メッセージ。 - にゃー

# にゃー

少し前に人と話していて、「英語が喋れてすごいですね。外国人と喋っているところを見て感動しました」みたいなことを言われた。なので「いやいや、ぼくの英語なんて全然たいしたことないんですよ」と返事したうえで以下のようなことを説明した(実際、ぼくの英語はひどいもので本当にたいしたことではない)。

- 人間どうし、生きているどうしなので、面と向かえばお互い言葉が分からなくても言いたいことはなんとなく分かる。大事なのは英語や言葉を喋ることではなくて、相手が言いたがっていることやしたがっていることを理解し何かをしてあげようとする気持ちだ。むしろ言葉が分からないのに、なんとかして相手を助けてあげようとするその姿勢にこそ、人は感動する。だから英語を話せないことを恥じる必要はない。「英語が話せないから」とかいう理由で怖気づき、相手に対して手を差し延べられなかったならば、それこそが恥じるべきことだ。

- とはいえ英語がまったく喋れないと相手の言いたいことが大雑把にしか理解できないので、喋れるほうが便利だ。それに少しでも喋れると勇気になる。ぼくも過去にできなかったことがたくさんあって悔やしかったので、英語を勉強しはじめた。

- 英語の勉強法はいろいろあるけれども、楽しみながらやるのがいいんじゃないかと思う。たとえばぼくは、最近YouTubeで外国人によるカメラレビューや写真について語っているのをよく見る。英語についていけなくて何を言っているのかよく分からないことも多いけれど、それでも同じカメラ好き、写真好きどうし、どんな気持ちでどんなことを言おうとしているかはなんとなく分かる。語られているカメラやレンズのことを知りたい、撮られた写真の撮影技法などを知りたいという気持ちで見ているけど、この人はどういう考えで写真に向きあっているか、この人はどんな人なのかにも興味が湧いてくる。いや、もっといえば「この人はこういう人なんだな」というリアルな実像が心のなかに住みつくような感じ。ちょっと好きだな、みたいな。

- そんな風にただ楽しんでいるだけなんだけど、英語を学ぶ過程で「英語を喋っている誰かを好きになる」というのは重要な要素なのではないかと思う。なぜかというと、英語を喋れるようになるためには、英語自体を学ぶだけではダメで、英語で喋っているその音や表情に込められた気持ちとか共感とかコンテキストが、「喋る」という行為の根幹にあると思うから。逆に文法や単語だけ一生懸命覚えて使いこなせるようになったとしても、そこに乗る気持ちや心を理解できなければ喋れるようにはならないだろうから。

- あと、ぼくは基本ダメな人間だから、頑張って英語を勉強するということが難しい。だから頑張ってなんかいなくて、ただ英語の勉強をやめなかっただけ。自分の頭が悪いことを自覚して、無理せずちょっとずつでもいいからできることをやっている。「ちょっとでもいいから今よりできるようになりたい」、そういう気持ちを10年とかもっと長い期間持ち続けて何がしかをしているから、多少は英語を喋れるようになってきている。
2024-01-27 07:28:56 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

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