メッセージ。 - diary
2006-04-23
# 「ダメなところもあっていいよね」
なんというか、ポジティブすぎるメッセージに共感できないぼくは病気ですかそうですか。「こうするのが正しいのです」という言い方は嫌い。「ダメなところもあっていいよね。間違ってるかもしれないよね。でもこうすれば面白そうだからいっちょやってみっか」みたいに言ってほしくなっちゃいます。子供ですかそうですか。まぁぼくは社長やリーダーにはなれないタイプだということなんでしょうね。まぁそれはいいんだけど。じゃあぼくは、何をやればいいんだろうと自問すると、全然分からないんですよね。いろんなことが不得手で。ぼくはなにをやればいいんだろう…(´・_・`)…。小学生のときからずっと思ってる。
2006-04-21
# Winnyを使うな? ヘッ! 使うよ! 使い続けるよ!(使ったことないけど)
うーんうーん。
Winnyの脆弱性情報について、各所から意見が出始めているけど、
感じ方が違うのかなぁ。
普通に「Winnyはもう使えない」みたいに書いている人が多い。
ぼくの感じ方では、
「対策方法はWinnyを使わないことです」なんて聞いたら
「そういうことにしたいんでつね?」と言いたくなってしまうのだけど。
本当に、この件は、そういうことにしたいとしか思えない。
だって、対策方法なんて、いくらでもあるわけで。
たとえば何もデータが入っていないPCでWinnyを実行させたら、
(そしてそのPCが乗っ取られたかどうか監視しておけば、)
脆弱性を突かれたところで実質的な損害なんてほとんど発生しない。
あるいは攻撃パケットを判別・廃棄するネットワークブリッジソフトウェアを
動かすとかも効果があるだろう(とりあえずそういうものを
作らなきゃいけないだろうけど、脆弱性を見つけた人間なら
すぐにでもそういうものを作れるでしょ?)。
それか、金子さんに直してもらったらダメなの????
どんなソフトウェアにだって、それを使うメリットと
セキュリティリスクのトレードオフが存在する。
どんな行動にだって、それによって得られるゲインとリスクが存在する。
「Windowsの脆弱性はなくならないので、対策はそれを
使わないことしかありません」とか言ってるようなもんですよ。
全然現実的じゃない。そう言いたいだけ!
「包丁の使用は指を切るリスクをゼロにできないので、
対策はそれを使わないことしかありません」。
「自動車の使用は人身事故を引き起こすリスクをゼロにできないので、
対策はそれを使わないことしかありません」。
「生きていると、不幸な事件や病、争いから免れませんので、
それが嫌なら死ぬしかありません」。
はいはい、ワロスワロス。勝手にやってろってんだ!
Winnyの脆弱性情報について、各所から意見が出始めているけど、
感じ方が違うのかなぁ。
普通に「Winnyはもう使えない」みたいに書いている人が多い。
ぼくの感じ方では、
「対策方法はWinnyを使わないことです」なんて聞いたら
「そういうことにしたいんでつね?」と言いたくなってしまうのだけど。
本当に、この件は、そういうことにしたいとしか思えない。
だって、対策方法なんて、いくらでもあるわけで。
たとえば何もデータが入っていないPCでWinnyを実行させたら、
(そしてそのPCが乗っ取られたかどうか監視しておけば、)
脆弱性を突かれたところで実質的な損害なんてほとんど発生しない。
あるいは攻撃パケットを判別・廃棄するネットワークブリッジソフトウェアを
動かすとかも効果があるだろう(とりあえずそういうものを
作らなきゃいけないだろうけど、脆弱性を見つけた人間なら
すぐにでもそういうものを作れるでしょ?)。
それか、金子さんに直してもらったらダメなの????
どんなソフトウェアにだって、それを使うメリットと
セキュリティリスクのトレードオフが存在する。
どんな行動にだって、それによって得られるゲインとリスクが存在する。
「Windowsの脆弱性はなくならないので、対策はそれを
使わないことしかありません」とか言ってるようなもんですよ。
全然現実的じゃない。そう言いたいだけ!
「包丁の使用は指を切るリスクをゼロにできないので、
対策はそれを使わないことしかありません」。
「自動車の使用は人身事故を引き起こすリスクをゼロにできないので、
対策はそれを使わないことしかありません」。
「生きていると、不幸な事件や病、争いから免れませんので、
それが嫌なら死ぬしかありません」。
はいはい、ワロスワロス。勝手にやってろってんだ!
# Winnyに脆弱性が見つかったそうだが……
2006-04-20
# 津田さんは、何に対して怒っているのでつか?
それと、これもよく分からないのだよなぁ。→音楽配信メモ 「CD売上回復!」というストーリーを作りたいレコード会社たち
たしかにレコード会社は、「CD売上回復!」というストーリーを作りたいのかもしれない。でも、「消費者がネットで気軽に音楽に触れられるようになった結果、音楽CDに戻ってくる相乗効果があった」みたいな付随ストーリーは嫌うんじゃないの?
だって、ネットやネット配信をポジティブなものと認定してしまったら、いままでやっていた法的・政治的な封じ込め攻撃がしにくくなるもん。そう考えると、これは、アレですか? レコード会社が攻撃の方針を転換したということなんでしょうか?
「いままでさんざん叩いたけど、ネットの音楽配信を潰すのはやっぱり無理だった。だからこれからは、逆に協力者の側に回ってコバンザメ的にインセンティブを吸い上げよう」ということですか?
だとしたらまぁ、ことの経緯や当事者の真意はどうあれ、ネットの側の人間にとって悪いことではないと思うのですが。津田さんが何に対して怒っているのか、よく分からないのですよね。なにかぼくに見えていない構図があるのだと思うのですが……。
たしかにレコード会社は、「CD売上回復!」というストーリーを作りたいのかもしれない。でも、「消費者がネットで気軽に音楽に触れられるようになった結果、音楽CDに戻ってくる相乗効果があった」みたいな付随ストーリーは嫌うんじゃないの?
だって、ネットやネット配信をポジティブなものと認定してしまったら、いままでやっていた法的・政治的な封じ込め攻撃がしにくくなるもん。そう考えると、これは、アレですか? レコード会社が攻撃の方針を転換したということなんでしょうか?
「いままでさんざん叩いたけど、ネットの音楽配信を潰すのはやっぱり無理だった。だからこれからは、逆に協力者の側に回ってコバンザメ的にインセンティブを吸い上げよう」ということですか?
だとしたらまぁ、ことの経緯や当事者の真意はどうあれ、ネットの側の人間にとって悪いことではないと思うのですが。津田さんが何に対して怒っているのか、よく分からないのですよね。なにかぼくに見えていない構図があるのだと思うのですが……。
# NHKの罪はいかほどか
裏2ちゃんねる:元NHK職員が2ちゃんねるにスレを立て内部告発 - livedoor Blog(ブログ)という記事を読んだ。はてなブックマークのほうではNHKを批判する意見が多いけど、ぼくは逆に告発した人も変なように感じてしまったなぁ……。
この人は、内部告発をした理由として、
この人は、毎年250億円もの伝票を決済する仕事をしていたそうだがそれに比べて30万円という数字は小さすぎる。少額だから不正をしていいとは言わないけれど、テレビ局というのは本当に大きなお金が動くところなわけで、そういう現場では、それなりの金額でもぞんざいに扱われて仕方のない面があると思う。
と書いているけど、本当にその30万円の罪の償いをしたくて、こんなことをしているというのなら、病的な潔癖症のような気がする。法というのは守るべきものであるだろうけど、法を守るために人間は生きているのではない。
法と人の暮らしを照らし合わせれば、社会不正というのはこれに限らずたくさんたくさん見つかるだろう。それをすべて指摘し糾弾していては人間が生きられない。完璧な世界というのは存在しない。人はときに完璧というものに憧れる部分があるけれど、やりすぎるのは危険なんじゃないかな。
法や正義を尊ぶ意見はすばらしいと思う。しかし、法や正義が、人間をスポイルしてしまのならば、法も正義もぼくは欲しくない。
この人は、内部告発をした理由として、
と書いている。では犯罪とは何か? 彼にとっての犯罪観は、自分の犯した罪を認める次の記述に表れている。NHKは膿を出し切らず再生に向かおうとしている。私はそれを阻止したい。膿を出すとは、つまり犯罪者を処分しそれを公表することです。
記憶で概算するとタクシーチケットで10万円程度、記念品で5万円程度飲食費は30万円程度だと思います。
この人は、毎年250億円もの伝票を決済する仕事をしていたそうだがそれに比べて30万円という数字は小さすぎる。少額だから不正をしていいとは言わないけれど、テレビ局というのは本当に大きなお金が動くところなわけで、そういう現場では、それなりの金額でもぞんざいに扱われて仕方のない面があると思う。
私は自分の罪の償いをしたいからここに実名を挙げて書き込みしているのです。私は自首して罪の償いをしたい、でもNHKはそれをさせてくれないのです。
と書いているけど、本当にその30万円の罪の償いをしたくて、こんなことをしているというのなら、病的な潔癖症のような気がする。法というのは守るべきものであるだろうけど、法を守るために人間は生きているのではない。
法と人の暮らしを照らし合わせれば、社会不正というのはこれに限らずたくさんたくさん見つかるだろう。それをすべて指摘し糾弾していては人間が生きられない。完璧な世界というのは存在しない。人はときに完璧というものに憧れる部分があるけれど、やりすぎるのは危険なんじゃないかな。
法や正義を尊ぶ意見はすばらしいと思う。しかし、法や正義が、人間をスポイルしてしまのならば、法も正義もぼくは欲しくない。
2006-04-16
# 新しい考え方のコンピュータを設計して世に問う会社
どうでもいいことを書きます。
『ウェブ進化論』について、ちょっとここ違和感だなーという部分。かといって、本の価値を否定するものではありません(たぶん)。それくらいのどうでもいいことということで。
P.065
ここまではまぁいいとしよう。この後なんだよね。
P.067
こういう認識の仕方って正しいのかね? まぁこの本は、「こちら側」にいる人に分かりやすく状況を説明するためのものなので、説明が正確じゃなくてもいいとは思うけど。
ぼくの認識では、「コンピュータ・メーカー」というのはCPUを作る会社のことを指す。いや、ほかにもいろいろな部品を作る会社があるけど、「あくまで一番の核はCPUだ」と誰もが考えていたような気がする。
たとえば、マイコン少年なら誰でもスーパーコンピュータに憧れたのじゃないか。独自のCPUや高貴なアーキテクチャに夢を持ったのじゃないか。「もっと性能を」と望み、もっとメモリをと手を伸ばしていたような気がする。
少年に限らず、メーカーの中の人たちもそれぞれ「自社の」CPUを開発し、熾烈な競争をしていたように思う。電卓に使われるために作られたインテルのCPUなど、当初歯牙にもかけられなかったというのが実情だろう。みんな熱に浮かれるように(高性能で高貴な)CPUに熱中した。
そもそもコンピュータ・メーカーというのは、「新しい考え方のコンピュータを設計して世に問う」会社ではなく、「新しい考え方のCPUを設計して世に問う」会社のことだったのではないかとぼくは想像している。いや、ぼくは最近になって(ここ10年ぐらいで)計算機に触れ始めたので、実感としては知らないんですけどね。でも外から来た人間だからこそ感じることもあるわけで。
そういう意味で、「価格性能比向上が著しいマイクロプロセッサやストレージといった部品群を大量に並べて」ということと、「全部ゼロから自分たちで作」るということが全然噛み合わない。
「ゼロってどこですか?」という話かもしれない。「フォン・ノイマンさんですか? チャールズ・バベッジさんですか?」。そこまで行かなくても、「CPUぐらいがゼロだろう」というのが、たぶんこれまでの計算機屋さんの感覚なんだよなぁ(あくまで外から来たぼくが見るかぎりw)。
だからたしかに、「それはどうでもいい。そこはゼロじゃない」と言うのなら結構新しいと思いますよ。それこそ本当に、「新しい考え方のコンピュータを設計して世に問う」会社だと言えるかもしれない。でもそれはもう、コンピュータ・メーカーでもないのかもしれないっすね。皮肉とか悪い意味じゃなく。
そういうことを指摘しておくことに価値があるかなぁと思って書きました。大きく間違ってるかもしれないですけど。
『ウェブ進化論』について、ちょっとここ違和感だなーという部分。かといって、本の価値を否定するものではありません(たぶん)。それくらいのどうでもいいことということで。
P.065
ところで「コンピュータ・システムそのものを設計する」という学問分野は、コンピュータ・アーキテクチャとかシステム・ソフトウェアとか呼ばれていて、抜きん出て米国が進んでいる。しかしこの一〇年の学問的進歩は、IT産業にあまり活かされなかった。九〇年代にPC産業が巨大化し、マイクロソフトのOSとインテルのマイクロプロセッサだけに付加価値が集中したことはよく知られている。チープ革命は「規模の経済性」が強く働く分野で加速がつく。よってインテルとマイクロソフトが規定するPC周辺での価格性能比の向上が著しく、ユーザはその流れに身を任せていれば大満足となった。PCの価格性能比向上スピードに敵わなくなったという理由で、全く新しいコンピュータ・システムの設計は、コンピュータ・メーカーによって行われなくなってしまったのである。
ここまではまぁいいとしよう。この後なんだよね。
グーグルの二人の創業者(セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ)は、スタンフォード大学コンピュータ・サイエンス学科の出身だが(中略)そこで彼らが考えたのは、ネットの「あちら側」に自分たちが作る情報発電所は、「コンピュータ・システムそのものを設計する」という学問分野におけるここ一〇年の成果をすべてぶち込んで、全部ゼロから自分たちで作ろう、ということだった。価格性能比向上が著しいマイクロプロセッサやストレージといった部品群を大量に並べて、大規模な情報を高速に信頼性高く処理できる低コストのコンピュータ・システムを作ることにした。
P.067
そもそもコンピュータ・メーカーというのは、このように「新しい考え方のコンピュータを設計して世に問う」会社のことだった。グーグルは、PC産業興隆の副作用として消滅した「本当のコンピュータ・メーカー」になろうとしたのだ。
こういう認識の仕方って正しいのかね? まぁこの本は、「こちら側」にいる人に分かりやすく状況を説明するためのものなので、説明が正確じゃなくてもいいとは思うけど。
ぼくの認識では、「コンピュータ・メーカー」というのはCPUを作る会社のことを指す。いや、ほかにもいろいろな部品を作る会社があるけど、「あくまで一番の核はCPUだ」と誰もが考えていたような気がする。
たとえば、マイコン少年なら誰でもスーパーコンピュータに憧れたのじゃないか。独自のCPUや高貴なアーキテクチャに夢を持ったのじゃないか。「もっと性能を」と望み、もっとメモリをと手を伸ばしていたような気がする。
少年に限らず、メーカーの中の人たちもそれぞれ「自社の」CPUを開発し、熾烈な競争をしていたように思う。電卓に使われるために作られたインテルのCPUなど、当初歯牙にもかけられなかったというのが実情だろう。みんな熱に浮かれるように(高性能で高貴な)CPUに熱中した。
そもそもコンピュータ・メーカーというのは、「新しい考え方のコンピュータを設計して世に問う」会社ではなく、「新しい考え方のCPUを設計して世に問う」会社のことだったのではないかとぼくは想像している。いや、ぼくは最近になって(ここ10年ぐらいで)計算機に触れ始めたので、実感としては知らないんですけどね。でも外から来た人間だからこそ感じることもあるわけで。
そういう意味で、「価格性能比向上が著しいマイクロプロセッサやストレージといった部品群を大量に並べて」ということと、「全部ゼロから自分たちで作」るということが全然噛み合わない。
「ゼロってどこですか?」という話かもしれない。「フォン・ノイマンさんですか? チャールズ・バベッジさんですか?」。そこまで行かなくても、「CPUぐらいがゼロだろう」というのが、たぶんこれまでの計算機屋さんの感覚なんだよなぁ(あくまで外から来たぼくが見るかぎりw)。
だからたしかに、「それはどうでもいい。そこはゼロじゃない」と言うのなら結構新しいと思いますよ。それこそ本当に、「新しい考え方のコンピュータを設計して世に問う」会社だと言えるかもしれない。でもそれはもう、コンピュータ・メーカーでもないのかもしれないっすね。皮肉とか悪い意味じゃなく。
そういうことを指摘しておくことに価値があるかなぁと思って書きました。大きく間違ってるかもしれないですけど。