性に裏打ちされた審美眼のようなものがあるのだと思ったら、心動かすことを躊躇われてしまう。
電飾のためのコストなんて現代では高が知れていて、しかも「それをやろう」という発想や思想性みたいなものが、あまりに安売りされてしまっているのではないか。希少であることが価値だとは言わない。ただ、本質的であるかどうかが知りたいのだ。なぜだかしらないが、本質的でないものに心動かされることを、ぼくはとても怖れている。その一方で、本質的でないものが抗いようのない波のように押し寄せている。
ハレとケの問題なのだろうか。電飾の街並みは、足跡と泥にまみれた雪の感じに近いかもしれない。それを単に嫌悪するつもりはない。いずれにせよ、足跡をつけねば我々は前に進めないのだから。ただなんとなく、なんとなく。
2006-12-22
# メモ
http://tabesugi.net/memo/2006/b6.html#202207
ほんと、新山さんはいいことを言うなぁ。
あんまり劣等感や罪悪感をもってはいけないと思う。この世の一番の悪事は、劣等感や罪悪感をもっている人によってなされるからだ。
ほんと、新山さんはいいことを言うなぁ。
2006-12-21
# 「異性を異性としてしか見ない」?
?女を雌としてしか見ない?って言う男は、何を考えてそんなこと言うのかって? うーん。よく分からないにゃー。でもそれは、あれじゃないかなぁ。「男を雄としか見ない」って言う女の人の気持ちを考えてみれば分かるのかもしれない。つまり、「男だから」、「女だから」とは考えないほうがいいんじゃないかなと思う。
で、そのうえでね。「異性を異性としてしか見ない」って公言する人は、別に本当にそう思っているわけじゃないんだろうと思う。「異性を異性としてしか見ない」と本当に思ってたら、そのことを隠して行動するほうが目的を達成しやすいだろうから。何か真意は別のところにあるような気がする。
ただ、その先はよく分からないなぁ。真意があって、それを達成するために合理的な行動を取る人ばかりじゃないし。まぁそんな感じっすかね。
で、そのうえでね。「異性を異性としてしか見ない」って公言する人は、別に本当にそう思っているわけじゃないんだろうと思う。「異性を異性としてしか見ない」と本当に思ってたら、そのことを隠して行動するほうが目的を達成しやすいだろうから。何か真意は別のところにあるような気がする。
ただ、その先はよく分からないなぁ。真意があって、それを達成するために合理的な行動を取る人ばかりじゃないし。まぁそんな感じっすかね。
2006-12-19
# 挨拶というかクネクネ?
そういえば、 shinhさんに言及していただいたのでした。いやー、どもども。光栄です。会場ではちょっと、「ご挨拶しなきゃいけない人がいるかな」って思ったんですよね。でも、ぼくなんかが顔を見せても、「誰?」って言われるかなと思ってw、挨拶回りしませんでした。hello worldネタが発表されてるときは、あろはさんやshinhさんのことを思い出しながらプレゼンを見ていました。
# ひとりごと
アエラの12月25日号「せわやき上司とどんびき部下」
って? そんなん、当たり前やないか。部下が上司に、キャリア上の目標を見出せていないんだよ。つまり部下は、上司を指して「あの人みたいになりたい」と思えない。技術的にも思想的にも。そういう状況で、小手先だけの技なんか通用しないし、よけいに溝を作るだけでっせ。
上司の人は、「あの人みたいになりたい」って思える上司にならなあかん。会社は、「この会社は社会の役に立ってる」と思える事業をものにせなあかん。そういうことやと思うんやけどなぁ。
お茶菓子やYouTubeネタで部下におべっか/ほめる・叱る・ほめるの「サンドイッチ戦術」も暖簾に腕押し
って? そんなん、当たり前やないか。部下が上司に、キャリア上の目標を見出せていないんだよ。つまり部下は、上司を指して「あの人みたいになりたい」と思えない。技術的にも思想的にも。そういう状況で、小手先だけの技なんか通用しないし、よけいに溝を作るだけでっせ。
上司の人は、「あの人みたいになりたい」って思える上司にならなあかん。会社は、「この会社は社会の役に立ってる」と思える事業をものにせなあかん。そういうことやと思うんやけどなぁ。
2006-12-18
# ランキングについてメモ
winter note - ランキングの魔力
この人の視点、好きだな。透明感があって伸びやかだ。あ、まぁ、それはいいとして。ランキングというのは結局、群れを作るためのものなんだと思う。ランクを付けるためには、そのカテゴリを俯瞰して全体の状況を理解している必要がある。「ここからここまでがカテゴリだよ」と線引きしなければ、「上位何番」ってのは判断できない。
雑誌やマスメディアがランキングを発表するのは、まさにカテゴリを規定するモノだからなんだよね。ある意味、文化の中心地と言ってもいい。ある人たちの好むコンテンツや、好む人を集めて載せて、皆の視線をそこに集めようとする。そのための手段としてランキングは有効だし、逆にユーザーは、ランキングを見て群れの全体像を知って安心する。
ぼくも雑誌で、「オープンソースソフトウェアのランキング」みたいなのをやってはどうかと考えたことがある。でも結局は、やらなかった。だって、オープンソース世界の全体がどこまでかを知ることなんてできないし、やることが正しいとも思えない。ランキングを作るということは、群れを肯定してそこの長になると宣言するようなものだ。
「群れ」に積極的に参加したい人がいるなら、ランキングもいいかもしれない。でもたぶん、オープンソースやネットに興味を持つ人たちは、そういうものに大きな興味を示さない。中心など存在しないし、端も存在しない。そういう特性が、オープンソースやネットを面白くしてるんじゃないかと考えたことがあって、いまもそうだと思っている。
ランキング自体はあっていいと思うし、群れというのは必要なものなんだと考えている。ただそれは、必要とされる場所や時期があって、あえてかき混ぜたり、混沌とさせておくことが必要なときもある。
この人の視点、好きだな。透明感があって伸びやかだ。あ、まぁ、それはいいとして。ランキングというのは結局、群れを作るためのものなんだと思う。ランクを付けるためには、そのカテゴリを俯瞰して全体の状況を理解している必要がある。「ここからここまでがカテゴリだよ」と線引きしなければ、「上位何番」ってのは判断できない。
雑誌やマスメディアがランキングを発表するのは、まさにカテゴリを規定するモノだからなんだよね。ある意味、文化の中心地と言ってもいい。ある人たちの好むコンテンツや、好む人を集めて載せて、皆の視線をそこに集めようとする。そのための手段としてランキングは有効だし、逆にユーザーは、ランキングを見て群れの全体像を知って安心する。
ぼくも雑誌で、「オープンソースソフトウェアのランキング」みたいなのをやってはどうかと考えたことがある。でも結局は、やらなかった。だって、オープンソース世界の全体がどこまでかを知ることなんてできないし、やることが正しいとも思えない。ランキングを作るということは、群れを肯定してそこの長になると宣言するようなものだ。
「群れ」に積極的に参加したい人がいるなら、ランキングもいいかもしれない。でもたぶん、オープンソースやネットに興味を持つ人たちは、そういうものに大きな興味を示さない。中心など存在しないし、端も存在しない。そういう特性が、オープンソースやネットを面白くしてるんじゃないかと考えたことがあって、いまもそうだと思っている。
ランキング自体はあっていいと思うし、群れというのは必要なものなんだと考えている。ただそれは、必要とされる場所や時期があって、あえてかき混ぜたり、混沌とさせておくことが必要なときもある。