メッセージ。 - なにかを表現することのむずかしさ

# なにかを表現することのむずかしさ

仕事が火を吹いているので、簡単にメモを。(いや、日記書いとらんで仕事しろという説もあるけど)

うちの部署の若いもんが、「○○はまだ若い技術なので」と話していたのが気になった。
ぼくも少し前までそう思っていたのだけど、オフ会などで偉い人に会ううちに、「○○は若い技術じゃないよ」とたしなめられることがあったからだ。「いや、昔からあるよ。オレは2年ぐらい前から使ってるよ」という感じで。

それでまぁ、ぼくも若いもんに一言教えてあげようかなぁと思ったのだけどね。
でも、そんなの教えても意味ないかなぁとふと思った。
上には上がいるというか、自分より知っている人がいるとか、そういうことを教えてどうなる?
そんなこと言いはじめると、若いもんは何も言えなくなるかもしれない。

逆に考えてみる。
○○の歴史が今後も長く長く続くなら、いまはまだ若いと言えるかもしれない。

若いとか知ってるとか良いとか悪いとか、そういう表現は難しい。
正しくもあり間違いでもありうる。
いろんな言葉や表現が、そういう難しさを秘めているなぁと思った。
だからといって、あなたは何も言うな、自分は何も言えないというわけじゃない。
それでも言わざるをえない。表現せざるをえない。
人間というのは何かを表現せざるをえない。

要は、「そういうことを肚に据えて、ものごとを言っているか」ということなんじゃないかなぁ。
あることを表現しようとしたとき、一面から見ただけでは完全でない。
別の面から見たら、何か違うものが見えることはよくある。
だからできるだけ多面的にものごとを見るほうがよいのだ。
一生懸命いろんな面からものごとを見て、それで表現して、
それでも足りないのが表現なんだろう。

そうすると、ここでたぶん一番問題になるのは「オレが」という感覚だ。
その感覚が表現にへばり付いてしまうと、ものごとを見誤る。
おれがおれがという我を捨てること。だけど我のないところに表現はない。
コンピュータはそれ自身が表現を生み出せるわけではない。
だから表現というものは、我がない状態と、我がある状態が混在してこそ1つの究極なのだろう。

ほんまかな?
2006-03-30 15:43:39 / ふじさわ / Comment: 0 / Trackback: 0

Comment

コメント投稿機能は無効化されています。

Trackback

TrackBack投稿機能は無効化されています。