メッセージ。 - diary

2006-06-20

# ロングテール時代の探検家

ロングテール時代のSI

すごく面白くて夢のある話だけど、ぼくも現実的じゃないと思うなぁ(笑)。

なんだろ。ビジネスには、ITってそんなに必要ないように思うんだよね。や、ITが人間の活動を活性化するケースは確かにあるけど。でも、ビジネスを成功させるのはITじゃない。ITは道具の1つに過ぎなくて、本当はもっと大事なものがある。

ぼくは考えでは、ビジネスで重要なのは需給の見極めだ。市場はいま何を求めていて、自社は何を供給したいのか。それを見極めて、適切な形とタイミングで商売にすること。自社の人材をいかにネットワークさせるかということ。ITが使えるなら使えばいいけど、それは必須じゃない。ぜんぜん必須じゃない。

ビジネスを実現するうえで、ITが有効だと思えるならそれを使うほうがいい。でも、目的と手段を混同してはいけない。これが注意すべき1つ目の点。それともう1つ。ITの導入コストは高くて、なかなかペイしないことも知っておいたほうがいい。損益分岐点を超えるのはけっこう限られた条件になると思うんだな。

SI業界で失敗の話ばかり聞く理由の1つは、ITシステム自体が本質的に高コストだからだというのがぼくの考えだ。たとえばビルゲイツはWindowsで儲けたけど、それは市場が十分に大きかったから。ユーザーが十分に多かったから。市場にいる見込みユーザーが数億というオーダーで存在したし、みんなWindowsに価値を見出してくれた。あれだけの規模があったからこそ成功したと思うんだよね。

Windowsを使いこなすために、たくさんの人がたくさんのコストを費した。システムとしては不完全極まりないWindows 95シリーズを、「不便だ、ここが嫌だ」と言いながらみんな使ってくれた。そしてWindowsは期待に応え、それなりの価値をユーザーにもたらした。ユーザーたちはみなWindowsに文句を言ったけれど、「元は取った」とも思ってたんじゃないかな。だけどSIでは、この「元は取った」というのが難しい。

SIではたとえば、1つシステムを作ったとして、それを使う人がせいぜい多くて数万人。たいていのシステムは、ユーザーが数十人という規模なんじゃないだろうか。数十人が使うものとして、一人10万円ずつコストをかけてもらえば数百万。数百万円の予算でシステムを作って、「元は取った」と思えるものになる? みんな満足してくれる? たぶん残念ながら、答は「NO」なんだよね。数百万が数千万になったとしても、なかなかしんどいのが実情で、街の零細企業が使えるシステムとなると、もっともっとペイしなくなる。

もちろん、街の零細企業が使えるような安いITツールって、あればいいなと思う。だけどツールがどれだけ高機能でも、それ自体がお金を稼いできてくれるわけじゃない。道具は道具でしかないわけで、人間がそれをどう使うかによって、道具の価値は1にも1000にもなる。ITツールというのは、結局梃子や地図のようなものだ。梃子も地図も、あったほうがそりゃいいけど、だけどそれを手に入れたとしても、使いこなしてお金に変えられる人はほんの一握りだ。

まぁ。でも。これは「今」の話か……。将来はどうか分からない。その昔、入手困難だった梃子や地図が、現代なら誰でも手に入れられるように、システムだって将来は安価で使いやすいものになるのかもしれない。それはそれで、すごいことだ。梃子や地図が、いま人間たちに力を与えているように、将来システムは、もっと人間を活性化するのかもしれない。

そういう意味で、はぶさんがおっしゃるような安価なシステムというのは、夢といえるのかもね。いつかその道具を使いこなす人のために、道筋をつけていくというのは価値のある仕事なのかもしれない。
2006-06-20 22:42:47 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ロングテールってなんじゃいのぅ

もしも、ポストモダンとかいうのが潮流であるのなら、
あるいは、日本もアメリカも大量生産大量消費の時代を過ぎたとするなら、

ロングテールなんていうのは当たり前のことなわけで。
たとえばいま中国で「ロングテール!」なんて叫んでも、
それほど実効性はないのかなぁと思ったり。

少品種での大量生産が立ち行かなくなってゆく時代でも、
やはりボリュームこそがお金(経済)であることには変わりがなく、

多品種での大量生産方式がいま注目されたりしているのかなぁ。
2006-06-20 01:12:09 / ふじさわ / Comment: 6 / Trackback: 0

2006-06-18

# Winny事件は厨房どうしの喧嘩ですか

スラッシュドット ジャパン | Winny作者の金子氏、TV番組でのインタビューに答えるを読んだ。とりあえず、NHKさんはいい仕事してますねと思った。

金子さんの発言内容について。なんつーか、「厨房なんだなぁ」ってのが正直なところ。まぁ知ってたけどね。今回映像を見て、あらためてそう感じた。インタビューは多少恣意的に編集されているのかもしれないけど、ぼくが気になったのは「技術は最高」という金子さんの台詞。

「最高」とまで言ったのは言葉のアヤかもしれないけど、とにかくそういう思想の方向性なのだろうという前提で。ぼくは「技術が最高」なんていう人間は思想的に好きじゃない。まったく好きになれない。本物の技術者なら、自分の持つ技術の「原罪性」を意識するべきだと考えるからだ。

これは技術者に限らない。法を執行する者なら「法の持つ原罪性」を、マスコミュニケーションに携わる者なら「コミュニケーションの原罪性」を意識するべきだと考える。強い力を持つ者は、その力が人を救う一方で、暴走すれば人を不幸にすることを意識するべきだ。自分の力がどう使われるべきかに細心の注意を払うべきだ。

要するに、火を使う者は、火の怖さを心の底から知っていてほしい。力を持つものは、その力が誰かを傷付けることを心の底から怖れてほしい。それができないというのなら、もうぼくにとっては、許せないレベルで感受性を欠いている。

だからこそ、ぼくはここで何回も、Winnyを擁護しているんだ。捕まえる側の論理が、原罪というものをきちんと認識しているか疑問だったから。でも結局は、捕まえる側も捕まる側も厨房ということでファイナルアンサーみたいだね。期待するほうが馬鹿だったのかもしれないけど。
2006-06-18 03:59:45 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-15

# ヘタレる

http://www.hirax.net/diaryweb/2006/06/03.html#200606032

Hyper Estraierの平林さんがmixi入りっすか。ほぇ〜。今後mixiの検索はぐんと良くなると思われ、ますますご清祥、まさしくご清祥のこととお慶び申し上げます。鵜飼さんはGoogleらしいし、みなさんすごいなぁ。おらはどうしよう……。つーかどうにもならんのだけど。orz

そういや昨日、仕事してたらいきなり、「アイアムへっどはんたー。アイウォントトゥハブアミーティングなんたらかんたら」とかいう電話がかかってきてしどろもどろになったのが奇遇っつーかなんつーか。

ヘッドハンター? ぼく、ヘッドでもなんでもないですから! 残念!
とか思いつつ、残念なのはどっちやねんっていう話ですよねほんまに。たとえば平林さんや鵜飼さんは、ヘッドハンターから電話なんかかかってこないから。本物の「ヘッド」のところには、ヘッドハンターから連絡なんか行かない。ヘッドハンターから電話が来るってことは、ぼくが「ヘッド」でもなんでもない証だバカヤロー。

まー天にツバするのはいい加減見苦しいのでやめるとして。あーあ。この先ほんとにどうしようかなぁ。ていうか目の前にある仕事をちゃんとこなさなきゃいけないんだけど……。ううう。しんどい。

仕事をしんどいと感じるのは、ぼくがダメだからで、どこへ行っても同じだろうからなぁ。しかも、いまの仕事はそれなりに面白い。うまくこなせるなら、やる価値がある仕事だと思う。うまくこなせるなら。ううう。まーそんな感じっすね。
2006-06-15 19:00:31 / ふじさわ / Comment: 2 / Trackback: 0

# デスクトップバトン

shinoさんからいただいたので、一応。
帯域が狭い人向け → http://nnri.dip.jp/~yf/desktop_s.png(100KB)
帯域が広い人向け → http://nnri.dip.jp/~yf/desktop.png(600KB)

あまりメンテとかしてないのでグダグダな感じです。つーか、心のデスクトップはザウルスちゃんなので、Windowsはおざなりですね(という言い訳☆)
2006-06-15 12:44:49 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# あろはさんからコメントをいただきました!

あろはさんからコメントをいただきました!

ありがとうございマウス! こちらこそ光栄です。いつも(こっそり)拝見していますよー。あろはさんの日記は、正直よく分からん難しいときもあるのですが、分からなさも楽しい感じです。心地良い分からなさというか。あまりに楽しく面白いので、友達にも紹介したくなって今回は言及させていただきましたー☆
2006-06-15 00:54:40 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-14

# セキュリティについて

セキュリティって難しいなぁと思うのだけど、一応最近考えていることをちょっとまとめてみます。

ある人の日記で、「バカでも安全に使えるコンピュータ」という言葉が使われていた。また別の人のところで、「コンピュータが自動的に危険を察知して対策を施す」という言葉が使われていた。これはとてもよいヒントだった。

まず、「コンピュータが自動的に危険を察知して対策を施す」ことは可能か?という問題なんだけどね。ぼくは無理だと思うんだよね。コンピュータは、「危険」というものを理解できないはずだから。たぶん、「幸せ」を理解できないのと同じぐらい、コンピュータは危険を理解できない。「幸せ」や「危険」は定義できないので、そのような処理をするコンピュータも作れない。

たぶんコンピュータに限らず、すべての道具がそうなんだ。人間を「自動的に」幸せにしたり、安全にする道具は存在しない。……たしかにね、ときには自動車が、あるいは電話が、毛布が、包丁が、火が、人間を幸せにしたり安全にすることもある。だけどそれは、ときに人間を不幸にしたり危険をもたらしたりもする。

ねぇ。安全な包丁は、作れると思う? バカでも安全に使えて、どんな小さな子供でも安全に使えて、強盗に襲われたときにも安全に使えて、怪我をすることなく安全に料理ができる包丁、そんなものは作れるだろうか。残念ながら、それは作れない。安全なコンピュータも作れない。……どんな道具も、人間が使い方を間違えるのを防げない。

結局、道具は、使う人の目的を理解できないんだな。そして、「目的」が分からなければ、「安全」も提供しようがないよね? 要するに、「安全」というものは、「目的」なしに論じることができないんだとぼくは思う。同じように、セキュリティも「目的」なしに扱うことはできない。でも、現代の多くの人が、「目的」をすっとばしてセキュリティを扱ってしまっている。

セキュリティに関する議論は、収束しない。でもなぜ? ぼくが思うに、セキュリティの議論は、ビジネスプロジェクトが失敗するのに似た過程をたどる。ドラッカーが言うように、ビジネスプロジェクトを成功させたければ、まず「どうなったら成功か」を定義しなければいけない。でもほとんどの人やプロジェクトがそれをしないで走りだす。セキュリティも同じ。

プロジェクトを成功させたければ、まず「成功」を定義しなければいけない。それと同じように、セキュリティが欲しいのなら、「安全とは何か」を、そして安全と表裏をなす「やりたいこと」を定義しなければいけない。

人には、それぞれやりたいことがある。エベレストに登りたいという人もいれば、アイドル歌手になりたいという人もいる。そういう人たちに、「危険だからやめておけ」って言うことに意味はない。彼らには、リスクをおかしてもやりたいことがある。むしろ彼らの「やりたいこと」を矯正するほうが、よっぽど危険だとぼくは思う。

エベレストほど危険なヤマじゃなくても、「やりたいこと」、「ぼくらの目標」というのは人間の数だけ存在する。十把一絡げには論じられない。本当にセキュリティを提供したいのなら、まずはちゃんと相手の「やりたいこと」を知る必要があるんじゃないのかな。相手の立場からスタートする必要があるんじゃないのかな。それは本当に、難しいことだとは思うけど。
2006-06-14 20:55:45 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# 面白いよあろはたん面白いよ。

等価変換な日々

どっかのネタにリンクしたかったんだけど、どこに言及していいか分からんw。
世の中には面白い人がいるもんだ。
2006-06-14 11:06:04 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

2006-06-13

# 表現とシャーマニズム

「編集者Blogはナゼ滞るのか」って? そんなの当たり前じゃないの?

だって考えてもみなよ。肩書背負うってことは、自分の書いたものを職場の同僚が読むってことでしょ? あなた職場の同僚が読んでいると知って、「面白いこと」なんか書けますか? 自分の本音さらけ出せますか? 出せませんよねぇ……? それができる人もいるし、そうしやすい職場もあるだろうけど。でも本質的には、それができたらその人は物書きであり、シャーマンだと思う。

モノを書くというのは、手の内を明かすこと。心の内を見せること。書くだけじゃなくて、いろんな表現がそう。たとえばサザンのコンサートに行くと、桑田佳祐は「みんなのことが好きです!」って連呼する。もう馬鹿みたいにそればっかり。でも、見ているぼくらは、その言葉に嘘偽りがないと思える。信じられる。好きな人が目の前にいるからこそ、人間は表現できるんだ。

かつて渡辺えり子さんは、ステージで歌をうたうことを「セックスしてるような気分になる」と表現した。まさしく正鵠を射る表現だとぼくは思う。結局のところ、すべての表現はそういうことだ。書くこと、読んでもらうこともそういうことだ。シャーマニズムとは、ウチとソトが混ぜ合わさってしまうこと。編集者はウチとソトとを分ける門番。本当に表現している人なら、プロアマを問わず分かっていると思うのだけど。どうかね……。
2006-06-13 20:27:43 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

# ちょっと出遅れましたが

Wataru's memoが更新再開だそうです。一部方面の方にはなみだちょちょぎれのことでしょう。
2006-06-13 18:46:16 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0
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