メッセージ。 - diary
2006-05-01
# 「全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない」
作り手も、ネットやらの批評をいちいち気にしていてはやっていけない。全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない。
あ、これは本当にそう思う。そう思うんだけど、なんというか、忘れちゃうときもある。
文句を言われたら「すみません」と思っちゃいがちというか。相手が怒ってたらとにかくなんか悪いことしちゃったなぁと自己嫌悪に陥りがちというか。怒られた当初は「ごめんなさいごめんなさい」とか思うのだけど、後になって「おれそんな悪いことしたか?」と思い直したり。あと、自分が被害を受けているのに、そのときはなんか怒れなくて、後になってから腹立つこともあるよね。怒るというのは難しい。普段は怒るためのスイッチを切っているのだ。
これはある意味、雰囲気に流されているのだろうな。それが悪いこととは言わないけど。雰囲気に流されるということは、空気を読むことと表裏一体のような気がする。空気を読みすぎると、怒るスイッチを入れられない。雰囲気に流される。自分のペースを抑えて相手のペースと同調するというか。呼吸を合わせるというか。それは悪いことじゃないと思う。コミュニケーションには必要だろう。その一方で、いい意味で場のペース・雰囲気を外し、自分のペースに切り替えられるというのはすごい才能だ。お笑いというのは、この才能を技芸にしたものなんだと思う。
で、批評の話。うちの会社でもモノを作って売っているのだけど、とにかくクレームに対して気を使いすぎのような気がする。1つの製品当たり数万というオーダーで製品を売っていて、いくつかクレームが来るのは当然なのに。にもかかわらず、クレームが来ると設計担当者の評価が下りがちだ。クレームが来ないのがいい製品なのか? それって単に、「怒られるのが嫌」という個人的な問題なんじゃないかと思ってしまう。あとは、「謝るのが嫌」という人もいる。なんでだろう。なんでなんだろう。怒られたっていいし、謝ればいいじゃないかと思うのだ。# 謝るのなんてタダなんだし……などというぼくのコミュニケーション観は、大阪人的でアバンギャルドなんだろうけど。
まぁとにかく、「全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない」という感覚は大事だよなぁと思ったのだ。なんていうのかなぁ。枠を飛び越える感じ。一方でそれを気にしながら、一方でそれを大したことないと思える感覚。マルチバインディングをきちんと乗りこなせるというのは、才能だし価値のあることだと思う。一般に思われている以上にね。言語化しにくいから、評価しにくいところだろうとは思うけど。
あ、これは本当にそう思う。そう思うんだけど、なんというか、忘れちゃうときもある。
文句を言われたら「すみません」と思っちゃいがちというか。相手が怒ってたらとにかくなんか悪いことしちゃったなぁと自己嫌悪に陥りがちというか。怒られた当初は「ごめんなさいごめんなさい」とか思うのだけど、後になって「おれそんな悪いことしたか?」と思い直したり。あと、自分が被害を受けているのに、そのときはなんか怒れなくて、後になってから腹立つこともあるよね。怒るというのは難しい。普段は怒るためのスイッチを切っているのだ。
これはある意味、雰囲気に流されているのだろうな。それが悪いこととは言わないけど。雰囲気に流されるということは、空気を読むことと表裏一体のような気がする。空気を読みすぎると、怒るスイッチを入れられない。雰囲気に流される。自分のペースを抑えて相手のペースと同調するというか。呼吸を合わせるというか。それは悪いことじゃないと思う。コミュニケーションには必要だろう。その一方で、いい意味で場のペース・雰囲気を外し、自分のペースに切り替えられるというのはすごい才能だ。お笑いというのは、この才能を技芸にしたものなんだと思う。
で、批評の話。うちの会社でもモノを作って売っているのだけど、とにかくクレームに対して気を使いすぎのような気がする。1つの製品当たり数万というオーダーで製品を売っていて、いくつかクレームが来るのは当然なのに。にもかかわらず、クレームが来ると設計担当者の評価が下りがちだ。クレームが来ないのがいい製品なのか? それって単に、「怒られるのが嫌」という個人的な問題なんじゃないかと思ってしまう。あとは、「謝るのが嫌」という人もいる。なんでだろう。なんでなんだろう。怒られたっていいし、謝ればいいじゃないかと思うのだ。# 謝るのなんてタダなんだし……などというぼくのコミュニケーション観は、大阪人的でアバンギャルドなんだろうけど。
まぁとにかく、「全ての批評を真摯にうけとめる必要なんて全くない」という感覚は大事だよなぁと思ったのだ。なんていうのかなぁ。枠を飛び越える感じ。一方でそれを気にしながら、一方でそれを大したことないと思える感覚。マルチバインディングをきちんと乗りこなせるというのは、才能だし価値のあることだと思う。一般に思われている以上にね。言語化しにくいから、評価しにくいところだろうとは思うけど。
# デスマーチを防ぐ3つの方法
武蔵流プログラマからの提言 − デスマーチ経験者はこう語った
む、これは価値のある考察ではないか。……と思ったらけっこう古い記事なんだ。雑誌かなにかに載ったものなのかな? まーでも価値があると思うし、とりあえずメモ。
む、これは価値のある考察ではないか。……と思ったらけっこう古い記事なんだ。雑誌かなにかに載ったものなのかな? まーでも価値があると思うし、とりあえずメモ。
2006-04-27
# 「ネット—コンテンツ経済」とか言ってみる
コンテンツのデフレはどこまで進むのかは、ちょっと正確じゃなかったかなと思った。
デフレしているのは「コンテンツ」ではなくて「ストック型情報」のような気がする。まぁ同じものを意識して書いたのだけど。レイヤが違うかなと。「ストック型情報」の価値が下落して、「フロー型情報」の価値が高騰していると言うほうが自然だよね。……いや、いいのか。「コンテンツ」の価値が下落して「ネットワーク」の価値が高騰しているというのほうが一歩進んでいていい気もする……。とりあえずこれを「ネット—コンテンツ経済」と名付けてみよう。
えーと、それでもう1つ考えたこと。コンテンツとかストック情報というのは、たぶん何か一般的に役立つ情報なんだと思う。たとえば本に書くべき内容のような。だけどこの、ネット—コンテンツ経済においては、そういった一般的に役立つ情報がデフレしてしまっている。逆に増大しているのは、一般的に役立たない情報だ。そこにアクセスすることで、個人的なムシャクシャが収まるような、パーッとストレスを消し去ってしまうような、そういう個人的問題にアクセスしうるフロー情報。その価値が上がっている。
こういったネット—コンテンツ経済の特徴を見ると、2ちゃんねるの競争力が非常に高いことをうまく説明できる。そこでは一般的に価値のある情報の共有よりも、一過性の情報や、人間の感情を直接刺激するような情報が集められる。一時のムシャクシャを解消したり、個人的な恨みを晴らしたり、個人的な悩みを吐き出したり、そういうことに2ちゃんねるは適している。ネットワークにこそ価値があり、コンテンツに価値がない。だから匿名でいいし、匿名でなければならない。
もう1つ、ネット—コンテンツ経済において競争力が高いのはmixiだろう。そこでは一般的な価値のある情報よりも、個人的に価値のある情報のほうが好んで消費される。そこにストック型の情報を置くことは有意義ではない。むしろそのときどきで感じたこと、喜怒哀楽、そういったものを吐き出して、ネットワーク作用によって解消してしまう働きこそがmixiの機能といえる。mixiは2ちゃんねると正反対で、顕名を基本とする。しかし2ちゃんねるで実現しているのと同等の機能を持っているといえるのではないか。
さて、ネット—コンテンツ経済について考えてみると、さらにもう1つ現時点において見えているnext personが存在する。みんなもよく耳にしているアレだ。「ネットワークにこそ価値があり、コンテンツに価値はない」という思想を推進するもの。ネットワークのインフレーションを引き起こそうとしているもの。ネット—コンテンツ経済の発展は、流通媒体の進化・流通コストの低減によって促されてきた。そしてnext personはもう一歩、その進化の歩みを進めようとしている。
デフレしているのは「コンテンツ」ではなくて「ストック型情報」のような気がする。まぁ同じものを意識して書いたのだけど。レイヤが違うかなと。「ストック型情報」の価値が下落して、「フロー型情報」の価値が高騰していると言うほうが自然だよね。……いや、いいのか。「コンテンツ」の価値が下落して「ネットワーク」の価値が高騰しているというのほうが一歩進んでいていい気もする……。とりあえずこれを「ネット—コンテンツ経済」と名付けてみよう。
えーと、それでもう1つ考えたこと。コンテンツとかストック情報というのは、たぶん何か一般的に役立つ情報なんだと思う。たとえば本に書くべき内容のような。だけどこの、ネット—コンテンツ経済においては、そういった一般的に役立つ情報がデフレしてしまっている。逆に増大しているのは、一般的に役立たない情報だ。そこにアクセスすることで、個人的なムシャクシャが収まるような、パーッとストレスを消し去ってしまうような、そういう個人的問題にアクセスしうるフロー情報。その価値が上がっている。
こういったネット—コンテンツ経済の特徴を見ると、2ちゃんねるの競争力が非常に高いことをうまく説明できる。そこでは一般的に価値のある情報の共有よりも、一過性の情報や、人間の感情を直接刺激するような情報が集められる。一時のムシャクシャを解消したり、個人的な恨みを晴らしたり、個人的な悩みを吐き出したり、そういうことに2ちゃんねるは適している。ネットワークにこそ価値があり、コンテンツに価値がない。だから匿名でいいし、匿名でなければならない。
もう1つ、ネット—コンテンツ経済において競争力が高いのはmixiだろう。そこでは一般的な価値のある情報よりも、個人的に価値のある情報のほうが好んで消費される。そこにストック型の情報を置くことは有意義ではない。むしろそのときどきで感じたこと、喜怒哀楽、そういったものを吐き出して、ネットワーク作用によって解消してしまう働きこそがmixiの機能といえる。mixiは2ちゃんねると正反対で、顕名を基本とする。しかし2ちゃんねるで実現しているのと同等の機能を持っているといえるのではないか。
さて、ネット—コンテンツ経済について考えてみると、さらにもう1つ現時点において見えているnext personが存在する。みんなもよく耳にしているアレだ。「ネットワークにこそ価値があり、コンテンツに価値はない」という思想を推進するもの。ネットワークのインフレーションを引き起こそうとしているもの。ネット—コンテンツ経済の発展は、流通媒体の進化・流通コストの低減によって促されてきた。そしてnext personはもう一歩、その進化の歩みを進めようとしている。
# コンテンツのデフレはどこまで進むのか
『実用Perlプログラミング 第2版』のまえがきに、次のようなくだりがあった。
これはある面で真実だと思うのだけど、それではこのような本の存在意義はなんなのかと考えてしまった。本の著者というある程度の権威、実力者でさえ、明日のことが分からない? だとしたら、本を読むよりもネットをチェックしているほうが価値があるじゃないかと。あるいは、もし仮にこの本が、本という形でなくてネット上のコンテンツだとしても同じではないか。
そんなにすぐに情報が陳腐化してしまうのなら、まとまったコンテンツを読むよりも、生まれたてのソフトウェアのREADMEを読むことのほうが価値があることになる。いや、もっと言うとそうした生まれたてのソフトウェアでさえも価値を失いつつあるということになる。
ソフトウェアやコンテンツの価値自体がデフレしてしまって、ネットをウォッチすることだけが価値を持つ世界。ネットワークそのものが価値を飲み込んでしまっているという構図ではないか。もちろんこれは極論で、ネットとコンテンツの価値はどこかでバランスするのだろうけれども。
そしてたぶん、そのバランスポイントの見極めが重要なのだろう。ただ、いままでは紙媒体vsネットという二極構造で見てしまっていた(そこにバランスポイントを置いていた)自分の視点というものに気付かされた。この視点は間違っているのかもしれないと。ならばネットは、どこへ行くのか。飲み込まれたコンテンツは、どんなエネルギーに変換され、何を引き起こすのか。
……眠い。
本書の「まえがき」で書くのも何なのですが、最初は筆者がPerlについて知っていることをすべて本書に網羅しようと考えていました。しかしそれは無駄なあがきだったようです。その理由としてまず第一にPerlではDNA配列の組み換えやオンラインショッピング、さらには天気予報のチェックやポーカーゲームといった広範囲に及ぶ既製のモジュールをCPANから入手できることが挙げられます。しかも新しいモジュールが毎日飽くことなく追加され、どのようなモジュールが追加されたのかを知るのは大変な労力を要します。もう1つの理由として挙げられるのは前述したようにPerlは日々刻々と変化していることです。筆者自身もPerlの世界で明日何が起きるかは予測できないことです。したがって筆者ができることといえば、ためになるテクニックや現在利用可能なリソースを読者に伝えることくらいしかないというのが正直なところです。
これはある面で真実だと思うのだけど、それではこのような本の存在意義はなんなのかと考えてしまった。本の著者というある程度の権威、実力者でさえ、明日のことが分からない? だとしたら、本を読むよりもネットをチェックしているほうが価値があるじゃないかと。あるいは、もし仮にこの本が、本という形でなくてネット上のコンテンツだとしても同じではないか。
そんなにすぐに情報が陳腐化してしまうのなら、まとまったコンテンツを読むよりも、生まれたてのソフトウェアのREADMEを読むことのほうが価値があることになる。いや、もっと言うとそうした生まれたてのソフトウェアでさえも価値を失いつつあるということになる。
ソフトウェアやコンテンツの価値自体がデフレしてしまって、ネットをウォッチすることだけが価値を持つ世界。ネットワークそのものが価値を飲み込んでしまっているという構図ではないか。もちろんこれは極論で、ネットとコンテンツの価値はどこかでバランスするのだろうけれども。
そしてたぶん、そのバランスポイントの見極めが重要なのだろう。ただ、いままでは紙媒体vsネットという二極構造で見てしまっていた(そこにバランスポイントを置いていた)自分の視点というものに気付かされた。この視点は間違っているのかもしれないと。ならばネットは、どこへ行くのか。飲み込まれたコンテンツは、どんなエネルギーに変換され、何を引き起こすのか。
……眠い。
2006-04-26
# 完全に蛇足だけど
そういう論拠からぼくは、コペルニクスもアインシュタインも、「常識を疑う事」なんてくだらないところからは出発していなかったはずだと考える。彼らはきっと、常識などという他人の意見は気にしなかったはずだ。自分の好きなもの、気になるもの、「なぜだろう? 知りたい」という内なる声に耳を傾けているうち、常識にぶつかってしまったというのが真相ではないか。
「常識を疑おう」と意識すれば、常識に囚われてしまう。「普通を越えよう」と考えれば「普通」に囚われてしまう。「期待に応えられる成果を出そう」とすれば、期待以上の結果を出せなくなってしまう。創造性というのは、そういうもんだとぼくは思うのだ。
「常識を疑おう」と意識すれば、常識に囚われてしまう。「普通を越えよう」と考えれば「普通」に囚われてしまう。「期待に応えられる成果を出そう」とすれば、期待以上の結果を出せなくなってしまう。創造性というのは、そういうもんだとぼくは思うのだ。
# まず、自分が好きなことをやることの重要性。
自分は、世の中を先回りできるかどうかとか、そのとき必要と思われる技術を勢い付けて身につけられるかどうかとかいうのは、こういう自分を突き動かすモチベーションみたいなのを強く持てないと難しいと経験的に思っている節があります。そしてそういうモチベーションの創出能力みたいなのは、先天的な適正とかにかなり依存してる感がある。だから、もしそういうアンテナの高さとかで自分の価値を出していきたいなら、それが好きかどうかを自問してみること。自問してみて、自分はそこまで好きじゃないと思ったら、無理にそれは追求しない方がいい。どうやってもあの人やあの人、あなたの頭の中にある理想像には追いつけない。(中略)大量に積もった細かいタスクを淡々とこなしていける並行処理能力をもったプログラマ。あるいは人が作ったものを丁寧に磨いていける能力を持ったプログラマ。そういう複数のカテゴリの人たちが一緒になって組織を作っていくのです。組織はお互いがお互いの仕事を尊敬しあってやっていないと、いずれ崩壊する。だから、僕はこの異なるタイプのエンジニアの能力というのをお互いがお互いに認識しあえるかどうかは非常に重要だと思っています。
naoyaたん、いいこと言うなぁ。そうなんだよね。まず、自分が好きなことをやることが大事。好きなことをやっていれば、いずれ結果は出るし、周りを見て恨みつらみを言うこともなくなる。自分の好きな仕事や自分の場所を持っていれば、「自分の仕事は評価されていない、誰それはあんなに評価されているのに」と文句を言わずにすむ。
人は人。自分は自分。好きなことをやっているのなら、評価されなくってもいいじゃないかと思う。いや、むしろ、本当に好きなことをやっている人は、高い評価をなかなか受けにくいんじゃないかと思う。魂の込もった本物の仕事を評価できる人というのは、案外多くないからだ。
「天才の孤独」という言葉があるけれども、ぼくはこれは真実だと思う。天才の仕事を本当に理解できる人は、そう多くない。トップアスリートの本当の凄さを実感し理解できるのは、トップアスリートだけだ。天才の本当の凄さを理解できるのも、天才に近いところにいる人だけだろう。
だからこうも思う。もし、あなたが何かの分野で人から評価されていないのだとすれば、あなたはその分野で天才の可能性がある。あなたは凄すぎて、普通の人にはその凄さが分からないのだ。……ただしこれは、「あなたが自分の好きなことをしていれば」という条件付きでだ。
まわりを気にせず、評価を望まず、自分の本当に好きなことを続けて満足していられるのなら、それはまさしく天才だ。そこではきっと、なにがしかが生まれている。そしていつかは、誰かがそれに気付くかもしれない。それで十分だと思うし、それでこそ、なんじゃないかと思う。
# Winnyを競馬場にたとえてみる
競馬場(Winnyネットワーク)に行けば、少ない労力で金(お宝画像など)が得られる。普通に生活していては、自由にならない金(お宝画像など)を、一瞬にして手に入れられる快感がある。もちろんそこにはリスクもあって、下手をすると自分の金(個人情報とかPCに入っている情報)を失ったりもする。
だけどオレはそんなヘマをしない。馬(パソコンやWinny)について日夜競馬新聞(ぶっこ抜き推薦雑誌)なんかで研究しているし、ほかのヤツが知らない情報ネットワーク(2ちゃん情報)を持っている。金(お宝画像)があれば好きなだけ酒を飲めるし(引き込もれるし)、女を買うことだってできる(友達にも自慢できる)。
「ギャンブルで得することなんてない」(Winnyネットワークは危険だ)って言うやつもいるが、それはウスラボンヤリしたやつに言うべき言葉だ。オレはいままで馬(パソコンやWinny)で大負けしたことがない(情報を流出したことがない)。そりゃあたまには負けることもある(ウイルスにやられた経験はある)。だけど、ちっぽけな額だ(Windowsを再インスコしたら直った)。
それにテレビや雑誌を見てみろ。競馬場(Winnyネットワーク)に行けば、楽しいことがいっぱいあるって言ってるじゃないか。あれを見た素人さんが競馬場(Winnyネットワーク)に来て、また金(お宝情報)を落としていってくれる。カモがネギしょってやってくるようなもんだ。「ギャンブルは違法だぞ」!?(「違法ダウンロードはやめろ」!?)、違法なもんか。競馬は国が認めた公営ギャンブルだ(「違法なもんか。ダウンロード自体は合法だ。それに、国もグレーゾーンを認めざるを得ない。馬鹿を見るのは金子某と一部のスケープゴートだけだ」)。いずれにせよ、おれのところにまで火の粉はかからないさ。
だけどオレはそんなヘマをしない。馬(パソコンやWinny)について日夜競馬新聞(ぶっこ抜き推薦雑誌)なんかで研究しているし、ほかのヤツが知らない情報ネットワーク(2ちゃん情報)を持っている。金(お宝画像)があれば好きなだけ酒を飲めるし(引き込もれるし)、女を買うことだってできる(友達にも自慢できる)。
「ギャンブルで得することなんてない」(Winnyネットワークは危険だ)って言うやつもいるが、それはウスラボンヤリしたやつに言うべき言葉だ。オレはいままで馬(パソコンやWinny)で大負けしたことがない(情報を流出したことがない)。そりゃあたまには負けることもある(ウイルスにやられた経験はある)。だけど、ちっぽけな額だ(Windowsを再インスコしたら直った)。
それにテレビや雑誌を見てみろ。競馬場(Winnyネットワーク)に行けば、楽しいことがいっぱいあるって言ってるじゃないか。あれを見た素人さんが競馬場(Winnyネットワーク)に来て、また金(お宝情報)を落としていってくれる。カモがネギしょってやってくるようなもんだ。「ギャンブルは違法だぞ」!?(「違法ダウンロードはやめろ」!?)、違法なもんか。競馬は国が認めた公営ギャンブルだ(「違法なもんか。ダウンロード自体は合法だ。それに、国もグレーゾーンを認めざるを得ない。馬鹿を見るのは金子某と一部のスケープゴートだけだ」)。いずれにせよ、おれのところにまで火の粉はかからないさ。